「神童、俺は前々から思ってたんだ」

「? どうしたんだ、霧野」

「どうしたもこうしたも……なにか感じることはないのか? この状況下に」

「状況?」

 さっぱり意味がわかりませんというように首を傾げた神童に、霧野は「マジかよ……」と呟いた。顔の上半分に縦線が浮かんだようなその表情に、神童は「具合でも悪いのか?」と心配そうに眉を下げる。だが、あいにく霧野の内心は「お前こそどこか悪いのか」という辛辣なものであったため、ひくつく口端を諫めることすらできなかった。幼き頃からの付き合いで、なにもかもを抱え込んでしまうきらいのある神童を支えるのは、良き親友の霧野 蘭丸である。しかし、霧野は時々この幼なじみのことがわからなくなる時があった。真面目で責任感が強く、先輩によい後輩、後輩によい先輩、頼りになってサッカーの実力も優れたどこから見ても文句のつけ所のないイケメンの神童 拓人は、色恋沙汰に関して非常に、それはもう非常に疎い。その疎さたるや、本当に年頃の男子なのかと問いたくなるほどだ。


 霧野はそろりと、神童の背後に視線を向ける。神童の斜め後ろ――向かい合って会話する霧野と神童よりは距離はあるが、それでも2メートル以上の間隔を開けない位置で、山菜 茜がしきりにカメラのシャッターを切っていた。最新式のデジタルカメラで、時には自動連写、時には自身の指で高速シャッターを切る。パシャパシャと、いったいこれで何十回目になるのかわからないシャッター音。光るフラッシュ。一番いいアングルを探して動き回る茜。微動だにしない神童。頭痛を催し始めた霧野。

 山菜 茜が神童のことを「シン様」と呼び、そのカメラにおさめ続けていたことは、サッカー部内では周知の事実だ。普通、若い女の子が若い男の子を写真に撮り、ファンとストーカーの境目をゆらゆらするレベルの追っかけをしていれば、周りは彼女が彼のことを好きなのだと思う。さらに、茜はこの年からサッカー部のマネージャーへとその位置を変えた。より近くで神童の姿をカメラにおさめることができるようになった茜に余念はない。暇さえあれば、こうして神童の傍でカメラをかまえている。マネージャーとしての仕事をしているより、カメラをかまえていることの方が多いのではないかと疑ってしまうほどだ。

 それだというのに、神童ときたら、この至近距離で写真を撮られまくっているのに顔色一つ変えない。霧野にシャッター音が聞こえ、フラッシュが見えているのだから、目の前の男だって気付かないはずはない。なのに、それについてはちっとも不自然だと思っていないように、霧野との会話に興じている。いっそ茜の存在をシカトしているように。


「神童……それは、あえて無視しているのか?」

 痺れを切らして、霧野は茜を指差した。いい加減、パシャパシャという音と眩い人工的な光でおかしくなりそうだ。見慣れた光景だとは言え、戸惑わなくなることはない。神童の落ち着き払った態度に「コイツ大丈夫か」と思う程度には、この状況が変だと理解していた。

 神童はきょとりと目を瞬かせた後、霧野の指差す方に視線を向けた。注目された茜は、神童の正面からの写真を一枚撮ってから、ニコリと笑った。

「ああ、山菜。部活の写真を撮るのはいいが、あまり陽の下にいすぎるのはよくないぞ。熱中症にでもなったら大変だ」

「はい、シン様」

 茜はふわりと笑って言うと、くるりと踵を返してベンチに帰っていった。


「マネージャーたちにも水分補給をしっかりするように言わなければな」

「いやいやなんでだよ! そこで紳士発動する意味がわかんねーよこの坊ちゃん!」

「? どうしたんだ霧野、そんなに興奮して。熱中症か?」

「だから注目すべきは熱中症じゃねーよ! なに、なんで普通にスルーなの!? 山菜が写真撮ってることに対してのツッコミは!?」

「写真? ――ああ、部活の写真を撮っていることか。そんなの前々からだし、自分たちのプレーを写真で見て、問題点や課題点を改善することも大切だろう?」

「いや、そうだけども! 今休憩中じゃん! プレーしてないじゃん! 山菜お前しか撮ってなかったじゃん!」

「そうだったか?」

「ダメだこいつううううう!!」

 女子と見紛うような愛らしく可憐な顔を、えもいわれぬ絶望的なそれに変えて、霧野は膝を折った。二つに結ったピンクの髪がブワリと舞う。オーバーなその動作に、神童が「どうした霧野! やっぱり具合が悪いのか!? だ、誰か保健室へ……!」と慌てふためいた。


 ここまでくると鈍いという言葉だけですましていいのか、霧野は他人事ながら頭を抱える。神童は茜の密やかな憧れに気付かないどころか、まず自分を撮るため――神童の傍にいるためにサッカー部へ入部したことすら知らないのだ。誰の目に見てもあからさまな好意を、天然とも鈍感ともつかぬ圧倒的にずれた感性でスルーしている。迷惑しているわけでもない。なにせ、わかっていないのだから。

 別に、茜の気持ちを汲んで付き合ってやれなどと、お節介なことを言い出すつもりはない。だが、この二人ははたから見ると変なのだ。かなり、変なのだ。南沢先輩などは、「案外放っておいたら、いつの間にかどうにかなってるさ」と軽く言っていたが、この二人が放っておいてどうにかなるとは思えない。霧野は拳を握る。なんとかして、神童にわからせなくては。まず、茜が撮っている写真のほとんどが神童の姿であるということくらい。それは、茜の気持ちがどうこうよりも、中学二年生にもなって女子からの好意一つ解することのできない神童をどうにかしなければ! という、ある種保護者じみた心理からだった。

 霧野は立ち上がる。神童はいまだ「大丈夫か、保健室へ行かなくて平気か」と騒いでいたが、断固とした態度で「ああ、問題ない」と答える。

 さて、どうしようか。この鈍感に恋のあれこれを教えるのは骨が折れそうだ。まずは、茜がサッカー部に入部した理由から始めようか。しかし、第三者が他人の恋心を勝手に明かすなど無粋ではなかろうか。でも、このままではなんの進展もしないであろうし……

 悶々と霧野が考え込んでいると、神童が何かを思い出したように「あ」と声を上げた。


「そうだ、忘れていた。霧野、言おうと思っていたことがあるんだ。俺、山菜と付き合うことになった」

 瞬間、霧野の端正な顔が、点と線のみで構成されたいやにあっさりとした顔になった。余計なものを省いたそれは、表現するなら「ポカン」というもので、つまり霧野は盛大に呆然とした。少し頬を赤らめて「お前には言っておかなければと思って……」と気まずそうに、けれどうれしそうに神童は話した。霧野の脳内に、「ほらな」と、どこか勝ち誇ったように前髪をかき上げる南沢がいた。

「どういうことだってばよ……」

 無意識に口から零れた瞬間、ベンチの方からまたパシャリと軽快なシャッター音が響いた。





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