「いっちゃーん。堪忍やからこっち向いてくれへん?」

 萎れた呼びかけは、無言という反抗によって退けられた。向けられた背中は、頑として屈さないという意志をありありと発していて、当分動きそうにはない。弱ったなぁ、と伸ばしかけた手を垂れながら、千洋(ちひろ)は肩を落とした。

 恋人である苺(いちご)は、恋人らしい振る舞いをあまり好まない。好まないという言い方が悪いとするなら、慣れていない。これまで、本命への気持ちをひた隠しにして、適当な女の子たちと軽く付き合っていた千洋と違って、彼女は正真正銘、千洋が“初めての彼氏”なのだ。手を繋ぐことも抱き合うことも、下の名前を呼び捨てにすることすら、二人きりでなければ嫌がる始末だ。そんな苺に、うっかりその場の衝動でキスなんてしてしまったのが悪かった。涙目になりながら顔を真っ赤にし、声にならない悲鳴を上げてから、一度もこちらに向き直ってくれない。

 最初に好意を向けたのは彼女の方だが、互いの気持ちが通じてからは、千洋のスキンシップにも過剰に照れるようになった。まあ、元より素直とは言い難いタイプだ。隠しきれていない本心が漏れていたり、表情がすべてを語っていたり、言葉や行動の裏にあるものが優しかったりするので、なんだかんだ正直な子でもあるのだが。いわゆるツンデレというやつだ。

 逸れた思考を叱りつけながら、千洋は悩んだ。目の前にある小さな背中が愛しい。けれど、これ以上触れようものなら、今度こそ口を利いてもらえなくなるかもしれない。

 付き合っているのだから、少しくらいイチャイチャしたっていいのではないか。――そう思う気持ちも確かにあるが、これまでいろいろ彼女に我慢を強いてきた経緯があるので強くは言えない。臆病な自分に、様々な壁を取っ払って歩み寄ってくれたのも、実羽(みはね)とのことで傷付いた千洋を受け止めてくれたのも苺なのだ。大切にしたいし、尊重したい。けれど、どんなことがあっても一心に自分を想ってくれた彼女だから、ちょっとやそっとのことでは見捨てられないだろうと自惚れているのも事実。

 どうしたものかと逡巡していると、か細い声が、向けられた背中から聞こえた。

「別に……嫌とか、そんなんじゃないんです」

 よこされた台詞に、千洋は無意識に「へ?」と呟いた。

「ちーさんのこと、その、す……好きだから、触られるのは嫌じゃないです」

 恥ずかしくてたまらないのか、言葉は途切れ途切れで小さい。彼女の精一杯が伝わってきて、千洋はフワリと体の中に湧くあたたかさを感じた。

「ただ恥ずかしくて――わっ!」

 本能で行動してはいけないとわかっているのに、どうしても抱きしめずにはいられなかった。ぎゅうっとしがみつくように包んだ体は、相も変わらず小さい。あわあわと、千洋の腕の中で慌てふためく苺は、肩越しに彼に視線を向けた。

「ちょっと! 話聞いてました?」

「聞いてた聞いてた」

「嘘ばっかり!」

「嘘やない。聞いとったから、たまらんなったんや」

「?」

 どういうこと、とは口にせずとも気配で伝わる。キョトンとしているのは顔を見なくとも察せるので、千洋は苺の頭に顎を乗せたまま、そっと溜め息を吐いた。まったく、無自覚というのは困る。こんなふうに、突然心を乱してくるからだ。彼女が言うには、千洋はタチが悪いとのことだが、お互い様ではないかと思う。

「いっちゃん」

「はい」

「俺も好き」

「!」

「こんな俺のこと、想ってくれてありがとう」

「私、こそ」

 消え入りそうな返答も、室内に二人しかいないから、きちんと千洋へ届いた。満足げに見下ろすと、苺の耳は真っ赤になっている。ついつい悪戯心が出て、「好きや、苺」と耳元で囁いてみれば、小柄な体躯はビクリと大袈裟に跳ねた。

「いまだにこの呼び方慣れへんの? かわいいなぁ、苺は」

「もっ、もう! ちーさんの馬鹿!」

 怒ったように声を荒げながらも、千洋の腕を振りほどこうとはしない。

 ――まったく、素直なんだか素直じゃないんだか。苦笑しながらも、千洋はますます強く彼女を抱きしめた。神様、この子と出会わせてくれてありがとう、なんて、大仰な感謝を心の内で零しながら。




――――――――――――――


『悩殺ジャンキー』はウミとナカももちろん好きだったけど、私はちーさんといっちゃんが好きすぎてたまりませんでした。この二人を見届けるために、途中で止まってた漫画を買い集めたくらいです。ひたむきないっちゃんがかわいくて、ヘラヘラしてるくせに他人のことばっか思ってるちーさんが切なくて、大好きでした。
終盤らへんでちーさんがヤキモチ妬いて「え、俺いっちゃんのこと好きなの」ってなるとこでは、もう一人祭状態でした。いっちゃんに距離を置かれてショックを受けるちーさんもたまらんおいしかったです。

最終回はビックリしました。何年か経っただけであんなにラブラブになるとは…。まさかの苺→→千から苺(→)→←←千くらいになってて、そんな…そんな…ありがとうございます。「いつになったらキスに慣れるん」というセリフの衝撃。
なんだかんだナカたちより先に同棲とか始めそうな気がします。ちーさんは基本、自分の気持ち押し殺して相手を尊重するタイプだけど、案外相手が自分を裏切らないとわかると押しが強いみたいだから…ってか苺ちゃんにだけなの?どうなの?

エロモジャカメラマン堤氏が「苺」って呼んだ時に、なんでちーさんがその場にいなかったのかが永遠の謎れす…。妬いてもいいのよ。てゆーかあとがきが本文なみに長いなにこれ。




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