夏はもう終わりに差し掛かっていた。図書室の床に差し込む日差しは、斜めがかって長い。開いた戸のかたちに入り込む太陽の光を避けるように、ナオミと仙蔵は部屋の奥で机に向かっていた。窓から生ぬるい風がそよそよと吹いている。

「雨でも降らないかなぁ」

 その願望は諦観に満ちていて、けっして叶うはずのないことを知った声音だった。それもそうだろう。今日の空は雲一つない見事な快晴で、雨が降る気配など微塵も感じさせない。暦の上では秋を間近にしていても、気温はいまだ夏場のそれだ。そのため、言葉を発するナオミの声も、自然とじめっとしたものになってしまう。いま身近にある水分と言えば、体にまとわりつく自分の汗くらいだ。茶でも汲みに行きたいが、目の前の課題が目標地点に到達するまでは、席を立つことを禁止されている。ナオミは苦し紛れに、装束の襟元を指に引っかけ、パタパタと仰いでみた。

 ちらりと仙蔵を見やる。仙蔵は涼しい顔をして、手元の本に目を落としていた。視線がすらすらと、舞うように動いている。よどみない。この分だと、彼はもうすぐこの本を読み終えてしまうだろう。頁は残り半分を切っていた。終わればさっさと置いていかれそうな気がして、ナオミもまたよっこらせと机に向かった。怠ける彼女を叱咤したりしないのも、「好きにしろ。あとでどうなっても知らんがな」という、無言の圧力なのだろうと思った。


 夏休みの課題がまったく片付いていないことにナオミが正面から向かい合ったのは、休暇終了まであと十日を残したくらいになってからだった。実家に帰って家業を手伝ったり、街で遊んだり、川へ出かけたり、友人と会ったり、家でダラダラとしているうちに、休みは光の速さで過ぎていった。そして彼女はふと思ったのだ。「ん……? そういえば宿題が終わってない?」と。

 ひとまず彼女は、出された宿題をひととおり頭の中に羅列してみた。そして気付いたのだ。これはまずい……と。若い山本 シナ先生は優しくも厳しい。休みだからと言って気を抜きすぎてはいけませんよ、と笑顔で渡された宿題の山は、くのたまたちの顔を絶望で染めるには充分だった。低学年である彼女たちに、上級生のような高度な宿題は出されない。しかしながら、塵も積もれば山となる。計算ドリル、漢字ドリル、自由研究に読書感想文と、おおよそ忍者のものとは思えない宿題が数多く課されているのである。

 呑気にしている場合ではないと、ナオミはようやく理解した。長い休暇は楽しすぎて、日付の感覚を彼女から抜き取ってしまったようだ。毎日コツコツと、などと計画を立ててはいたものの、それがただの一度も実行されなかったことは言うまでもない。だが、それではいけないのだ。もしも夏休み開けに、白紙のドリルを机に広げるようなことがあればどうなるか――想像に難くない。

 ナオミはすぐさま課題を開いた。すると、予定外がもう一つ生まれてしまった。読書感想文に使う本を借りていなかったことが判明したのだ。さらに、課題の中には教科書だけでは解くことが困難な問題がいくつか存在した。学園の図書室で参考文献を借りて調べなければ、完全解答は不可能だろう。これはおそらく、山本 シナ先生がくのいちたちを試しているのだ。事前に宿題の内容を確認し、資料を集め、調査し、それを元に遂行する。忍者としてあまりに初歩的な任務が第一関門であったということに、ナオミはようよう気が付いた。情けなくて涙が出てくる。

 新学期まで十日を切った。前日でなくて本当によかった。今ならまだ間に合う。明日の朝一番に学園に足を運び、図書室に入らせてもらおう。図書委員が誰もいないが、先生方がいれば、なんとかしてくれるのではないか。

(……きっと夏休み前にやっておきなさいって怒られるだろうけど)

 その相手がどうか山本 シナ先生でなければいいなと、ナオミは一つ息を吐いた。


 翌日、朝から家を出発し、正午前に忍術学園へ着いた。「ごめんくださーい」と正門を叩いていると、脇の小戸から誰かがひょっこりと顔を出した。

「あれぇ? ナオミちゃん」

 気の抜けそうな柔らかな声の持ち主は小松田 秀作だった。ナオミは内心でガッツポーズをした。

 忍術学園の事務員である小松田は、入門表と出門表の記入には厳しく、不法侵入・報告なしの外出などしようものなら地獄の底まで追ってくるともっぱらの評判だが、それさえきちんとしておけば人が好いだけのおっとりさんである。実はかくかくしかじかで、とナオミが事の次第を身振り手振り説明すると、なるほど大変だねーと入門表を差し出してくれた。礼を述べ、表に名前を記入する。それだけで「はい、どーぞ」と門を開けてくれるのだから、これでいいのかと私事ながら苦笑が漏れる。盗賊だろうが、タソガレドキ忍者隊だろうが、稗田八方斎だろうが、ドクたまだろうが、暗殺者だろうが、入門表を書いていれば学園内へと招いてしまう警戒心のゆるさだ。夏休みの宿題の本を借りに来た生徒を入れないわけがない。あまつさえ咎める様子もなく、「今日は学園長先生もいないし、このことは内緒にしておくよ」とお茶目にウインクなどよこす始末である。ナオミがもう少し歳を重ねて、色仕掛けという女の武器を覚えたとしても、小松田に使う機会はないだろう。これでいいのだろうかと首を傾げながら、ナオミは門をくぐった。

「そうそう、そういえばね。実は先客がいるんだ」

 先導するように前を歩いていた小松田が、思い出したように言った。

「へ?」

 自分と同じように、ギリギリになって宿題の本やら資料やらの必要性に気付いたおっちょこちょいがいるのだろうか。……いるだろうなぁ。ナオミは「ハハ」と小さく空笑いした。忍たまでもくのたまでも、そういう抜けた面々に何人か心当たりはある。一年は組ならむしろ前日あたりにやっと気付く勢いだろうし、くのたまの友人のセンが強いだろうか。そんなことを思いながら、図書室の戸を開ける小松田の肩越しに見えたのは――

「あぁ、仙蔵くん。読書中にごめんね。この子も本を探しに来たんだ」

 笑いながら、小松田は室内に足を進める。ちょっとばかり「うわぁ……」と思いながら、ナオミも続いた。机に向かって書物を読みふけっていた少年が、こちらを見上げる。目尻の鋭いキリリとした視線が、ピリッと背筋を冷やす。ナオミと同じく夏休みだが忍装束を着込み、この暑さをものともしないように、長い黒髪は相も変わらず優雅に背中に流れている。作法委員会委員長の立花 仙蔵であった。

「ナオミちゃん、わからないことがあれば仙蔵くんに訊くといいよ。仙蔵くんはすっごく頭がいいからね」

「はあ……」

 ふにゃりとした笑顔で、小松田 秀作がやたら無責任なことを言ってのけた。勝手にそんな約束してもいいのかなぁ、と横目で仙蔵を窺っている間に「じゃあ僕は行くねー」と手を振り、退室していった。あとには仙蔵とナオミと無言だけが残った。

(マジで……? 立花先輩とふたりっきり?)

 予想だにしない展開に、ナオミは奇妙な緊張感を覚えた。仙蔵と口を利いたことはない。六年生で、作法委員会の委員長で、火薬を扱わせれば忍術学園一と言われる、頭の切れる優秀な先輩。あとは女性かと見紛うような端正な顔立ち。知っているのはそれくらいだ。こんな空間に二人ぼっちで取り残されても、気まずいことこのうえない。

「えーと、こんにちは、立花先輩」

 どぎまぎしつつも、とりあえず挨拶してみる。「ああ」仙蔵は短く答えた。そっけなく聞こえるが、読んでいた本をわざわざ閉じ、きちんと目を合わせて答えてくれたあたり、愛想がないわけではないだろう。クールなお人だと聞いているから、きっとこれが通常の反応なのだ。

 必死に浮かべた笑みを崩さないようにしながら、ナオミは仙蔵へ向かって一度会釈し、本棚の方へ進んだ。彼の姿が見えなくなったあたりで、ブハァと息を吐く。なんでよりにもよって立花先輩なのだ。あのミステリアスな雰囲気とやたら美麗な外見は苦手だ。美しさが孤高を感じさせて、自分とは違う生き物のように見えてしまう。遠くから見て友人とキャアキャア騒いでいるのなら楽しいが、近くで会話するとなると話は別である。やりにくいなぁ、とナオミはそばかすの目立つ頬を掻いた。できれば目当ての本を借りて即座にこの場を去りたいが、露骨に避けているようでかんじが悪いかもしれない。小松田さんがよけいな世話を焼いてくれたおかげで、なおのことただでは帰りにくくなった。まあ、だからと言って、仙蔵に勉強を教えてくれと頼めるような度胸はないのだが。

 少しだけここで宿題を開いて、頃合いを見て切り上げよう。そう決めて、ナオミは目当ての本を探しにかかった。そうして、十分ほど経った頃――

「あの、立花先輩……」

 彼女は自分から仙蔵に声をかけるはめになった。


「どうした」まるで前から見知っていた相手に言うように、仙蔵の声は落ち着いていた。

「この術の詳細が載ってる本を探したいんですけど、どこにあるのかわからなくて」

 戦々恐々、おそるおそる本棚の影から宿題の問題集を差し出した。計算ドリルや漢字ドリルとは別の、唯一忍者らしい問題たちが並んだ宿題だった。そしてこれこそが、今日彼女がわざわざここまで足を運ぶことになった元凶であった。

 仙蔵は「ふむ」と頷ずくと、読んでいた本を閉じて立ち上がった。

「山彦視聴の術に関してならこのへんにあるな。必要なのはそれだけか?」

「いえ、あと七方出の術と印を取る術の書かれた本もあればそれも……」

 仙蔵はチラリと振り返って、眉を下げた。

「普段、図書室は利用するのか?」

「あんまり……」

 ほとんど、全然、と心の中で付け足した。まだまだ座学より、外で走り回っているのが楽しい年頃だ。やれやれと肩を竦めながら進んでいく仙蔵の背中に「すみません」と呟いた。

「ならば知らんだろうが、今現在、図書室の本は持ち出し禁止だぞ」

「ええ! なんでですか!?」

「貸し出しをしてくれる図書委員がいないからな。勝手に持ち出したことがバレたら、図書委員長の中在家 長次にどんな目に遭わされるやら」

 ナオミはゾクゥと悪寒が走るのを感じた。六年生の中在家 長次といえば、忍術学園一無口な男として知られている。どちらかといえば強面で、寡黙すぎるゆえ近付きがたい。おまけに笑う時にはかなり不気味な笑い方をするものだから、よく知らない生徒にはだいたい「怖い」という認識をされている。ナオミもその一人だった。あの中在家先輩に無断持ち出しを咎められた時のことを考えたら――再びブルリと震えがきた。小松田さんはそんなこと一言も言ってくれなかったのに……と八つ当たるのも忘れない。

「わ、わかりました。ここでできるかぎりすませていきます」

「それが得策だろう」仙蔵は目を伏せて頷いた。その仕草も絵になっていた。

 ――しかし、わざわざ一緒に探してくれるだなんて、結構面倒見のいい人なのかな。

 その予想はおおむね正解だった。仙蔵はナオミの必要とする本を一つ一つ棚から抜き出し、この本にはこの術が、その本にはあの術が、と逐一説明をしてくれた。さらにはナオミの問題集をパラパラとめくり、「この問題とこの問題さえとりあえずすましておけば、あとはそう難しいものではない。資料がなくともどうにかなるはずだ」などとアドバイスまでしてくれた。半ばあっけにとられながら、ナオミは「ありがとうございます」と礼を述べた。

 あの立花先輩がここまでしてくれたのだから頑張らねば! 一念発起して、ナオミは机の上に持ってきた本を置き、問題集を開いた。

「お前、実家から歩いてきたのか?」

「へ? そうですけど」

 さあやるぞというところで、仙蔵に声をかけられた。

「今日も、それが終わったら実家に帰るのだろう?」

「はい、まあ」

「急がないと遅くなるぞ」

 ナオミはちらりと窓の外を見た。太陽の具合を見るに、今がおそらく正午くらいだろう。

「あと一刻くらいなら大丈夫です」

 「そうか」と、仙蔵は顎に手を当てた。

「なんにせよ、先程言った問題たちが終わったら、できるだけ早めに帰ることをおすすめする。女子の一人歩きは危険だしな。わからないところがあれば訊くといい。そのほうがきっとスムーズにはかどる」

 や、優しい……。ナオミはじーんと感動に胸震わせた。イケメンのうえに優しいだなんて、と彼女の乙女の部分がときめく。いけないいけない、とナオミは頭を振った。今はそんなことを考えている場合ではなかった。

「はい! ちゃっちゃと終わらせてしまいます!」

「うむ」

 意気揚々と、ナオミは宿題に取りかかった。


 ――それから四半刻も経たぬ頃だった。

「立花先輩は、今日はどうしてこちらに?」

 宿題の手を止めて、ナオミは仙蔵に声をかけた。

「夏の課題が一段落ついたので、先生方に一応の報告に来たのだ」本に目線を落としたまま、仙蔵は答えた。

「へぇ」

「まあ、今日はあいにく小松田さんしかいなかったからな。しかし、せっかく足を運んだのにこのまま帰るのはもったいない気がしていたところで、そういえば図書室に読みかけの本があると気付いた。時間も早かったし、小松田さんに無理を言って、しばし読書にいそしんでいこうとここへ来たわけだ」

「なるほど、そうだったんですね。ちなみに、立花先輩の宿題ってなんだったんですか?」

「おい」

 仙蔵の机まで行って身を乗り出したところで、彼はパタンと本を閉じた。

「宿題は終わったのか」

 うっ、とナオミは唸る。

「いやぁ、上級生の課題はきっとさぞかし大変なものだったんだろうなと思って……つい、興味が」

「気持ちはわかるが、今は自分の課題に取り組め。日が暮れてしまうぞ」

「はぁい」

 ナオミはしぶしぶと自分の机まで戻り、再度問題集に向かい合った。


 ――さらに四半刻後――

「立花先輩、それなんの本読んでるんですか?」

「何十年か前に実在したらしい、とある城のプロ忍について記された本だ」

「へえ、なんだか難しそうですね」

「興味深い内容だぞ。忍としての生き様には考えさせられるところが多い。忍を目指すなら読んで損はないだろう。ところでお前は宿題を終わらせたのか。あと半刻だぞ」

「うっ、はい……」


 それからほんの数分後――

「立花先輩、お腹空きませんか? ランチ時ですけど」

「私は先に街で食事をとってきたからな」

「いいな。私、お腹空きました」

「だったらさっさとそれを終わらせて食事にすればいい」

「ソデスネ……」


 ――また数分も経たぬうちに――

「立花先輩の髪って綺麗ですよねー。なんか特別なお手入れとかしてるんですか?」

「おい」地を這うような低い声だった。

「いい加減にしろ。さっきからちっとも進んでいないじゃないか」

「だってぇ!」ナオミはとうとう頭を抱えた。

「飽きました!」

「お前……せっかくの人の厚意を無駄にするか」

「私はもともと机に座ってジッとしてるのは苦手なんですよー」

 はぁーっ、と仙蔵が深い溜め息を吐く。

「ならば私はこれで」

「ま、待って待って、待ってください。先輩がいなくなったら、私ますます集中力なくなっちゃいます」

 立ち上がりかけた仙蔵を、ナオミは必死で制止する。

「なら、せめてさっき言ったところまででも終わらせろ。それが終わるまで席を立つな。次によけいなお喋りをしたら私は本当に帰るからな」

「わ、わかりました」

 そんなことをしていたら、終了予定時刻まではもう猶予がない。確かに、あまり夜道をフラフラしたくはないので、早めに切り上げるべきだろう。ナオミはグッと唇を噛むと、残りの問題に取りかかった。彼女がようやく静かになったのを見て、仙蔵も読書を再開した。

 ――待ってて、くれてるんだ。問題に集中しているように見せながら、ナオミの胸中は少し乱れていた。たんに読書が終わっていないからだけではなく、どうやらナオミの課題が一段落つくのを待ってくれているらしい。意外だった。立花 仙蔵という人は、こんなふうな優しさを他人に向けられる人だったのか。そんなことを考えていたら、文字が歪んで、滲んだ。



「まったく、結局もう夕方ではないか」苦々しげに仙蔵が言う。

「大変申し訳ありません……」

 小さくなりながら、ナオミは謝罪した。よけいな時間を使ったせいで、当初の予定より半刻も遅くなってしまった。仙蔵の気遣いを知って動揺した時間も中にはプラスされているのだが、そんなことは言えるはずもない。おとなしく帰り支度を整えた。

「準備はできたか」

「え?」

 顔を上げると、仙蔵が入り口の前で腰に手を当てている。

「今からだとお前が家に帰り着く頃には夜になる。送っていこう」

「は……? えぇぇ、いやいや! いいです、大丈夫ですそんな!」

 まさかの仙蔵の申し出に、ナオミは手と首をブンブン振った。

「先輩からの厚意を無駄にするなと言ったろう。私が心配だから言っているんだ」

 ブワリと顔が赤くなるのがわかった。なんて殺し文句を平然と言うのだ、このお人は。

 ナオミはヘロヘロと立ち上がりながら、なんとか「ありがとうございます」と本日何度目かの礼を言った。今日一日でいろいろなものが変わってしまったような気がして、足元がえらくおぼつかない。きっとなにも変わってなどいないのだろうが、彼女のほうにはいくらか影響をおよぼしていた。



「あぁーっ!」

 夕暮れの畦道を仙蔵と並んで歩きながら、ナオミは悲鳴じみた声を上げた。仙蔵が隣であからさまに「うるさい」という顔をする。

「なんだ、突然」

「せ、先輩、私大変なことに気付きました……」

「どうした。忘れ物でもしたか」

「いえ、そうじゃなくて、あの」

 気まずさから視線を逸らし、ナオミは顔をしかめた。

「読書感想文用の本の存在を忘れてました……」

 仙蔵が額に手をやるのが見なくともわかった。

「お前は……それすら借りていなかったのか」

 ほとほとあきれ果てたという声音だ。ナオミはそろそろと仙蔵を見上げながら、けれど大胆にも口を開いた。

「先輩、今日読まれていた本は読破されましたか」

「……何故そんなことを訊く」

「興味深い内容だと仰ってましたね。忍を目指すなら読んで損はないと」

「だったらどうした」

 ナオミは仙蔵の忍装束の袖口にしがみついた。

「お願いします! その本の内容教えてください! できれば感想文の一枚や二枚や三枚書けるくらいこと細かく!」

「なんっで私がそこまで世話をしてやらねばならんのだ!」

「乗りかかった船ですよ! 最後まで面倒見てください」

「断る! そこまでしてやる義理はない!」

「お饅頭でもお団子でも奢りますからぁ」

「それで釣れると思うなぁ!」

 ああだこうだと問答をしているうちに、太陽は山の向こうへ沈んでいく。暗くなり始めた頃、結局折れたのは仙蔵だった。また明日にも会う約束を取り付けられ、ナオミは読んでもいない本の感想文を書くという計画を立てることに成功した。それについても懇々と説教をしたが、いまさら撤回するナオミではなかった。おとなしそうな見た目のわりに、案外肝が座った女だ。

 意外にも仙蔵とナオミの実家がある場所は近く、翌日の待ち合わせにも困ることはなさそうだった。

「えへへ、なんかデートみたいですね」

 ナオミが緑がかった癖っ毛を揺らしてはにかむ。お気楽な奴め……と、仙蔵は何度目かの溜め息を吐いた。この一日で、なんだか厄介な者に懐かれてしまったようだ。


 お互いの想いや認識や方向性に違いはあれど、行き着く先は案外同じなのかもしれない。重なりだした二つの影が、地面にゆらゆらとかたちを作った。




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