緩やかに輪郭を撫でたまま、その恋は終わろうとしていた。


「すごいな、秋! 桜の雨だぞ!」

「雨って。吹雪とか言わない?」

「あれ? そうか?」

 パッと輝くような笑顔で振り向く円堂に、秋は口元に手を添えてクスクスと笑った。円堂はそんな秋にまたお得意のニカリとした笑みを見せると、「綺麗だなー」と感嘆の声を上げながら前に向き直った。素直な感想だ、と思いながら、後ろから彼の姿を見つめる。その背中は年相応に狭く、しかし秋のものよりは確実に広かった。この背中が、あらゆる困難を越え、様々な敵と対峙し、たくさんの仲間を守ってきた。そんな日々の中で、彼の背中は秋の知る一番古いものからだいぶ大きくなった。よく知っている。一番近くで見てきた。それはもう、遠い思い出のようになっている。

 河原に立つ桜の木は、薄桃色の花弁を満開に咲かせていた。まるで、もうすぐ迎える卒業を、にわかに暗示しているようだった。桜を見て感傷的になるのは、それがきっと別れの季節とかぶるからなのだろう。新しい出会いはうれしくとも、終わっていくあれこれは、やはり寂しく尊いのだ。


「なあなあ秋、知ってるか? 桜の花びらを地面に落ちる前にキャッチすることができれば、願い事が叶うんだってさ」

 そう言って円堂は、あたりをピンクに染める花びらたちを一心不乱に追いかけだした。ウロウロと危ういその足取りに「こけたら危ないよー」と声をかけながらも、「円堂くんったら」と微笑むその余裕は、どことなく母親のそれに似ていた。

「心配するなって! キャッチには自信あんだから」

「『ゴッドハンド!』って言ってキャッチするの?」

「あはは、そのへんの花びら全部取れるぞ」

 邪気なく笑う明るい笑顔は、太陽よりもずっと眩しく秋の目を焼いた。ときめきよりずっと熱い愛しさで身を焦がした。うっかり目を細めてしまうほどだった。

 秋は思う。もうじきなにもかもが終わる。雷門で過ごした日々も、サッカーにかけた青春も、円堂と秋の関係も、もうすぐ終わってしまうのだと。漠然としていながら、そういう時の予感はいつも的中してしまうものなので、おそらくあと数ヶ月後には、秋と円堂はこうして肩を並べてはいないのだろう。使い古したおもちゃを忘れ去るように、思い出を胸に抱いたまま、箱に蓋をするのだろう。桜の花びらを追いかけるようなものだ。手を伸ばせば届くかもしれないが、それをつかむにはかなりの努力と根気を必要とする。たぶん、秋にはそのどちらもがあった。しかし秋は、桜の花びらをつかむようには、円堂を好きでなかった。落ちていくものを必死に追いかけて、ボロボロになりながらたった一枚をつかみとるような、そんな気持ちの向け方をしていなかった。そうすることができたなら、この先訪れる別れを絶つことができるのだろうが、それはしない。どうしてかはわからない。怖いのかもしれないし、諦めているのかもしれない。なかったことにできるほど軽い気持ちではないが、胸に秘めて一生とっておきたいくらいには、大切なものである。だから秋は、落ちていく花びらを眺めて、ゆらゆらと風に舞うそれを網膜に焼き付けようと目を凝らす。水面に反射した太陽の光がキラキラと輝いて、円堂の背中を白く縁取る。夢を見ているみたいだった。秋は己を、幻想を追い求める子どものように感じた。いくじがないのは前提だが、もしかして自分は長年築き上げた彼への恋心を、崩すことも汚すことも傷付けることもしたくないだけなのだろうか。


 それでも、いい毎日だったと思う。円堂と出会い、またサッカーを始め、いろんな仲間と知り合い、たくさんの経験をした。どれもこれも失いがたい思い出で、いつまでも忘れたくない宝物である。そんな中で、円堂との思い出は、ひときわ印象に残っていた。消えないように細部まで記憶しようと努めているからだ。けれど、これもいつか風化して消えていくのだろう。諦めたいわけでも達観したいわけでもないのに、秋はそういう悟りだけはかなり早い段階から築いていた。彼の隣を笑って歩く自分は想像できても、彼の腕に自らの腕を絡め、甘えるようにすり寄る光景は想像できなかった。しっくりこなかったのだ。秋自身がしっくりこないことを、どうして世界が認めてくれるだろう。それに、こんなに近くにいても進展しない関係なら、やはりこの先も進展するとは考えにくかった。

 お互いの感情と距離感の違いに違和感を持たないほど、彼女は鈍くはなかった。だが、やはり子どもだから、「もしかしたら」を信じたかった。信じて、何もせずに傍にいるだけで願いが叶うなんて、そんな夢物語は漫画の中にしかないのだと気付いたのは、実はここ最近のことである。

 ――いつまでも円堂の応援団長でいたい。それはこれからも変わることはない。これからもずっと、円堂がどんな道を選んだとしても、彼女は彼を応援し続ける。そう決めている。たとえ隣に自分がいなくとも、円堂が違う誰かを選んだとしても、変わらない。それだけは不変でいさせてほしい。写真を焼くように、心のフレームの中だけでいいから、飾らせてほしいと願っている。


 穏やかな3月の昼下がりは、微笑むほどに暖かく、涙を堪えるほどに肌寒かった。円堂がようやく花びらをつかむ。振り返って秋の名を呼ぶ。こちらに向かって拳を突き上げるその姿はまぎれもなく円堂で、零れる笑みは泣き顔ともつかぬものになった。

 だから秋は、目を見張る円堂を安心させるために、大きく手を降った。駆け寄って、抱きついて、彼が握る桜の花びらに二人の願いを込めたのなら、この胸の痛みはおさまるのだろうか。





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