茹だるように暑い日だった。太陽がジリジリと地球を焼き、土の中の水分も、少年たちの体力もやる気も奪い取っていく。それくらい暑い日だった。

 屈指の名門校の看板を持つ雷門中学サッカー部であるが、だからと言って特別暑さに強靭な人材がそろっているというわけでもない。むしろ、灼熱地獄となったグラウンドには、

「あっちー!」

「やってられるかこんなの……」

 サッカー部員の不平不満がことあるごとに飛び交っていた。


 神童 拓人は責任感の強い男だ。しっかりとした優等生で、自分にも厳しく他人にも厳しく、しかし内の優しさで人に細やかな気遣いもできる立派な少年だ。そのためもあってか、彼は二年生にありながら、名門雷門中学サッカー部のキャプテンを務めている。その物事に対するリーダーシップ故、神童は腕をダラリと垂らして走る浜野や、天を仰いで「あつい……」と独りごちる速水やらに、間無しに厳しい注意を与えている。倉間は案外こういう時真面目で、片方の長い前髪をうっとうしそうに払うのみだ。ついでにいうと、それは南沢も同様なのだが、彼の場合は妙に決めポーズじみた動作が目に付く。散る汗すら輝きに変えんとする南沢には、神童は特に触れない。南沢が先輩だからというだけでなく、いつものことだからだ。

 この状況下で、天馬と信介だけはいつもと変わらず、嬉々として新しい必殺技の開発に勤しんでいた。それをマサキが「ほんと暑苦しい奴らだな」とうんざりした顔で眺め、輝が「元気ですねー、僕も頑張らなきゃ」と笑い、剣城が「気張りすぎて倒れるなよ」とクールな表情で汗を拭った。

 暑くてやる気が出ないのは神童とて同じだった。ただ、キャプテンである自分が怠惰な姿を晒すわけにはいかないと、頑固と紙一重の生真面目さで気丈に踏ん張っている。そんな、あまり身の入らない炎天下での練習は、グラウンドの蜃気楼が揺れるように、どこまでもだるさの延長だった。


 ――シン様は、甘いものは好き?

 山菜 茜にそう声をかけられたのは、午前が午後になりかけた頃の休憩時間のことだった。すすすっと、ちょこちょこ動く小動物のように寄ってきた茜は、神童にタオルとドリンクを差し出しながら、囁くような声量で言った。

「甘いもの? ……まあ、嫌いではないが」

 何故そんなことを、という問いを表情にありありと浮かべながら、神童は受け取ったタオルで汗を拭いた。

「よかった。じゃあ、今日の練習が終わったら、一緒に食べに行こう?」

「は?」

 唐突な提案に、彼は目を丸くした。繕わずに零した声は、ひどく率直なものになった。


 茜にどこかへ出かけようと誘われたことはない。これが初めてだ。いくら同じ部の部員とマネージャーだと言っても、いくら茜が神童の大ファンだと言っても、二人の距離はそこまで近くない。憧れる者と憧れの対象。追う者と追われる者。一方しか向いていない矢印。あくまで、線引きをした向こうの他人だった。茜はマネージャーであること以外は、グラウンドの外から黄色い歓声を上げるミーハーな女子と大差なかった。違うのは、彼女たちより少しばかり足繁く通っていたということと、やかましく騒いだりしないということだけだ。神童がその距離感を不思議に思ったことはないし、おそらく茜もないだろう。おしとやかそうに見える彼女が、意外と精力的に自分を追いかけ回していたことくらいしか、神童は疑問に思ったりしなかった。

 グラウンドの外で眺めるファンから、グラウンドの隅で眺めるマネージャーに茜がその位置を変えても、その距離が狭まったりすることはなかった。だから、こんなふうに誘われることは予想外だった。いつものキリリとした瞳を間抜けに見開きながら、神童はドリンクに口さえ付けずに茜を見ていた。


「冷たいもの、ほしくない?」

 きょとりと、どこか心許なさそうに茜は小首を傾げた。

「……冷たいものなら、今持ってるが」

 右手のドリンクを左手で指差し、神童は言った。茜を含むマネージャーたち(一人を除いて)が用意してくれたドリンクは、体に吸収されやすいように薄められ、程よく氷で冷やされ、乾いた喉に心地よく通る。まだ今日はその冷たさを実感してはいないが、通常どおりであればこのボトルの中身は“冷たいもの”と形容していい温度になっているはずだ。

 茜の言うことが把握できず、神童は困ったように眉を下げた。茜もわずかに眉を下げたが、わりといつもそういった眉をしているので、変化したのかどうかはわからない。けれど、おっとりとした瞳が、悲しそうに細められたのは確かだった。神童 拓人は、育ちのよさからか紳士であったので、女の子を悲しませるなど言語道断だと、自分に非難の言葉を向けた。


「わかった、行こう」

 とっさに頷くと、茜の表情がパッと輝いた。シャッターチャンスを見つけた時のように、彼女の笑顔に花が舞った。

「うん。それじゃあ、また後で」

 笑顔のままそう言って、茜はベンチの方へ戻っていった。なんなんだろう、と首を捻りながらも、喜んでいるのならいいか、と神童はドリンクをあおった。やはりそれは、最適な温度に冷やされていた。気付けば、休憩時間が終わろうとしていた。



 待ち合わせを、学校から少し離れたコンビニエンスストアの前にしたのは茜だった。それも一度家に帰るわけではなく、練習が終わってからその足で向かうという手筈だ。先に準備が整った者から学校を出て、待ち合わせ場所でもう一人の到着を待つ、といった具合に。

 先に着いたのは神童だった。指定されたコンビニに茜の姿が見当たらないので、一度店内も見て確認してから、外で彼女の到着を待つ。中に入ってクーラーの涼しい風に当たっていたかったが、茜が来た時にすぐわからなくてはいけないからと、律儀に店の前で突っ立っていた。アスファルトに反射する陽光は、ジリジリと皮膚を焼くように照りつけた。練習の後にきちんとシャワーを浴びてきたというのに、またも噴き出した汗が首筋をつたった。汗臭くないかな、とシャツの匂いを嗅いでいたら、

「おまたせ」

 音もなく、山菜 茜が目の前に立った。

 練習を終えた時間は同じであったが、二人がここまでたどり着くのに約15分のズレがあった。女は支度になにかと時間がかかる。もちろん、神童はそんなことをとやかく言う男ではないし、とやかく言う関係でもなかったから、「ごめんね、待った?」という質問にも「いや、大丈夫だ」と微笑むだけで済ました。


「じゃ、行こっか」

 ふんわりと目尻をゆるめ、茜は歩きだした。つられるように神童もコンビニの前から動いたが、あれ、と思い、尋ねる。

「あそこでなにか買うんじゃなかったのか?」

 わざわざ場所を指定するくらいなので、てっきりこのコンビニでアイスなりジュースなり購入するのだろうと思っていた。遠ざかりつつあるコンビニを指差し言うと、茜は首だけで振り返ってゆるゆるとかぶりを振った。

「ううん、違う。この先にある甘味処に行くの。ちょっと歩くけどへいき?」

「歩くのはかまわないが……甘味処?」

 慣れない単語に、神童は片眉を上げた。先に述べたとおり、甘いものは嫌いではないし、誘われれば行くことも考える。だが、まさか男だけでそんな場所に行きはしないし、わざわざ足を向けるほど甘味を食べたいと思う時もない。放課後や練習後に出かける女友達もいないので、おそらくこれは神童にとって初の体験であった。そしてやはり、「何故自分と山菜が練習後に連れ立って甘味処に?」と奇妙な状況に考え込むところに帰ってくる。その間にも茜の足は軽やかに進み、また自分もそれに続いて黙々と歩いた。目の前を行く茜の制服が、あまりにも真っ白く目を焼いた。


 少し歩くといっても、目的地である甘味処へはわりとすぐ着いた。こじんまりとしているが、日本家屋風の外装には趣があり、太陽に照らされて黒く輝く瓦屋根や、濃紅の暖簾、格子状に板が張り巡らされた戸口、店の前に置かれた布の敷かれた長椅子、その傍に立つ赤い番傘などが、日本人の心に訴えかけてくるように風流だった。

「なんでか俺、甘味処というとお汁粉だとかぜんざいだとか抹茶だとか、熱いものばっかり思い浮かべてたよ」

 運ばれてきたかき氷にスプーンを差し込みながら、神童は苦笑した。少し照明を落とした内装も、手触りのいい木の机などにマッチして、これまた味があった。店内にBGMはかかっておらず、客も神童と茜の二人だけだった。


「それじゃ私が『冷たいもの食べよう』って誘った意味がないじゃない」

 茜も眉を下げて笑い、頼んだあんみつを口に運んだ。確か普通のあんみつではなく、“白玉クリームあんみつ”という、いろいろてんこもりのあんみつだ。上品な漆塗りの椀の中は、白玉やあんこやアイスやらが所狭しと詰められている。

 神童の方はいたってシンプルな苺味のかき氷だが、氷と一緒に凍った苺が削られていたり、練乳がたっぷりかけられていたり、バニラアイスが氷上に乗っていたりと、なかなか豪華である。シロップが違うらしく、味もおいしい。夏祭りの夜店より少し値は張るが、質のことを考えれば、安いシロップをかけた氷よりずっといいと思えた。


 シャクシャクという氷を崩す音と、スプーンが椀に当たるカチャカチャという音だけがテーブルに響く。和菓子屋というのは、こんなにも静かなものなのか。自分たちが口を開かなければ、水の流れる音一つしない。まあ、貸し切り状態だからというのも理由だろうが。

「なんで、わざわざ待ち合わせをしたんだ? 部活が終わって、そのまま一緒に行けばよかっただろう」

 会話がなくなったので、神童はずっと気になっていたことを訊いた。かき氷から視線を上げて茜を見ると、彼女は紅殻の色をしたスプーンに白玉団子を乗せたまま、きょとんと目を瞬いた。

「なんでって……」

 行儀が悪いと思ったのか、白玉をパクリと口に入れて嚥下し、スプーンを置いてから、茜は神童を見返した。


「だって、一緒に出かけてるところ、他の人に見られたら困るでしょ?」

 コトン、と首を傾げながら言う。今度は神童がパチパチと瞬きし、こちらもスプーンを置いた。

「それは――その、俺と一緒にいて、付き合ってるとか、そういう誤解を受けるかもしれないからか?」

 この流れからして、おそらくそういう意味なのだろう。神童は、相手の表情や言葉尻から空気を読むことに長けた男だ。

 彼の想像どおり、茜は小さく、しかしはっきりと首を縦に振った。神童の中に、寒気がするほどの奇妙な感情が湧き上がった。

「山菜は俺と誤解されるのが嫌なのか?」

 どうしてそんなことを口走ったのかはわからない。神童は山菜に対して“自分を追っかけている女の子”以上の認識をしていなかった。茜のことを迷惑に思ったり、疎ましがったりすることはないが、異性として特別な感情を向けたりもしない。ひどい言い方をすれば“眼中になかった”というのが正しい。

 ――いや、もしかしたら、だからこそムッとしたのかもしれない。自分は心の奥底で「山菜 茜は神童 拓人のすべてを肯定する」と、そんな傲慢きわまりない自惚れを抱いていたのかもしれない。普段の茜があんまりにも神童に対して一方通行なので、神童さえそれに添うて進めば、彼女は黙って微笑み、足並みを合わせるのだと――

 どうしてそんなふうに思い込むことができたのか。だいたい、自分は今まで一度だって、茜と寄り添って生きることを望んだだろうか。熱く見つめる双眼が、ふいに見えない壁で自分を弾いた気がして、腹を立てているだけではないのか。

 神童は、自分の浅はかさに顔を真っ赤に染めた。なんという馬鹿げた勘違いだろう。恥ずかしい。茜を直視することができずに俯く。食べかけのかき氷が、シロップに溶かされて赤い水になり始めていた。


「ううん、ちがう。そうじゃなくて」

 向かい側から声が聞こえる。その声はとろりと甘く、高い。女の子の声だ、と当たり前のことを何故か今思った。

「シン様が、困るでしょう?」

 そう言った茜がどんな顔をしていたか、神童にはわからない。呆けたように見直した時には、茜はいつもと同じおっとりとした表情だった。なのに、発された声は、どことなく寂しげに聞こえた。

「俺に……俺が困るから、わざわざ他の人に知られないように、待ち合わせまでして?」

「うん」

 茜はゆっくりと頷いた。

「じゃあ、そしたらなんで、そこまでして俺を誘ったんだ?」

 不粋だとわかっていながら、それでも神童は訊いた。茜はめずらしく照れくさそうに笑い、上目遣いで神童を見た。

「シン様のいろんな顔、もっと見てみたかったから」

 ボッと音がしそうな勢いで、神童は赤面した。先ほどの羞恥からくるものとは違う。足元からおぼつかないものがぶわっと体を押し上げ、地団駄を踏みたくなるようなエネルギーを生みだす、壮絶な気恥ずかしさだった。体内を暴れまわる衝動をごまかすため、神童は急いで残りのかき氷をかきこんだ。心地よい冷たさが喉をつたい、腹の方へと流れていく。頭は多少冷静になったが、それでもいまだ顔の火照りはおさまらない。

 ――パシャッ!

 聞き慣れた音がした。店内に合わせてか、フラッシュは光らない。何度目かの反射的な動作で面を上げると、見慣れたビビットピンクのカメラを構えて、山菜 茜が口角を上げていた。

「かき氷を食べるシン様……素敵」

 神童が写っているであろうカメラの画面を見つめ、いつものようにうっとりと微笑む。恍惚としたその表情には、何者をも邪魔できないなにかがあり、つい「ここ、ここ。実物がここにいるよ」と顔の前で手でも振りそうになった。


 溜め息を吐き、神童は頬杖をついた。茜はまだ楽しそうに神童の写真に陶酔している。彼女の注文した白玉クリームあんみつのアイスが、神童のかき氷と同じく、溶けて半流動状の物体と化していた。真夏日というにふさわしいこの暑さでは、クーラーの冷気も効果がないのだろう。

 神童は、手で自身の顔を扇いだ。暑い。まったく本当に、今日は熱い。






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