※歌パロ



 ノイズが鳴っている。それは寄せては返す波の音だと、木虎 藍は理解していた。ザザン、ザザン。落ち着く音だ。それと同時に胸を騒がせる音だ。こんな静かで澄んだ青い夜に、ざわざわと木虎の中は波立っている。

 三門市の唯一の海辺、その堤防を三雲 修と歩いていた。修は木虎の前を歩いている。木虎は彼の背中を睨みつけながら歩いている。

 はあっと木虎は息を吐いた。今夜はよく冷える。

 呼び出したのは木虎だった。修はなんの抵抗もなくついてきた。けれど、それから今に至るまでただの一つも言葉は交わされていない。優しい言葉が、二人の間にはなかなか成立しにくかった。木虎は普段から修には厳しい物言いが多い。修のほうは、純粋に木虎を心配したり、思いやったりしてくれる。だが、鈍感な彼の口からあふれる“優しい言葉”のどれも、木虎が真に欲しているものではなかった。噛み合わずに、歯痒い。こんな亀裂をなんとか埋めようとして、一日一日を無駄にしていた。

 それでも、木虎は修によけいな作り笑いを向けたり、元から多分にあるとも言い難い愛想を振り撒いたりはしなかった。したくなかった。なにがうれしくて、なにが楽しくて、そんなことをせねばならないのか。木虎は意地とプライドの塊だった。なのに、時たま「そうすれば思い合えるのかしら」などと考えてしまう自分がいた。すると途端にひどく馬鹿らしい気分になって、木虎の修への当たりは逆にキツくなった。

 眠れない夜も、それによってもたらされる体調不良も、偏頭痛も変な咳も慣れてしまった。けれど、そういうことにかぎって目聡く見抜いて「大丈夫か、木虎」なんて言う修にはイライラした。「あなたに心配されるほど落ちぶれてないわ」などと噛み付く自分も不本意だった。木虎がそんなふうでも、修は変わらなかった。変わらず、いつもだいたい無自覚で優しかった。関係がほころびそうになっても、修はそうやってやんわりと修復した。それが一番残酷だった。

 木虎は今度は一つ息を吸った。修は振り返らずに、行く当てもなく足を進めている。いつもなら、彼は最初の時点で「なにか用事か?」と訊いているだろう。しかし、今日はまだなにも言わない。それは木虎の様子がいつもと違うと気付いているからだ。自分のことに鈍く、他人のことには聡い彼は、木虎から“話しかけてはいけないオーラ”を感じ取っているのだ。内心では困惑していたりするのかもしれない。

 だが、いくら自分のことに鈍いと言っても――

 木虎は修の腕をつかんだ。冴えない眼鏡がようやくこちらを振り返る。一歩踏み出して、木虎は修に詰め寄った。

「どうして逃げるのかしら」木虎はまっすぐに修の目を射抜いた。

「なんのことだ」そう言う修の目は泳いでいた。説得力のかけらもない。

 しらを切るつもりなのか。ここまで来て。

 真上に登った白っぽい月が、小さな二つの影を照らしている。薄い色をして、修の肌が月光に照らされている。その目元には、後ろめたさのようなものが滲んでいた。明るい月明かりは、そんな彼の弱さをも照らす。

 木虎はグッと唇を噛んだ。もしかしたら、泣きそうな顔をしていたかもしれなかった。

 木虎は待っていた。けれど、たいがい待ちすぎてくたびれていた。……というよりは、我慢の限界だった。これ以上待たせるなと、木虎は口に出さずに視線に乗せた。それでも、修の視線は足元に落ちたまま上がってはこない。

 別に、受け入れなければ許さないなんて、そんなことは言っていない。ダメならダメだと、はっきり言ってくれればいいのだ。届かない夢ならば、さっさと始末してしまいたい。それができるのは木虎だけで、けれどそれには修の拒絶が必要不可欠だった。

 枯れた花に水をあげるようなものだ。無意味なことを繰り返しても無意味なだけである。今、こうして一方的な問答をしているのは、無意味以外のなにものでもなかった。歯痒さが膨らんで、胸中を押し潰すだけだった。

『私、三雲くんのことが好きよ』

 それは三ヶ月と十一日前のことだった。木虎 藍が三雲 修にした愛の告白だった。修と木虎は、本部と玉狛支部という勤務地の違いはあったが、初対面時からなんだかんだいろいろと交流を重ねてきた。仲良くはなかったが、木虎が修に嫌みを言ったり、またアドバイスしたり、修がそれに微妙に首を傾げたり、そんなふうだった。それがいつの間に告白などという展開に結び付いたかは、今は問題ではない。

 木虎は、きっと「ごめん」が返ってくると思っていた。好かれるようなことはしてこなかった。修を好きだと理解してからも、木虎の態度は変わらなかった。突然、意を翻してすり寄ったところでどうなると言うのだ。そんな上澄みだけの行動にはなんの意味もない。きっと修は彼女を不審に思うだろう。悪いものでも食べたのかと、心配もしてくれるに違いない。だから、木虎はいつもどおりだった。猫なで声を出そうと、低い声で叱ろうと同じなら、木虎は後者を選ぶ女だった。

『少し……考えさせてくれ』

 だから、修の口から放たれたその台詞には、思わず木虎も目を見張った。修はとても思い詰めた顔をしていた。それが彼の誠意で優しさなのだと思うと、木虎にはなにも言えなかった。

 だが、あれから三ヶ月、三ヶ月だ。この三ヶ月、修は考えていたというよりは、逃げていたように見える。問題を先送りにして、木虎を見かけるたびに踵を返して――むしろ考えることを放棄しているようだった。

「いい加減、答えを頂戴したいのだけど」

 修の口が薄く開いて、また閉じた。

「別に、あなたが私をフったって、それはあなたの罪にはならないわ。気に病むことはないの。基地内で言いふらしたりはしないし、あなたをなじったりもしない。ただね、」

 木虎はキッと、目尻を上げた。

「なあなあにされるのは我慢ならないわ。私は私で真剣に気持ちを伝えた。あなたはそれに真剣に応えてはくれないの」

「もう少し……」ようやく口を開いたと思ったら、修の口から出たのはそんな言葉だった。

 防衛任務をこなし、学校生活を過ごし、修行を積み、彼は忙しそうに時をこなしている。でも、それを隠れ蓑にして、いつまで後回しにするつもりなのだ。「そのうち」というのは一体いつのことだ。

 カッとなって、木虎は修の胸倉をつかみ上げた。無駄な動きのない、格上の相手に、修はギョッとしただけで簡単に捕まった。

 木虎は知っている。この修の“もう少し”の理由を。彼は怖いのだ。彼女との関係を変えることが。受け入れるにしろ、受け入れないにしろ、修と木虎の関係性はこれまでとは変わる。同じ組織に属する仲間から、それ以外のなにかへ。修はそれが怖いのだ。未知なる近界民に立ち向かう強さはあるのに、木虎との関係が変わることには恐怖する。答えを先延ばしにして、これまでと同じようにいられないかと無駄な足掻きをする。

「馬鹿を言わないでよ」

 地を這うような低い声が出た。修の胸倉をつかむ手が小刻みに震えた。

「私が、傷付かないとでも思ってるの……。あなたのその中途半端のせいで、私が苦しい思いをしているなんて、あなたはまるっきり考えないの」

 確かに、答えを出すことは怖いだろう。木虎だって、心構えはできているが、やはり怖い。「ごめん」と言われたら一晩は泣いて過ごすだろう。だが、強い彼女は次の日にはいつもの木虎 藍に戻り、以前と同じように振る舞える。振る舞おうと思う。そのくらいの覚悟をしていた。痛みはつきものだ。たいしたリスクも背負わないで、一体なにができるというのだろう。

「なにをそんなに躊躇うことがあるの」

 ギリギリと、彼の首もとを締め上げる。修の顔が歪むのは息苦しさからか、はたまた別の理由か。

 絶対に泣いてやるものかと思ったのに、不覚にも涙が一筋、木虎の頬を伝った。彼女自身も限界だったのかもしれない。修がハッとしたように目を見張った。こんなに近くで見つめ合っているのに、ロマンスは起こらないのか。とても虚しい気分だった。

「終わりにしましょう」

 それは提案というより、懇願だった。俯く修はなにも言えずにいる。

 生まれて間もない恋心は、生まれたての憂鬱と隣り合わせだった。




――――――――――


BGM:『もぎたての憂鬱/矢井田瞳』


思い付いて「ファッ…」となって書きました。なにがどう、と説明できるほどの具体性はないので、曲をBGMに流しながら「へー」ってかんじで見てください…。
三門市の海の有無を私はいまいち覚えていない。間違ってたらすみません。

しかしながら、私はラブコメするオサキトちゃんを推しています。




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