選択その5
げんなりし始めた私に「また私に会いたいですか?」と優一くんがタイミングの悪い質問をしてくる。
また安易に”会いたい”とか言って泣かれるのも嫌で言葉の真意を探っていると、突然両頬を片手で鷲掴みされた。
「会 い た い で す よ ね ?」
目を見開いた優一くんの威圧感は半端なく、怖い。
無言で頭をコクコクと縦に振れば満足したらしい、「最初からそう言やぁいいんですよ。」と爽やかに笑った。
(なんか似合わない笑顔だった)
私の頬から手を離すと、彼はポケットから小さく畳まれた紙を取り出す。
「後ろ向いて下さい。」
「??」
言われた通り後ろを向くと、背中のランドセルを通して振動が伝わる。
どうやらランドセルに紙を当てて何か書いているようだ。
気になって背後をちらちら見やると「動くな!」と止められる。
「では、証としてこの書類に名前を記入なさい。」
書き終えた書類は、あの本と同じぐにゃぐにゃとねじ曲がった文字の羅列が並んでいた。
出された書類の最後の方には名前を書く欄だろうか、アンダーラインが引かれた空白の部分がある。
「証って…」
「あなたの短い生涯でこのベルゼブブを忘れない、という誓約書ですよ。」
「べ…ブブ?」
「…だから、私のことですよ。」
証って…そこまでするものか…?
”短い生涯”という違和感のある言葉に、私は「私、小学生だし。まだけっこう生きるよ。」と言う。
しかし優一くんはしかめっ面をした。
「悪魔の寿命も知らずによく言えますね。人間で言う1000年は悪魔にとって10年ですよ。」
「え!そんなに長生きなの!?いーなー。」
「…ほんとあなたって軽々しい発言多いですよね…。だからこうやって疑われるんですよ。」
素直に思ったことを口にしただけなのに…。
「忘れないって!多分。」と言えば「…もう既に疑わしいんですがねぇ。」と疑いの目を向けられた。
「だから人間の寿命の100年なんて、悪魔にとっちゃ1年ぽっちだ。」
「ふぅん。じゃあ私、あっという間に死んじゃうね。」
「…だからこそ、私のことなどすぐ忘れてしまうに決まってる。人間はその短い生涯で成すべきことが山のようにあるのだから。」
「なすべきこと?」
疑問符をつけて復唱すると「自分のことでしょうが。」と言われてしまった。
「知識を身に付け成長し、生涯の伴侶を見つけ世継ぎのため子を成し、人生の幕を閉じる両親の死の床に立ち、次の世代の邪魔にならぬよう身を引くため最後は死ぬんです。」
随分と集約された人間の一生だ。
案の定私には難しいその説明が理解できなかったが、優一くんから見たら人間の私は忙しいと言いたいのだろう。
そう結論づける私に「いいからさっさと書け!」と短気な彼は懐から出したペンを私に握らせる。
悪魔っていうのはいちいち面倒くさいな…と思いながら私は渋々名前を書いた。
「ん、書いた。」
「よろしい。では親指を出しなさい。」
今度は何をするんだと不思議に思いつつ手を出すと、手首を掴んだ優一くんは…私の親指に噛みついた。
まさかのその行動に驚くやら痛いやらで一瞬間を置いてから「いっっっったー!!」と私は叫ぶ。
しかも優一くんは傷ついたその親指を書類にぐりぐり押し付けた。
「…ふむ。これで良いでしょう。」
用済みとばかりに私の手を放り、その書類をまじまじと見ながら優一くんは「契約のほうは…まだいいか。」と呟く。
その呟きの意味を不思議に思いつつ、私は血が噴出する親指を涙目で押さえた。
また元の通りにきっちり畳んだその紙をポケットにしまうと、優一くんは辺りを見回して手近にあった赤い実をもぐ。
「…なにそれ?」
「果物ですよ。」
赤い玉ねぎのような実を優一くんは両手で包みこんでそれを割る。
分厚い皮の割れ目には、たくさん詰まった小粒の実がのぞいた。
皮と同じ赤い色をしている。
「このベルゼブブを一生忘れない、と誓いを立てたのならもはや友人と言っても過言ではないでしょう。記念にベルゼブブ家の領地で実ったこの実を差し上げます。お食べなさい。」
実の半分を私に差し出す優一くんは、鋭利な歯を覗かせて裂けるんじゃないかというくらい口元を吊り上げて笑っていた。
明らかに他意を含んでいるだろうその表情に私は気付かず、赤くて宝石のような小粒の実を見て思わず「食べるー!」と笑顔で言った。
自分でも思うが、食い意地はりすぎだろう私。
「甘い?」
「てめぇの思考回路並に甘いからさっさと食え。」
親指を噛んだ相手から嬉々として果物を貰うのだから、やっぱり私の思考回路は甘いのだろう。
半分に割られた片方の実を受け取り、たくさん詰まった実の内の一粒を取り出して食べる。
…が、思っていた通りの甘さはなく、代わりに口の中に広がるその酸っぱさと苦みに私は顔をしかめた。
正直言って、子供の私にはあまりおいしい物ではない。
「…まず」
い、と言い終える前に私の口に何かが突っ込まれた。
…優一くんの指でした。
優一くんは、私の口に突っ込んだ親指を横に引っ張り、無理やり開いた口の隙間から数粒の実を押しこんだ。
そして素早く彼は私が実を吐きださないよう口を手で覆う。
驚いた私はほとんどの実を噛まずに飲み込んだ。
嚥下した私の様子を見届けてから、彼はようやく手を離す。
「…ゲホッ!ゴホッ!ゲフン!!」
「まったく、失礼ですね。私の好物ですよ。」
咽る私を横目に、優一くんは私が食べた実のもう半分に齧りついている。
…味覚おかしいんじゃないの。
って言ってやりたいけどまた何されるかわからないので止めておいた。
相変わらず赤い実を咀嚼しながら「ではここからはさして重要ではありませんが、よくお聞きなさい。」と私に言う。
「人間界に戻ったら”グリモア”という魔術書を探しなさい。ベルゼブブの魔術書です。
そうですね…あと10年もしない内に私もベルゼブブの名を継ぐでしょう。あなたが成人した暁にでも私を呼びだしなさい。
それまでにグリモアを読めるようになるのですよ。あなたのようなバカでも呼び出すぐらいのことはできますし…まぁ期待はしていませんが。」
「ゲフンッゴフ!ゲホ!ゲェッホ!」
一気にそう捲し立てて最後に「わかりましたか?」と聞かれるが、まだ咳こんでいる私はそれ所じゃない。
とりあえずてきとーに頭を縦に振っておく。
「ではこれでおさらばです。精々五体満足で帰ることですね。」
そう言うと、私は蹴りだされ前のめりに倒れた。
…なんだこの散々な仕打ちは。
「蹴らなくてもいいじゃん!……あれ?」
振り向くと、私の背後に優一くんは居らず、木々の生い茂る向こう側の景色は真っ暗でまったく見えなかった。
倒れ込んだだけで木々の奥深くに入り込んだわけではないのに、ある境界線を越えたかのような景色の変わりようだ。
きちんと「さよなら」を言えていないので戻ろうかと迷ったが…先の見えない暗闇を見て、もうあの中庭に辿りつけない気がした。
口の中に今だ広がる酸味と苦みに嫌気がさしながら、私は言われた通り赤い実のなる木々の間を歩く。
…優しいんだか乱暴なんだか、よくわからない子だ。
程なくして木々を抜けたその先は小さな緑道公園だった。
空を見上げれば魔界にはない朝日が昇っている。
こうして私は人間界に戻ってきた。
しかしその後が大変だった。
公園でふらつく私をたまたま通りかかった近所の人に連れられて交番へ行き、そこへ泣き腫らした目の両親が駆けつけた。
両親が怒ったのは一瞬で、あとは声にならなかったらしくとにかく抱きしめられて泣かれる。
両親が泣いているのを見て、私も自分が悲しいわけではないのに涙が溢れた。
抱きしめる母の服を掴んで泣きながら、優一くんが次に両親と会えるのはいつだろう、と考えたけど解る筈がなかった。
後から聞いた話だけど、私が当時住んでいた家からあの緑道公園まで子供の足で歩くには相当の距離があったらしい。
よしんば歩けたとしても夕方から朝方まで外で出歩く小学生を、誰かしらすれ違った人が不審に思って保護するはずだ。
だから誘拐事件ではないかと思われ警察にあれこれ聞かれたけど、私は自分の足で歩き迷子になったと言うしかなかった。
子供心にだって解る。
誰が信じるものか。
魔界に迷い込み、悪魔に助けられたなどと。
この事件を気味悪がった両親は、単身赴任の予定だった父の転勤先について行くことになり、私は東京から離れた。
散々蹴られ殴られ噛まれ泣かれてと大変な思いをしたけれど、時おり私は優一くんのことを思い出しては泣いてないかな、と考えた。
随分と長い間、彼のことを思い出してはそんなことを考えていたのできっとこれが初恋だったのだろう。
しかし初恋は実らない。
相手が相手だから尚更だろう。
長らく恋の出来なかった私はそう自分の気持ちに見切りをつけると、しだいに優一くんのことを思い出すことも少なくなってきた。
そして今。
私は大学進学のため、両親が渋い顔をするのを説き伏せてかつて住んでいた東京に戻ってくる。
私の部屋の窓からは、あの日以来訪れることのなかった緑道公園が見えた。
11.6.25
<小学生編>終りです。
本当はもっと長かったのですが、本編でもないのにダラダラ長くてもしょうがないので大分駆け足で終わらせました。
展開が早くてすみません^^;
次は<大学生編>です。
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[mokuji]
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