・滝夜叉丸→六年
・山ぶ鬼→三年




 滝夜叉丸の級友が、一人死んだらしい。


「なんだか久しぶりな気がしますね、滝夜叉丸さん」

「お前もよくそんなに堂々と忍び込むな」

「入門表にサインさえすれば、小松田さんは通してくれますよ」

 両手を広げて肩を竦めながら、山ぶ鬼は嘆息を一つ零した。滝夜叉丸はそれもそうだな、と目を細めるだけの笑みを浮かべた。彼らしくもない、下がった眉を見つめながら、山ぶ鬼はその隣に腰を下ろした。

「だめなものだな……何度経験しても」

 独り言のように呟いて、滝夜叉丸は片手を額に当てた。伏せられた瞼や、無理に引き上げられた唇はとても痛ましいが、けして彼の美しさを損ねることがない。

 沈鬱とした表情が、目を見張るほど麗しい男である。

 そんなことを聞いても、“いつになっても変わらない奴だ”とは、山ぶ鬼は思わない。今まで、滝夜叉丸の級友が死んだことは何度かあった。出会った頃の彼は、そのたびに誰にも見つからぬ所で泣き喚き、膝を付いたまま半日そこから動かなかったりしたものである。その時分を考えると、今の彼の態度は十分に落ち着いたもので、また悟ったものだった。彼は確実に、“仲間が死ぬ”という状況に慣れつつあった。

「泣いてもいいんですよ」

 空気に溶かすように囁くと、滝夜叉丸は肩を揺らした。

「馬鹿者。男がそう簡単に人前で泣けるか」

 今まで何度となく目撃されているというのに、彼はそうして山ぶ鬼との間に線を引いた。実際、彼だって望んで涙に濡れる頬を見られているわけではなかろうし、男として恥じる気持ちがあるのも事実だろう。しかし、それ以上に滝夜叉丸は、相手に深く踏み込まれないための予防線を張る“忍”としての心得を、無意識のうちに実行していた。特に、山ぶ鬼は忍術学園とは敵対するドクタケ城のドクたまだ。

 ――それでも、この学園にいる者の誰よりも、山ぶ鬼は滝夜叉丸に近しい“女”であった。


       ・


「滝夜叉丸を惑わすのはやめてくれる?」

 わざわざ人を呼び止めて何を言い出すのかと思えば、綾部 喜八郎はそんな言葉を山ぶ鬼に放った。いつもとぼけたようにキョロキョロと動く丸い目が、今日は少しキツくつり上がっている。お気に入りの踏み鋤の踏子を連れているというのに、なにをそんなに不機嫌になることがあるのか。

「なんの話です?」

「弱ってるところにつけ込むようなまねはよしたらどう、って言ってるの」

「――私はただ、辛そうにしている滝夜叉丸さんをほうっておけないだけです」

「ふーん。それが滝を追い詰めていることを知りながら?」

「意味がわかりませんね」

 わずか首を縮めて睨むようにすると、綾部の表情がさらに不愉快そうなものになった。

「滝夜叉丸は生粋の自己愛保持者で、筋金入りの見栄っ張りだ。女に慰められているなんて、情けなくてたまらないだろう。だから、上っ面を我慢で塗りたくるしかないんだよ。どんなに辛くともね」

 知ってるわよ、とは言わずに、山ぶ鬼は少しだけ目を伏せた。わかりきったことを言う男だわ――と。

 返答しない山ぶ鬼に、綾部の気配がまた不穏になった。あからさまな敵意と嫌悪を宿した視線を感じながら、彼女はちらりとも動じない。発育途中の、まだ成長しきっていない小さな体をどんな圧力で包まれようと、鋼鉄の意志はそんなものを相殺する。殺気すら殺す忍の世界で、こんなあきらかな気配を発することは、恐ろしいことでもなんでもないのだ。

 彼らしくもない子どもじみた挨拶の代わりに、山ぶ鬼はふと笑みを浮かべた。

「くノ一教室の卯子さん、去年退学されたそうですね」

 綾部の表情が固まる。

「どうしてかしら?」

 わざとらしく悩んでみせる山ぶ鬼に、綾部は表情を冷たく凍らせたまま、けれど視線にさらなる険を滲ませて、彼女を睨んだ。

「彼女は兼ねてからの思い人と一緒になったんだよ」

「まあ! 善法寺 伊作先輩と! それはおめでたいことだわぁ。知ってれば一言お祝いしたのに」

 きゃらきゃらとはしゃぐ山ぶ鬼の姿は、誰が見ても年相応の少女のものだろう。その中にどんな意図があるかは、わかる者にしかわからない。

 じ、と黙り込んだ綾部は、ふと瞳を無感情なものにして、山ぶ鬼を見た。

「きみはいつからそんな女になったんだろうね」

 表面を無で塗りたくっているのは、山ぶ鬼も同じだった。今度は彼女の方が黙り込む。諦めたように溜め息を吐くと、綾部 喜八郎は踵を返した。

「少なくとも、僕はきみが滝夜叉丸の傍にいることを良いとは思わないよ」

 そうして、振り返ることなく、綾部は元来た道を戻っていく。山ぶ鬼もそれを呼び止めたりはしない。ザク、ザク、と綾部が土を踏みしめる音だけが、周囲に響いていた。


 初めて言葉を交わした頃は、こんなに殺伐とした間柄ではなかった。綾部 喜八郎は滝夜叉丸の友人で、そういう関係から山ぶ鬼にも紹介され、知り合った。滝夜叉丸の友人と、滝夜叉丸の女友達。そうした認識だけを最低限持ったまま、顔を合わせれば挨拶もし、今日の天気のことやお互いの近況を話したりもした。

 ――滝夜叉丸の自慢話は長いから退屈だろう、こっちで僕と蛸壺でも掘っていようよ。

 ――やだ綾部さんったら、滝夜叉丸さんがかわいそう。

 ――喜八郎ぉ! 私を置いて勝手に行くな! あと山ぶ鬼! 顔が笑ってるぞ!


 それほど険悪ではなかったはずだ。口を利く機会が多かったとは言えないが、滝夜叉丸を中心に置いて、わりと仲良くしていた。忍術学園の男子生徒の中なら、乱太郎・きり丸・しんべヱ、滝夜叉丸が山ぶ鬼のよく関わった人間だ。綾部はその次に位置するくらいには、近しいところにいた。

 変わったのはいつからだったか。正確な年月を言えなくとも、山ぶ鬼にはおおよその見当を付けることができる。

 きっと、山ぶ鬼が滝夜叉丸に対して、画策と計算を用いだした頃が、二人にとっての転機だったのだ。弱さに優しさを与え、ほしい時にほしい言葉を与える。そういった術を使うようになった時分から、綾部は山ぶ鬼を快く思わなくなった。


 音もなく、山ぶ鬼もその場から踵を返した。生ぬるい風が頬を打って、二年前より伸びた髷を揺らした。

 背丈も伸びた。丸っこいだけだった体は女らしいくびれを作り、男を惑わす色香を付けた。心はいろんなものを見すぎて煤けてしまった。

 いつから、だなんて、そんなこと山ぶ鬼にだってわかるはずがない。普通の町娘のように、汚いこともあくどいことも知らぬまま、抑圧された安寧の檻の中で生きたのなら、きっと彼女はこんな方法を使うことなどなかっただろう。滝夜叉丸と出会った頃のように、わがままで、元気いっぱいで、ドクタマの男共を尻に敷いてにんまりする、天真爛漫な少女のままでいただろう。

 だが、違う。悪名高きドクタケ城が内部、ドクタケ忍術教室に籍を置いてから、もう三年の月日が経った。その間に、彼女は無垢で高飛車なただの少女から、確実にくノ一としての階段を登った。それは忍術を会得するという意味合いにしてもそうだし、知識をつけるという意味合いにしてもそうだし、女としてあるべきものを捨てる意味合いにしてもそうだった。

 抉られれば抉りかえせ。謀略には策略で、腹の探り合いは嘘と本当を織り交ぜて。そうして培ってきたものを、どうしていまさら捨てることができるか。


 そうしたくノ一としての手管が、綾部との溝を深めた要因だった。彼はあんなだけれど、友人の滝夜叉丸のことをかなり大切にしているのだ。山ぶ鬼の存在が目にあまっても仕方がない。

 それでも、山ぶ鬼は綾部の忠告を受けて、滝夜叉丸と会うのをやめたりはしなかった。忍の情報網を駆使して、会えるとおぼしき場所ならどこへでも出向いた。そのたびに修復のしようがなくなっていく綾部との関係すら、不可抗力だわ、と諦めた。



「山ぶ鬼、もうじき夜が来る。暗くなる前に帰ったほうがいい」

 滝夜叉丸が顔を上げたことで、山ぶ鬼も回想を中断した。夕暮れが彼の背後で沈んでいき、端正な顔に影を落とした。逆光に照らされた滝夜叉丸はあいかわらず頼りない表情をしていたが、瞳にあるのは落ち着きと闇だった。単純で傲慢で口うるさく、暗さとは正反対にいる彼の奥底の成熟した部分は、鉄壁にも要塞にも見えた。

「帰らないわ。だって滝夜叉丸さん、まだ泣いてないじゃない」

 駄々をこねる童子のように、山ぶ鬼は拳を握った。声が震えた。山ぶ鬼は久方ぶりに、滝夜叉丸の前で自分を乱した気がした。

「私は泣かんよ、山ぶ鬼」

 そう呟く声音は、いやに優しかった。


 綾部に言われた言葉が頭の中を回る。いつから私はこんな女になってしまったのか。いつから、滝夜叉丸に面と向かって笑うことができなくなったのか。

 泣けない理由なんて、同じ忍を志す者だからわかっている。相手に弱みを見せること、他人に深入りしすぎることは、ともすればすぐさま死につながる。たとえどんなに想う相手であっても、敵は敵だ。

 忍術学園の平 滝夜叉丸、ドクタケ忍術教室の山ぶ鬼。これは揺るがぬ事実で、おそらく今後も一生変わらない。滝夜叉丸も山ぶ鬼も、相手のために立場を変えることなど考えもしない。


 だから綾部はやめろと言うのだ。尺度でいうなら、彼は間違いなく滝夜叉丸のほうを好いているだろうが、山ぶ鬼のこともやはり嫌いにはなりきれないのかもしれない。行く末を見渡したうえで、こんな不毛なことはやめろと言う。誰にも良いことなどないのだから、傷つけ合うのはよそう、と。

 綾部の弱ったところを、山ぶ鬼は見たことがなかった。しかし、くノ一教室の活発なあの女の子になら――おそらく彼の気持ちを知らぬまま、山ぶ鬼と同じ道を切ってしまった少女になら、脆弱さも晒して見せたのだろうか。きっと、一番傷つけたのは彼女だろうに。

 けれどそれは、山ぶ鬼が口を出すところではない。本来なら、そうなのだ。本来なら、あんなふうに挑発文句に使うことなどしてはいけない。素の山ぶ鬼なら、そう思う。


 わかっている。たぶん、三者一様にわかっているのだ。

 滝夜叉丸だって、綾部と同じようにこの世界に身を置いてきたのだから、山ぶ鬼の浅はかな打算などとうの昔に見抜いているだろう。山ぶ鬼も、見抜かれていることや、それを知っても滝夜叉丸が自分を遠ざけない理由を知っている。

 彼ら二人は六年間の生活ですでに諦観したのかもしれないが、山ぶ鬼はまだ三年しか経っていない。足掻きたい気持ちを抱くくらいには、まだ幼かった。すべてを理解する知恵があろうとも、認めるのは辛い。

 仲間が死ぬこと、人を殺すこと、計画のために足を開くこと、命の危機にさらされること、大切なものすら捨てなければいけないこと。

 慣れたいとは思っても、受け入れたことは一度としてない。


 堪えていた涙が落ちると、すぐさま滝夜叉丸の手が山ぶ鬼の目元に伸びた。美しい指は、長年の鍛練でいたるところに傷跡を残している。

 この優しさが、山ぶ鬼を苦しめていることに、彼は気付いているのか。会うたびに、もうやめようと思っていることを、彼や綾部は知っているのか。

 他の人間が真に願うものなど山ぶ鬼にはわからないし、だれも口に出さない。そういう時代だ。


 そうっと触れてくる手に、彼女は静かに目を閉じた。鈴虫の鳴く声が、辺りに響く。

 こうして山ぶ鬼はまた、大人になるための階段を、二段飛ばしで登らなければいけなくなる。






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