障子は音もなくすらりと開いたが、彼女は振り返った。戸口はやはり開いていて、そこに一人の男が立っていた。その後ろに真っ暗な闇が見えた。墨を零したように、他のものが何も見えないような、圧倒的な闇だった。行灯の光に照らされて、男の姿だけがぼんやり薄明るかった。なんとも言えない表情をしている。思案することはたくさんあるが、もう何も考えたくないと言うような疲れた顔つきだった。

「おかえりなさいませ、よくご無事で」

 三つ指を付いて少女が頂(こうべ)を垂れると、男はふう、と小さな息を吐いて、

「待っていたのか、しおり」

 と、絞り出すように言った。

 少女は頭を上げて、男の顔を正面から見据えると、「食満先輩」と男の名を口にした。

 それであらゆるものが瓦解した食満は、よろよろと足を進めると、戸のすぐ前に半ば崩れるように座り込んだ。はあ、はあ、と零す息は、間隔は長いが、苦しさを多分に含んでいたから、しおりは自分の方から近寄った。

 食満の頬の輪郭を柔らかく撫で、そこに付いた赤黒い血を指でこすった。

「怪我をしたんですか」

「少しな、それほど深くない」

「じゃあ、ほとんどは――」

「他人の血だ」

 自嘲するように頬を歪めたが、もう表情筋一つ自分の意思では動かせなかった。口端がピクピクと痙攣した程度だ。だから、しおりが食満の体をゆっくりと床に押し倒しても、食満はなすがままの状態だった。これが敵であったなら、彼も獰猛で鋭敏な忍の牙を剥いたことだろうが。いかんせん目の前にいるのは、かわいくて仕方がない、愚直で頭のよい少女であった。

 しおりの手が食満の手を取った。もっとも赤の面積の広いそれを、同じように赤い舌をちろりと出して舐めた。しっかりと目線だけは食満に向けたまま、

「貴方の罰を、私も受けましょう」

 そうして、食満の手についた血を、少しずつ、少しずつ、唾液で溶かし始めた。食満はそれを、ぼんやりとした目で眺めた。

 ――可哀想に。まだ、こんな薄暗いことを知るには早い学年だというのに。自分と関わってしまったがために、自分の中にまで踏み込んでしまったがために、覗き込んだ闇。後戻りのできない、夜道のような先を、彼女はこの年で知ってしまった。

 手を綺麗にすると、しおりの舌は食満の顔、首、果ては血に濡れていない装束の内まで入り込んだ。袴の紐を緩め、上衣を広げられ、褌を取られ、少女の舌が下半身へ伸びても、食満はやはり微動だにしなかった。血はすでに体のどこにも、おそらく付いていなかった。

 しおりの愛撫で、食満の男根はそれでも正直に固くそそり立った。それを見定め、しおりは自分も袴を脱いだ。ぎこちない動作で、己の入り口に食満のモノをあてがう。決心するように目を固く閉じ、少女は腰をおろした。締め付けてくる肉壁に、食満は眉を顰めた。視線だけを横に向けてみれば、未だ戸口は開きっぱなしになっていた。重たい腕を上げ、それを閉める。しおりが息を荒げながら、それを不思議そうに見やった。

「外から見える」

 そんな言葉で理由付けたが、本当は、あの男が見ているような気がしたのだ。自分が命を絶ったあの男が、虚ろな目で、責めるような瞳で、こちらを見ているような気がしたのだ。

 拙い動作で腰を振るしおりの目から、涙がポロポロと散った。唇に付着した血液が、いやに扇情的に彼女の白い肌を飾った。

 もう指先を一寸動かすのも億劫だった。気持ちよさは感じるが、上半身と下半身が別の生き物になったように、悦んでいるのは下半身ばかりであった。疲れと眠気と快感による痺れが、目の前に白く靄をかける。その靄の中に、ふと、浮かんだ影は誰だったか。自身の返り血の持ち主だったかもしれない。けれど、想像の中の相手は血を流してはおらず、口元を綻ばせて笑んでいた。食満は、そいつの笑顔など見たことはなかったというのに。殺気に血走った眼(まなこ)と、死という絶望に飲み込まれる顔しか、見ていないというのに。

 きっとしおりが拭ってくれたからだろう。憎悪や殺意や苦しみを、請け負ってくれたからだろう。彼の罪を、罰を、分け合う覚悟をしてくれたからだろう。こうして自分を包み込んでくれるからだろう。

 食満はひどく穏やかな気持ちで意識を手放したが、その目尻からは、涙が一筋頬をつたった。




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