「メッ、メリークリスマス! それから、遅ればせながら誕生日おめでとう!」

 そう言って、バッと顔を伏せるようにしながら、相田 リコは両手を突き出した。「僕と付き合ってください!」と一昔前の告白をするような格好だが、彼女の手は肯定の握手を求めるものではなかった。両手の人差し指と親指で、なにかをつまんでいる。そして、その手にあるものを見た赤司 征十郎は、過去類を見ないほど間抜けに目を剥き出した。


       ・


 “クリスマスに二人っきりでパーティーをしましょう”。それが、赤司とリコが共通で考えていた恋人同士のプランだった。あまやかで、ひどくくすぐったい提案に、二人は電話越しにクスクスと笑い声を上げた。ありふれた恋人たちの、凡庸で幸福なワンシーンだった。

「クリスマス・イブ、赤司くんの部屋は空いてる? 赤司くん家でパーティーをしてもいい?」

「僕がクリスマスに貴女以外の予定を入れていると思いますか。もちろん、かまいません」

 臆面もなく、ドロドロに甘い言葉がデレデレの声で囁かれる。リコは口元をひきつらせて赤面した。恋人としての付き合いは半年ほどになるが、リコはいまだにこうしたやりとりには慣れない。赤司の言葉はストレートで優しく、恥ずかしい。また、それがどんな効果を相手に与えるかきちんと理解して言っている。だから彼が、こうして愛しい彼女を優しく虐めるのはもはや日常茶飯事であった。傍で見ている他者が、口から盛大に砂を吐くレベルである。

「赤司くんの誕生日も兼ねて、豪華なパーティーにしたいと思ってるの。まあ、メンツは二人だけだけど」

 リコは痙攣する頬を叱咤しながら言った。ここで彼のラブトークにああだこうだと突っ込んだところで、さらに顔を覆いたくなるような甘ったるい返しをされるのは、経験上わかっている。だから彼女は「恥ずかしい人ね、まったく」という台詞を押し込んだ。それに、奥手ゆえに普段なかなかそういうことを言えないリコにとって、赤司のそれはむずがゆくもあり、うれしくもあり、羨ましくもあるのだった。

「リコさんがいる――それだけで僕にとってはこれ以上ないほど豪華なクリスマスですよ。木枯らしの吹くパーティー会場だって、パンの切れ端のディナーだって、ジャージの正装だって、貴女がいればなによりも素敵なものになるでしょう」

「……そ、そう、あ、りがとう」
 羞恥で声が震え、ついでに体も震えた。付き合う前は「キザね」とバッサリ切り捨てていたが、今の自分たちはカップルである。彼氏から日常的に愛を囁いてもらえるのは幸せなことだと、周りの女友達も言っていた。素直に受け止めるのが、かわいい彼女への第一歩。リコは自身を奮い立たせて――実質、そこまで気負う必要はなかろうが――精一杯のキュートな声を出した。

「腕によりをかけて料理作るから楽しみにしててね。パンの切れ端云々のくだりなんて、忘れさせちゃうくらいに」

 赤司はまた静かに笑った。

「ええ。楽しみにしています」

 そうして電話を切った。リコはふぅと息をついて携帯を胸に抱きながら、カレンダーに目をやった。今日の日付は12月10日を示している。前に会ったのは9月のことだ。次に会えるのはクリスマス・イブ――。

「遠いなぁ」リコはぼそりと呟いた。

 東京と京都の遠距離恋愛は確かに愛を育てるが、寂しさだって確実に育てる。お互いに大学生として、授業にサークルにアルバイトにと多忙な日々を送っている。赤司のほうはアルバイトはしていないが、彼は京都の名門大学に、バスケの推薦で入学していた。サークルではあるが、リコの入っているような一週間に一回活動があればいいようなものではない。それはさながら高校時代の部活動と等しい本気なものだ。いまだに彼は、一週間ほぼ休むことなくボールに触っている。今月の18日からは、九州のほうで試合を兼ねた合宿があるとのことで、五日間の遠征に出かけることになっている。京都に帰るのは22日。赤司の誕生日である12月20日は過ぎてしまう。付き合い出して初めての彼氏のバースデーだが、残念ながら今年は電話かメールでおめでとうを言うことになりそうだ。リコはしょんぼりと肩を落とした。だが、それと同じくらい、もしくはそれ以上に、合宿の報告をする赤司の声は落胆していた。一緒に過ごせないことを、赤司も残念に思ってくれているのだ。そう思うと、少しの無念はパッと見事に晴れた。

 ――消灯は早いだろうけど、12時にはメールを送るから、絶対に私のものを最初に見てね。

 だから、そんなふうにめずらしくワガママを言うことができた。電話口で赤司が息を詰める気配があり、次いで「抜け出してでも電話を取ります。顔が見れないなら、せめて声を聴かせてください。僕の20歳の一番最初を、あなたに祝ってほしい」と熱っぽい声で懇願された。今度はリコが息を詰める番だった。上昇する体温を如実に感じながら、やっとのこと「うん」とだけ返し、その日は電話を切った。

 思い出してまた恥ずかしくなりながら、リコはベッドの上で膝を抱える。大切にされているなぁと、一人心の中で惚気ながら。

 確かに寂しくはあるが、リコは赤司がバスケをするのをとても尊く思っている。自身が数年前までバスケ部の監督として部員を鍛え上げていたこともあるし、バスケこそが自分たちを結びつけた無二の繋がりでもあったからだ。二回生にして、すでに名門バスケ部の主将に抜擢された赤司 征十郎の活躍ぶりは、他の大学でバスケをしているかつての仲間たちからも聞いている。高校時代から変わらず、他者を率いる圧倒的カリスマ性は健在のようだ。しかも今は、あの頃の恐ろしいプレッシャーが消え、背筋を凍らせた眼差しは柔和に微笑んでいる。さぞかし憧れられる存在になったことだろう。以前も確かにバスケットマンの憧れの対象ではあったが、目の当たりにした者はたいてい感嘆と同等の畏怖を彼に抱いた。崇高とも盲目とも言える信念の強さを、理解できないと不気味がる者も少なくはなかった。

 あの頃からもうずいぶん経ったのだなぁと、リコは懐かしく目を細めた。誠凛高校で女子高生ながらにバスケ部の監督をしていた自分、洛山高校で一年生ながらに主将の座についていた赤司。コートの上で火花を散らせ、死闘を繰り広げた。王者と挑戦者という違いはあれど、相手を完膚なきまでに叩きのめしてやろうという意思は同じだった。なんだかひどく感慨深いものだ。あんな時代を経て、今こうして彼氏彼女という関係を築いている。「予想外だ」と、現役時代のいろんな知り合いから言葉を頂戴したが、それはむしろこちらの台詞だった。昔の自分なら、あの男と聞くも語るも恥ずかしい睦言を囁き合うなど、想像もできなかったに違いない。それでも、縁はこうして人を繋げてしまうのだから、人生とはなにが起こるかわからない。そんなふうに、バスケは自分たちを引き合わせた。だから、リコは赤司がバスケを続けるのがうれしかった。彼がバスケをする姿が大好きだった。それはバスケをしていた仲間たちみんなに対してそうなんでしょう貴女は、と拗ねて見せる赤司の意外さも、好きだった。

 こんなふうに相手と関係を築くことを、赤司とリコは互いに不思議に思っていた。そして、それゆえに今この瞬間が、やたらと奇跡じみた輝きをもって、両者の胸に灯(ひ)をともすのだ。いがみ合った過去を持つからこそ、相手を好きだということ、相手が自分を好きだということに、ムズムズとしたかゆさがこみ上げて、その口元を綻ばせてしまうのである。

 クリスマスは、赤司の誕生日の分も最高に盛り上がるものにしたい。――そう、最高のものに。

 リコはゴクリと生唾を飲み込んだ。決戦は12月24日。これは重要なミッションだ。失敗は許されない。リコはまるで、1点差で負けている試合終了5秒前にスリーポイントを打つ体勢に入ったような緊張感を秘めながら、24日に大きな丸印を描いた。


      ・


 そうして、時は決戦の日を迎えた。リコは早朝から武装という名のオシャレを固め、新幹線という名の戦車で戦場へと赴いた。目的地は京の都。敵は愛しの恋人――をあっと言わせる一大イベントパーティー。

 相手の力量は概ね把握している。それは、リコの最大の武器である特殊な目――を使ったものではなく、今までの交流の中で身を持って学んだ教訓である。また、相手の脅威も、その目に秘められた恐ろしき特殊能力ではない。問題は、二人ともお互い以外の男女経験がないにも関わらず、赤司のスマートさがあまりに秀でているというところにある。しかしながら、此度の戦はリコのほうに軍配が上がっていると彼女は確信していた。必ずや、目にもの見せてくれよう。

 流れゆく景色を瞳に映しながら、リコは一人、行き過ぎてずれにずれまくった決意表明を新たにした。


 京都の駅に着いた時、リコは真っ先に赤髪の美青年を見つけた。「迎えに行きます」とは、先に彼のほうから告げられていたから驚きはしなかったが、駅のホームを出た途端、一発で目が彼をとらえたことには、思わず立ち竦んできゅうっとなるしかなかった。ざわめく人混みのなか、周囲の雑踏が黒い群れに見えるなかで、その赤は浮かび上がるように鮮やかに確立していた。ああ、見つけてしまうものだ、とリコは思った。

 赤司は黒のコートに、リコが誕生日プレゼントとして送った深い茶の手袋をしていた。柔らかな鹿革を使用したレザーグローブで、シックで落ち着いた、なかなか良い仕立てのものだ。それは彼の鷹揚に構えた雰囲気に、とてもしっくり合っていた。我ながら良いセンスだとリコは自賛した。コツコツとバイト代を貯めた甲斐があったというものだ。

 リコは二日分の荷物が入ったボストンバックを抱え直し、恋人の元へと走った。気配を察知したように、赤司の視線がスイッとこちらへ向いた。

「久しぶり、赤司くん!」

「お久しぶりです、リコさん」

 数ヶ月ぶりの、直接対面して交わす言葉だった。互いの顔が、自然とゆるく笑んだ。

「迎えに来てくれてありがとう。寒かったでしょ。……あ、ありがと」

 息を弾ませるリコの手からスルリと荷物をお預かりし、赤司は目元を綻ばせた。

「いえいえ、ちょうど今来たところですよ。リコさんのほうこそ、長旅お疲れ様でした」

 まるで待ったふうなどないように、赤司は言う。だがしかし、そんなことはきっとない。赤司は時間に遅れない。いつも15分前には待ち合わせ場所に来て待っている。それに、今日は二人の特別な一日の幕開けだ。心待ちにしていたのが自分だけではないことくらい、リコにもわかっていた。二人の立場が逆だった際には、リコは待ちきれずにそわそわと、新幹線到着の一時間前からまだかまだかと時計とにらめっこをしているのだ。赤司が何分前から自分のことを待っていてくれたかはさだかではないが、少なくとも今さっき来たわけではないと思う。そのぐらいは、自惚れてもいいはずだ。証拠に、赤司の鼻から頬にかけての肌は、牡丹のように赤くなっていた。

 そう思いつつも口には出さず、しかしニマニマと緩んだ表情は隠しきれなかったため、赤司 征十郎は首を傾げた。

「なにかおもしろいことでもありましたか?」

「んーん、別に」

 言いながら、リコは赤司の腕に抱き付いた。


       ・


 恋人たちの聖なる夜は穏やかに深まっていった。

 リコは宣言どおり、赤司のマンションへの道すがら、スーパーで食材を買い、それを使って今宵の晩餐をこしらえた。彼女の料理の腕前は、今や以前のリコを知る人間が見たら別人かと思うほどに上達した。ひとえに師である火神 大我の尽力の賜物だ。また、リコ自身の努力も並々ならぬものだった。なにせ“食物以外のナニカ”から“クリスマス・ディナー”になるまで進化したのだ。そこに至るまでの死闘がいかに切磋琢磨に満ちていたかは、想像に難くない。

 特に、赤司と付き合いだしてからのリコの気合いの入り方といったらなかった。なにせ、赤司 征十郎は何事においても完璧を追求する人間だ。妥協や手抜きをよしとしない。となれば、当然自炊も己が認めるレベルに到達するまで許さない。名家の子息として生まれ、日常的に庶民では一生口にすることができないような高級料理を食していた人間だ。そんな者が全力を尽くして作る料理の数々を目の当たりにした時のリコの心境は、今さら語るべくもないだろう。つまり、彼女の負けず嫌いに火を点けるには充分な火種だった。また「たいしたものではありませんが」という謙虚極まりない赤司の台詞も火に油を注いだ。

 ――彼氏に手料理を食べてもらいたいというのは乙女の心理だ。彼女に手料理を作ってもらいたいというのが男子の心理だと、いろんなメディアからの情報で聞いていればなおさらである。だからこうして、彼女は特別な日を祝うに足りうる料理を作ろうと一生懸命になるのだ。当の“彼氏”は、ビーフシチューの味見をするリコの手元を覗きながら、「火神 大我と貴女がそんな濃密な時間を過ごしていたかと思うと胸の内が黒く蝕まれるようだが」などとのたまっていたが、そこはリコの握り締めた拳を翳すことで相殺した。相田 リコが元誠凛高校のバスケットボール部をいかに大切にしているか、また彼女が本気になればあの赤司 征十郎の鳩尾にパンチを一発おみまいするくらいわけないということが、赤司 征十郎本人にはよくわかっていた。なので、両手を上げて「冗談です」と言うしかなかった。

 一人暮らしにしては広すぎる2LDKのキッチンで、二人はそんなふうに戯れながら夕食を作った。普通こういう時は「私がやるから座ってて!」と言うものなのかもしれないが、彼氏の家で一緒に料理をするのは、新婚のようで思いのほか楽しかった。

 あれはどこにあるの、それはどこにあるの。あれはそこで、それはここです。綺麗に整頓してるのね。いえいえ、それほどでも。じゃあ、私がスープを作る間、赤司くんはサラダを作ってくれる? わかりました、野菜はたくさんありますから、目一杯入れることにしましょう。あいかわらず健康に気を遣ってるのね……って、え、マジ、ドレッシングも手作りなの? 材料を混ぜてすぐ出来上がりです、簡単ですよ。貴方がしてると大半のことは簡単そうに見えるけど……あ、ねぇ、この味付けどう? ……ん、おいしいです、好きですよ。よかった! 好きですよ。そ、そう……。照れてますか? 照れてない! 味付けの話ですよ。わかってるっつーの!

 ――他人が見たら砂を吐いて砂場に頭から突っ込みそうな光景である。


 赤司お手製の野菜盛りだくさんサラダは、サラダボールにトングを添えて。リコ渾身の出来映えのビーフシチューは、品の良い真っ白な皿に盛り付けて。道すがらに赤司おすすめのパン屋で買ったバゲットは、ナプキンを敷いたバスケットに詰めて。二人掛けのダイニングテーブルはチェックのクロスで彩り、細身の花瓶に活けられた生花が美しく飾られ、キャンドルの火が暖かく灯っている。仕上げにクリスマスのお約束のシャンペンとグラスを置いたなら、そこは高級レストランをも凌駕する素敵な特等席となった。

「完璧ですね」

「ええ、いい出来よ」

 赤司とリコは満足げに自分たちであつらえたテーブルを見て言った。そうして互いに顔を見合わせ、フフッと笑う。それを合図にしたように席へ着いて向かい合う。赤司がシャンペンの蓋を開け、リコの方へ差し出した。優雅にグラスを持ち上げ、リコは応じる。磨かれた透明なグラスに、泡の弾ける鮮やかな液体が注がれた。今度はリコがボトルを持ち、赤司へ向ける。彼も同じように優美な所作で酌を受けた。あまりに様になっていたので、慣れているなぁと、リコはひっそり思った。グラスを持ち、目線を合わせる。キャンドルの灯りに照らされ、少しぼんやりとした輪郭の中、負けないくらい熱いものが相手の瞳に宿っているのを、赤司もリコも感じ取っていた。

「今日という日を愛する貴女と過ごせる、この奇跡に乾杯」

 カチン、とグラスが澄んだ音を立てて合わさる。

「キザね」

 リコは歯を見せて笑った。

 あまりにも完璧すぎる夜だった。まるでどこぞの映画か恋愛小説にでも出てきそうなほど、見事に完成された恋人たちのクリスマスだった。

 ――いける。リコがそう心の中で思ったのは、食事が終わる少し前のことだった。穏やかに笑いながら、赤司の遠征の話や、最近久しぶりに会った高校時代のチームメイトの話をしながら、リコはひっそりと静かな闘志を燃やしていた。それは、食事が終わり、赤司が用意してくれていたクリスマスケーキを食べ、二人仲良く後片付けをし、各々が風呂に入る頃まで続いた。むしろ、夜が更けるにつれ、一層メラメラと燃え上がったほどだ。

 ――いける、この雰囲気は、いける。

 再度、彼女はそう思った。そして、決戦のゴングは鳴り響いたのだ。



「メッ、メリークリスマス! それから、遅ればせながら誕生日おめでとう!」

 その台詞と同時に、相田 リコは手中のものをバッと差し出した。両手の人差し指と親指につままれたそれを見て、目の前に立つ恋人は言葉をなくした。キリリと涼やかな目許は眼球が落ちそうなほど見開かれ、視線はリコの手元を注視したまま動かない。普段なめらかに動く口は、半開きになったまま酸素を取り込む役目だけをまっとうしている。

「急に、どうしたんですか」結構な時間をおいて、赤司はようよう声を絞り出した。

 彼の混乱も無理からぬことだった。まさか、奥手だと思っていた自分の彼女が、その手に――その手にアレなことをする時に使うアレ――つまり“コンドーム”を持って、自らに差し出しているのだから!

「改めて誕生日プレゼントというか……『プレゼントは私』みたいな?」

 小首を傾げて言われ、赤司は思わず頭を抱えた。「プレゼントは私」の後にわざわざハートマークを付けるわりに、その表情はいささか不安げである。事の理解をきちんとしているのか、甚だ疑わしい。

「リコさん、これがなにに使うものかわかっていますか?」

「わ、わかってるわよ」

「では、そんな殺し文句を言いながらそんなものを渡すことがなにを意味するかわかっていますか?」

「わ、わかってる……んだけど……あれ? 赤司くん、もしかして嫌だった? 迷惑? あんま乗り気じゃない?」

 赤司がよほど深刻な顔をしていたせいか、リコはとたんにオロオロとし始めた。返答を聞くかぎり、自分のとっている行動がなにを意味するかは把握しているようだ。しかし――

「リコさん。本当にわかっていますか? それはつまり……僕と同じベッドで一夜を共にするということですが」

 オブラートに包みながらも単刀直入に言うと、リコはサッと頬を赤く染めた。

「だ、だから、わかってるってば。私のことなんだと思ってるの? これでも成人した大人なんだからね。あ、会えない時間を埋めるようにというかなんというか……」

 使い古したような表現をしどろもどろに言うのを見て、赤司はすうっと目を細めた。

「リコさん……さては誰かに入れ知恵されましたね?」

 ギクッという効果音が聞こえてきそうなほどわかりやすく、リコはギクッとした。基本的に彼女は嘘を吐くのが得意なほうではない。「何故それを」と言わんばかりの顔で赤司を見上げる。

「リコさんが突然そんなことを言い出すなんて、なにもないわけがありません。なにかしらのきっかけがあったに決まっています。しかし、貴女は他人から恋人との経験の少なさを馬鹿にされてヤケになるようなタイプではない。また、特別経験を急いでいたようにも見えない。となると、それをすることが良い結果に繋がると考えている――そう推察できます。失礼ながらリコさんは未経験。なのにそれが良い結果を生むと思うのなら、それは他人からの後押しだと考えるのが妥当でしょう。それが経験者ならなおのことです。貴女はそういう相手から“プレゼントは私”攻撃をすれば彼氏が喜ぶよと助言を受けた。違いますか?」

 リコは頬をひきつらせたまま返事をしない。沈黙は肯定として、赤司 征十郎はもう一つ、推測している事柄を述べた。

「おそらくですが、入れ知恵は元帝光中バスケ部、キセキの世代周辺の誰かでしょう」

「うっ」

「僕に対してこんなふうに遠慮をしないのは、元洛山のチームメイトを除けば彼らぐらいだろうし、方法がよく的を射ている。僕の思考パターンや、僕とリコさんの関係性や発展具合をある程度察していないとできないことだ」

 赤司は腰に手を当てて嘆息した。“こんなところでしょう”と、表情が語っている。リコはぐぅっと唸りながら、目の前の男を恨みがましく睨んだ。

「ほんっと、あんたのそういうところだけは、昔からいけ好かないわ」

 久方ぶりの物言いと視線だった。高校時代、コート上で対戦した頃が、こんなかんじだった。折り合いが悪く、認め合うまでにはかなりの時間を要した。お互いに特殊な目を持っていたが、それとはまた違う眼力で周囲を萎縮させてもいた。

「失礼。怒らせたいわけではなかったのですが」

 赤司は少し困ったように眉を寄せた。彼のほうはこの数年で、大人びた面をいくらか磨き上げている。スッとリコの指先をすくい、覗き込むように腰を曲げた。

「僕だって、リコさんとそういうふうになりたいと思っています」

 ピクリと、リコの肩が跳ねる。

「それも、かなり頻繁に。わりと、常に、いつも」

 リコは一歩、後退った。たたみかける赤司の目は、マジだった。

「リコさん、貴女が僕をどういうふうに見ているのかは、完璧にはわかりません。ですが、こうやってクリスマスに部屋に来て、料理を作って、あまつさえこんなものを渡してくるのだから、嫌われていないのは疑いようもない。ですが――」

 そこで赤司はちょっと目を泳がせた。「なによ」と、リコの反発心バリバリの声音が返る。

「できすぎていて、裏がないか不安になります」

 赤司の台詞を聞くやいなや、リコは全力で憤慨した。ゆるく握られていた赤司の手を払い、頭からプシューッと蒸気でも出しかねない勢いで、赤司に詰め寄った。

「んなわきゃないでしょ! まったくなんなのよ、御託ばっかり並べたてちゃって。そりゃ、私は普段からそんなに積極的ではないし、なにをするのも赤司くんからだけど、私だって」

 リコはぐっと唇を噛む。そのまま赤司の胸ぐらをつかんで引き寄せ、ぶつかるようにキスをした。

「私だって、好きな人とそういうことをするのに、夢を見たりするの。そんでもって、私の初めてはあんた以外にくれてやるつもりはないのよ、赤司 征十郎!」

 啖呵を切るように、彼女は言った。見上げてくる、あいかわらずまっすぐな眼差しを見て、赤司はあからさまに表情を崩した。戸惑ったような、困惑したような、けれど嫌そうにはない、複雑な顔をしていた。しばし口をパクパクさせた後、赤司は再び大きな溜め息を吐いた。

「大和撫子らしからぬ台詞ですね、これだからリコさんは」

「なによ! 文句ある?」

「ありませんとも」

 ――ただ――、独り言のように呟いて、赤司はリコの腰を抱いた。

「クリスマス・イブに恋人がお泊まりするなんて、そんな状況に邪な想像をしていたのは僕も同じなんです。だから……」

 赤司の目線が、ベッド脇の引き出しに移る。

「もしかして……」

「もしかします」

 バツが悪そうに赤司は目を伏せ、リコは意外な反応に赤面したまま二の句が告げない。そんな空気に耐えられなくなったか、もしくは自身の敗北を認めたくないがゆえか、先に動いたのは帝王だった。リコの腰に手を回したまま背後のベッドにその肢体を押し倒し、ゆっくりと馬乗りになる。ベッドがギシリとあつらえたような音を立てた。リコはちらりとベッド脇の引き出しを見る。この中に、自分が今手にしているのと同じものが入っているのだろう。それも、多分、箱ごと。急に恥ずかしくなってきて、リコは首を竦めた。

「よそ見は禁止ですよ」

 リコの短い茶髪をサラリとすくい、赤司はその毛先へ口付けた。気持ちさえ決まってしまえば、基本的に彼は攻めの姿勢だ。

「メリークリスマス。それと――“いただきます”」

 そう囁いた赤と橙の瞳は、やたらと意地の悪そうな色をしていた。口角を怪しげに上げ、目の前の相手を食らわんとするその姿こそ、今は懐かしきあの頃の赤司 征十郎であった。


        ・


「リコさん、赤司くんとはもうシたんですか?」

 街中の、若者向けコーヒーショップの一席で、桃井 さつきは言った。向かいの席に座る相田 リコは、今まさに含もうとしていたコーヒーのカップをソーサーに置く。どこかキラキラとした桃井を見つめ、「なにを?」と首を傾げた。

「もう、『なにを?』じゃないですよ。赤司くんとはもう大人の階段登っちゃったんですか? ってことですよ!」

 最後の部分はひそめた小声だった。だが、リコに向ける武器としてはあまりに強力に効果を発揮した。

「ななななっ、なに言ってんのよ!」

「あー、その反応。まだなんだぁ、やっぱり」

「やっ、やっぱりってなに、なんか文句あるわけ?」

「文句じゃなくて、アドバイスですよ」

 人差し指を立て、桃井はテーブルに身を乗り出した。その動作で豊満な乳房が揺れ、周りの男性客が一斉にそれを目で追った。リコはといえば、桃井の前に置かれたキャラメルマキアートが倒れないか、そればかりが気にかかっていた。

「アドバイス?」キャラメルマキアートをテーブルの端に追いやりながら、リコは聞き返す。

「そうです。リコさん、単刀直入に訊きますけど、リコさんは赤司くんとそういうことしたいなって思いませんか?」

「え、と……」

 尋ねる桃井の眼差しは真剣だった。「知らないわよ」と切り捨てられそうな雰囲気ではない。そう言われても、なんと答えたものか。一般的な“欲求不満”という感覚は、リコにはよくわからない。経験自体がないので未知の領域だ。シたいかどうかと訊かれても反応に困る。――ただ、時たまふいに赤司の前髪に触れたくなったり、その節くれだった指を撫でたくなったりはする。美しい造形を描く背中や、Vネックから覗く鎖骨を眺めていたいと思う。いつも穏やかで、少しだけ狂気を孕んだ、その目に射抜かれたいと思う。……もしかして、こういうのを“欲求不満”というのだろうか。

 百面相するリコを見て、桃井はクスクスと笑った。

「すみません、そんなに本気で悩むとは思わなくて」

「か、からかったの?」

「違いますよぉ。ただリコさんの気持ちが追い付いてなきゃ意味がないですから。でもその分だと心配なさそう。リコさん、赤司くんのこと、すっごく好きなんですね」

 パンチでもされたように、リコは呼吸を乱した。ある意味、真正面から右ストレートを受けたようなものだった。第三者からこういうふうに言われるのはひどく照れくさい。桃井は、小さくかわいらしい顔をコテンと傾けて、ふんわり笑った。

「リコさん、好きな人とひとつになるって、幸せですよ。満たされるとか満たされないとか、相性の良し悪しとか、そういうのいろいろあるとは思うけど、好きな人が自分に全力で向かってきてくれるのって、結構キュンとしちゃうものだと思う。好きだって全身で言われるのって胸が熱くなるものだと思う。欲しがられてるんだって、うれしくなるものだと思う」

 桃井の話に相槌や茶々は入れられなかった。桃井があんまりにも幸福そうな顔をしていたからだ。――そうか、この子たちはそういう段階まで進んでるんだ――彼女の幼なじみを思い浮かべながら、リコはちょっと所在なさげな気分だった。傲慢な印象が強い彼も、そんなふうに愛してると全身で伝えるのだろうか。

「急げって言ってるわけじゃないんですよ。ただ、リコさんたちもそろそろなんじゃ……って、おせっかい焼きたくなっただけ。それに、赤司くんもしたいって思ってるんじゃないかなって――」

「思ってるかな!?」

 桃井の台詞を食い気味に、リコは言った。実のところ、気にはなっていたのだ。付き合って半年と少しになる。今時、一線を越えていないのはめずらしいと言われる期間だ。つい先日も、「リコの彼氏、我慢してるんじゃないの?」と友人に言われたばかりだ。赤司は優しいし、自分を大切にしてくれている。「好きだ」と言ってくれる。手を繋ぎ、キスをしてくれる。自分は――? 自分は彼に、なにかしてあげているだろうか。

「このままだと、飽きられちゃうかな」

「赤司くんにかぎってそれはないと思いますけど……、悩めるリコさんにはこれを差し上げましょう!」

「?」

 桃井がなにかを握ってよこしてきたので、反射的にリコは手を出した。そこにポトリと置かれたのは、四角く薄い袋に入った見慣れぬ代物で、リコはひどく慌てふためいた。さすがに、これがなにかくらいは知っている。

「ちょっ、ちょっと桃井ちゃん!」

「チャンスは生かすものですよ、リコさん!」

 ビシッと、桃井がリコに人差し指を突き付けた。宣戦布告でもされている気分だ。

「これを機に赤司くんと愛を深めるか、私が言ったことで悶々と悩み続けるか、決めるのはリコさんです」

「原因作った自覚あるなら煽らないでよ!」

 嘆きながらも、リコはそれを手放さなかった。それどころか、キョロキョロと周りを見回しながら、そっと鞄の内ポケットへしまった。桃井が生暖かい目を向けてくる。

「違うからね、これはその、いつか必要な時がくるかもしれないから、だから」

「はいはい」

「別に不安なわけでもないし」

「うんうん。そういや来月はクリスマスですね」

「…………」

「赤司くんの誕生日もあるし」

「…………」

「これは『プレゼントは私』するしかないですかね?」

「もう、うるっさいなぁ!」

 リコは叫んだ。その声は店内に響き、客と店員がじろりと彼女を睨む。しまったとリコは口を噤んだ。「リコさんったら」となだめつつ、桃井の顔は愉快そうだ。

「桃井ちゃん、もしかしなくてもおもしろがってるわよね」

「やだなぁ、二割くらい、ですよ」

 かつての対戦校の情報屋、眉目秀麗スタイル抜群の美少女は、いたずらっぽく「ふふふ」と笑った。




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