手の中で、コンビニのビニール袋がガサガサと揺れた。息を吐くと、呼吸は白く色を付け、空気中に拡散した。不動は、自身の左手に握られたビニール袋に目を向け、ついでに隣を歩く少女を盗み見た。彼女は機嫌よさげに目尻を緩め、軽い足取りで帰路を歩んでいる。

 寒い時にわざわざアイスを好んで食べるというのが、不動にはどうしてもわからなかった。こんな、歩くだけで身にまとわりつく冷気に凍えるような時期に、何故氷の塊など食べたがるのか。別に不動はアイスが嫌いなわけではない。むしろ、夏になればそれこそ毎日のように食べるし、その冷たさをとても好ましく思う。だが、暑い時以外で、なかなかアイスを食べようという気にはならない。それだけのことだ。しかし、「なんでこのくそ寒いのにアイスなんか食わなきゃいけねぇんだ」という文句は、出掛けの際にすでに発してしまっている。それに対する冬花の答えは、「寒い時に食べるからこそ、違うおいしさがあるんだよ」だった。体よくごまかれた気がしたが、それ以上言い募ってもどうにもならないことを不動は理解していたので、何も言わずにコートを羽織った。


 横一列に並んだ二人は、特に会話することもなく、家までの道を歩く。着込んできたというのに、それでも体を刺す風は冷たい。不動が外へ出たがらなかったのは、冬にアイスを食べるなんて云々より、この方が大きかった。本来なら、こんな寒い日はストーブの前や炬燵の中で暖を取るのが一番だ。その法則を無視して屋外へ連れ出されたことが、不動が不機嫌である最たる理由だった。

「ねえ、不動くんは大きくなったら何になりたい?」

 ふいに、冬花が口を開いた。脈絡の「み」の字もない切り出しに、不動は「はあ?」と眉を顰める。

「なんだよ、急に」

「そういえば聞いたことないな、と思って」

 けろりと言うので、不動は面食らった。確かにそんな話をしたことはなかったが、それはお互いに必要がないからこそ、しないのだと思っていたからだ。不動と冬花は、夢物語を聞かせ合うようなロマンチックな関係ではない。

 どうして彼女が突然そんな話を持ち出したのか、不動は考えた。そしてふと、彼の頭に“卒業”の二文字が浮かんだ。不動と冬花は、今年の春で中学を卒業する。進学する高校はバラバラだ。学力やら進む道を考えたら、自然なことだった。不動もしばらくは今のまま久遠家に同居するが、自分である程度生活できる資金が貯まれば、出て行こうと思っている。そうすればきっと、冬花と不動の接点はなくなるだろう。

 人より感情の起伏が乏しいといっても、冬花もやはり女だ。過ぎていく季節や薄れゆく思い出に、感傷的になることもあるのかもしれない。不動は仕方なく、頭を捻った。


「生活に困らない稼ぎがあればいいな、くらいは思うけどよ」

「サッカーは続けないの?」

「……続けねぇな。多分」

「そっかぁ」

 不動は他の仲間たちのように、遠い将来もサッカーを続けていたいとは、正直思っていなかった。己の実力を考えたら、プロにいくのは非常に困難なことに思えたし、コーチや監督になって小さな子どもたちにサッカーを教える、なんてことはもっと考えられなかった。つまるところ、リアリストである不動は、自分にとって一番的確であろう未来を選ぶつもりでいた。サッカーは趣味程度に続けられれば十分だった。


 それ以降は冬花も何も言わず、不動も言葉を重ねはしなかった。二人でいる時は、余計なお喋りをすることは少なかった。

 ふと、不動の左手と冬花の右手が触れた。一瞬のことで、歩く動作によってすぐにそれは離れた。だが、何故か冬花の手が不動の手を追って密着してくる。手の甲に触れる彼女の手に、不動は苦々しく顔を歪める。けれど、それは表面上だけで、心の中では彼は喜んでいた。なので、抱えたビニール袋を右手に持ちかえ、すぐ傍の冬花の手を取った。冬花は少しだけ肩を揺らしたが、拒むことなく彼の手を握り返した。冬花の手は柔らかで小さくて、冷たかった。


 前方に、踏切が見える。まさに今閉まらんとするところで、「カンカンカン」と打ちつけるような音が響いていた。不動は思わず舌打ちする。ここは、開かずの踏切と言われることで有名だった。まったくタイミングが悪い。しかし、閉まってしまったものはしょうがないので、おとなしく開くのを待った。

 場が沈黙した。普段なら別になんとも思わないだろうが、今は手を繋いでいるという照れもあって、不動は居心地が悪かった。それを払拭するため、彼はめずらしく自分から口を開いた。

「お前、高校生になったらしたいこととかねぇの?」

「え……? 高校生?」

「なんかあんだろ、普通。バイトしたいとか、彼氏作りたいとかいろいろよぉ」

「どうしたの、急に。らしくないね」

「お前がさっき『大きくなったら何したい?』とか未来予想図な話題を持ちかけてきたから乗っかってやってんだろうが、察しろ!」

「んー……」

 不動の怒りを間延びした相槌でさらりといなした冬花は、顎に人差し指を添えて宙を見上げた。

「そうだなぁ」

「…………」

「…………」

「…………」

 何故この間に電車が通らないのか不思議なほどたっぷりの間を取って、冬花はひょいと顔を上げた。

「不動くんと手を繋ぎたい」

 今度ばかりは心顔共に苦々しくなり、不動は眼前の少女をねめつけた。

「今、手繋いでるからって適当に言ってんじゃねぇよ」

「適当じゃないよ。ただ“高校生になってからしたいこと”なんて、考えたこともなかったから」

「やっぱり適当じゃねぇか!」

 声を荒げる不動に、冬花は首を傾げた。

「じゃあ不動くんは、高校生になってからしてみたいことあるの?」

「あ? 俺? そうだな、えーと、あー……」

 そう言われたら、これと言ってないような気がする。

「ほら、不動くんだってないじゃない」

 冬花が無邪気に笑った。なんとなく負けたような気分になって、不動は「ふん」と顔を背けた。


「私ね、あんまり未来のこととか考えないの」

「あぁ? じゃあ、なんでさっきあんなこと言いだしたんだよ」

 そこで不動ははたと気付いた。冬花は不動に「大人になったらどうしたいか」と訊いただけで、「自分がどうしたいか」は一言も言っていない。

「不動くんがどう思ってるか知りたかったから」

 そう言って、彼女はうっすらと微笑む。

「なんだそれ」

 不動はその台詞で会話を切った。

 そういえば、彼女はあまり先の話をしない。引っ張り出せる記憶の内でも、彼女の口から将来の展望や願望などは聞いたことがないような気がした。過去を失った経験から、そういったことに疎くなっているのか。それとも、いつか失くすかもしれない今を尊んでいるのか。どれにしても、妙に悲しい考え方だと思った。しかし、最も合理的な考え方だとも言えた。

 不動は何も言わない。相手の奥底の部分をほじくり返すのは、不動のよしとするところではなかった。冬花が、不動の家庭環境に関して、余計な干渉をしないのと同じように。


 電車の音がかすかに聞こえた。やれやれようやくか。不動は溜息をこぼした。この踏切は、もう少し設計を考え直したほうがいい。くい、と左手が引っ張られる。相手は一人しかいないので、不動は隣の冬花に目をやった。冬花は不動をじっと見つめ、何事かを言わんとしている。

 冬花の口が開く。遠くからガタンゴトンと、重い物体が跳ねる音が近づいてくる。冬花の唇が動き始める。電車が目の前を通過する。聴覚には「ガタンゴトン」しか入ってこない。風圧で互いの髪がふわりと踊る。不動は寒さに身を縮める。冬花は立ち止まったまま、唇だけを動かしている。その瞳に自分が映る。電車が通過を終える。冬花の唇も動きを止める。踏切が上がる。冬花は身動ぎもせずに不動を見上げている。


「……わりぃ。聞こえなかった。今なんて?」

「なんでもないよ」

 そう言って、冬花は不動から目を逸らした。「なんでもないわけねぇだろ」とぼやく不動の手を引き、踏切横断を先導する。

 その手がふいにギュッと彼の手を握りしめるものだから、なんだか不動には、先ほど冬花が何を言っていたかわかったような気がした。不動にとっても、できるのならば望みたい未来。けれど、ここでそれを口にしたり、問い詰めたりするのは、気の利いたやり方ではない。なので、彼はただ、強く握られた手に力を込めた。

 冬花が肩越しに振り替える。かすかに揺れる瞳に、どうしてか鼻の奥がツンとした。




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▽だいぶ前にとある尊敬するサイト様の企画に提出させていただいたもの。今さら感ハンパないんで、リンク等は載せないでおきます。思えば初めてのイナイレ文だった…。





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