逃げる者を追うのは狩猟本能というのか。ならば、追いかける方が捕まっている場合は、なんと呼称するのが正しいのか。


 ビュンビュンと過ぎ去っていく周りの景色は、スリルと少しの恐怖、緊迫感を煽った。もつれそうになる足は、へたをすればツルリと滑って、拓人の体をリノリウムの床へ叩きつけることだろう。しかし、名門、雷門中学サッカー部キャプテン――神童 拓人が、そんな無様な足捌きをご披露するはずもなく、彼は鍛え上げたふくらはぎや太ももを、前方数メートルあたりを走る少女を捕らえるためだけに動かした。速く、機敏に、キレよく動く左右の足で、どんどん彼女との距離を詰めていく。

 詰められているのは彼女の逃げ道も同じのようで、いまや二人は、屋上へ続く一本の階段を駆け上がっているところだ。屋上へ出るには他のルートはなく、また同時に降りる階段も他にはない。

 バタンと重いドアが少女の華奢な手によって開かれ、薄暗い階段に眩い光と、強い風が舞い込んだ。拓人は、少女の薄茶色の三つ編みがふわりと広がる様子をしかと見た。

 暗さに慣れた目が、雲一つない快晴にチカリと刺された。瞬間的に手で光を防ぎ、拓人はゆっくりと細まった瞳を開いていく。

 澄んだ青空をバックに、山菜 茜の小さな背中があった。逆光だ。拓人は茜を見ながら、しきりに目を瞬かせる。風に舞う白いシャツと、水色のスカート、夏でも彼女の素肌をしっかりとガードする紫のタイツ。はっきりとそれは、山菜 茜だった。それなのに、仰ぐようにこちらを振り返った彼女の微笑は、見たこともないほど妖艶であった。

「どうして追いかけてくるの? シン様」

 質問形なのに、答えを知っていて問いかけているのが見え見えな声音だ。教師が「さあ、この問題の答えはなにかしら?」と、解答片手に挙手を促す姿に似ている。

 普段と変わらず、彼のことを「シン様」と呼ぶ。それは崇拝であると共に恋慕なのだと、周囲は口をそろえて断言する。しかし拓人は、それがいまいちわからない。好意を感じはしても、茜が彼に「好きだ」と言ったことはないからだ。ミーハーに近い、ただの憧れだと、そう考えた方がわかりやすかった。

 だが、不可思議なことに、一方的に受けるだけだった好意を、拓人はどこかで変わらぬものとして思っていた。山菜 茜が神童 拓人に好意を向けるのは、いまや当然のことだと、拓人は錯覚していたのだ。

「お前が……霧野と親しげにしていたから……」

 だからどうしたのだと、拓人は自問自答する。霧野 蘭丸と山菜 茜が親しく寄り添っていたとして、自分になんの不都合があるのか。なんらないに違いない。それなのに、目を見張るようにその姿を凝視する己がいた。そして、それに気付いた茜が跳ねるように踵を返した瞬間、体は猛然と彼女の後を追い始めた。

 クスクスと、茜は肩を揺らす。トンッと軽快な音を立ててこちらに向き直ると、後ろで手を組み、愛らしく首を竦めた。

「ねえ、シン様。ルーレットは赤と黒、どちらの色が出たかしら」

 拓人は苦々しく唇を噛んだ。いくらでもいかさまできる立場にいながら、素知らぬ顔をして、かけるチップの枚数を尋ねてくる。優雅な女ディーラーは、いったいいつから拓人のチップをかすめとっていたのか。勝っているつもりでチップを上乗せし続ける自分を、罠にかけるために画策していたのか。

 けれど、結局半か丁かを決めるのは拓人本人なのだから、自己責任だと言われてしまえばなすすべもない。彼は両手を上げて降参の姿勢をとりながら、まず「すまない」と、謝罪から始めた。






▽一周年記念小説。拓人と茜。




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