「ずっと一緒にいられるわけじゃないでしょう」

 彼女が当然のこととしてこぼした言葉に、小平太は眉一つ動かすことなく「なんで」と答えた。

 驚いたのは恵々子の方で、穏やかに緩めていた表情をひきつらせて呆然とするくらいには、彼の発言は予想外だった。

「『なんで』とは……?」

「なんでずっと一緒にいることができないんだ?」

「それは……だって……」

 あんまりにも小平太が堂々としているので、なぜか恵々子がしどろもどろになってしまう。自分を見つめる丸い目は、微塵の動揺も戸惑いも宿していない。反して、彼の瞳に映る自分は、まるで今にも泣いてしまいそうな頼りない顔をしていた。


「だって、先輩はこの学園を卒業したら、プロの忍者になられるんでしょう?」

「ああ、そのつもりだ」

「私も、できることならそうありたいと思っています。プロのくノ一になって、誰かのもとで働きたいと」

「ああ」

「だから……」

 続きは察してくれと願いを込めて、恵々子は小平太を見た。だが、言葉の続きが彼の口から補完されることはなく、彼はただ背筋を伸ばして彼女を見下ろしている。その目を見て、「ああ、言うつもりがないのね」と恵々子は即座に理解した。彼の目は、すべてをはねのけるそれをしていた。彼が強情になる時の目。いけどんマラソンをするぞ、予算をよこせ、細かいことは気にするな。──そういった、至極無謀な提案をよこす時に彼がする目だ。真っ直ぐに、逸れることもぶれることもなく、正直に己の道だけを進む目。決してその他の道や障害物が見えていないわけではないのに、それすらすり抜けて猪突猛進に前だけを見る目。

 彼が、七松 小平太である所以。

 それは彼の美点でもあり、また短所と見られる部分でもあった。人によっては、彼のこういった気性を自分勝手だとか自己中心的だと言う者もいる。だが、恵々子はこの男と知り合ってそう長くもない日々を共にする間、彼に苦手意識だとか嫌悪感だとかを抱いたことはなかった。知っているからだ。急進的な言動の裏にあるおおらかさを。乱暴な素振りの影にある優しさを。元気の中に潜む寂しさを。知っているからだ。馬鹿力だけでここまで生き残ってきたわけではないことも、後輩たちを真に大切にしていることも、いつも明るく振る舞うことがどれだけ大変なことなのかも。知っていて、その片鱗に触れてはいつも無性に胸が締めつけられるから、恵々子は彼からの好意を受け止めたのだ。

 そんな恵々子だから、わかっていた。小平太がこういう目をする時は、周りにある余計なものを全部吹っ切って、前だけを見据えている時なのだと。苦痛も批判も後ろめたさも抱える覚悟をして、臨んでいるのだと。忍者とくノ一になるべき二人が、いつか敵となり、お互いに殺し合うような日がくることは、自分よりも彼の方がよほどわかっているのだ。わかっていて、こんなことを言う。どうしてずっと一緒にいることができないのかと、彼女に問う。それは小平太の持つ不器用な優しさで、精一杯の愛情表現でもあった。忍のことに関してはいささか冷徹な面のある彼が、それとわかって目を向けないようにしている。


 ──ああ、一緒にいたいと思ってくれているんだなぁ……。

 自分の中にすとんと落ちてきた答えは、とても簡単なものだった。恋人同士として、これほど単純な心理もない。好きだから一緒にいる。なんて小平太らしい考えだろう。そのあまりの彼らしさと、やはり馬鹿なだけではないという妙な切なさで、彼女は泣いた。だって、小平太ほどの人がわかっていて目を背けているということは、やはり彼はいつか来る別れを覚悟しているということだから。彼女よりずっと強くあたたかく冷静に、二人の未来に見切りを付けているということだから。それでも、今こうやって知らないふりをするのが、彼の優しさなのだ。促して、見ないでくれと願うのが、彼の弱さなのだ。つまるところ、離別を寂しく思うのは、小平太も恵々子も同じなのだった。ただ小平太の方が、ほんの少しばかり大人だというだけで。お互いの気持ちに、嘘偽りなどひとつも存在しないのだ。


 彼の手が、すいっと恵々子の手を取った。普段の彼しか知らない者なら、きっと目を見張るような繊細な手つきだ。けれど、こんなふうに触れる小平太をたくさん知っている恵々子は、驚くことなくそれを受け入れた。

 一瞬だけ動きを止めた後、小平太はゆっくりと恵々子の柔らかな手を持ち上げた。わずかに腰を折り、その白い肌に顔を近づける。そっと落とされた口付けは、左手の薬指にだった。

「いつかその時が来るまで、この指は私の予約済みだ」

 歯噛みするようなもどかしい笑みは、とても優しくて、やっぱり普段の彼を知る者なら驚いただろう。こんな顔は、自分だけが知っていたらいい。そして、こんな自分は、彼だけが知っていたらいい。たとえこの先、二人が離れる時が来ても、小平太は恵々子を生涯ただ一人の女とし、恵々子は小平太を生涯ただ一人の男とする。近くもない将来をそんなふうに夢想しながら、恵々子も笑った。愛おしくて、死んでしまいそうだった。




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