選択その26




私はやや緊張気味に、ジイやさんからのメールに記載された電話番号にかけてみる。
電話の向こうでコール音が鳴った。


果たして優一くんは私を助けてくれるだろうか。
向こうの出方がわからず、私は頭を悩ませる。


優一くんのことだ、私が魔界に迷い込んだなどと聞いたら、笑い転げてバカにして、ニヤニヤしながら傍観を決め込むに決まってる。
素直に助けてくれるとは思えない。



…想像したらムカついてきた。
原因を作った張本人の癖に!







「どこのどいつだ名を名乗れ。」


「!」







想像で勝手に苛立つ私の耳に、苛立ちを隠そうともしない男性の声が響く。
びっくりした。優一くんの声だ。




「…えっと……なまえ、なんだけど…。」




なんで脅すような口調なんだ…。
さっきまで怒っていたくせに、いざ優一くんに繋がると妙に緊張してしまって、私は固い口調で名を名乗る。


するとたっぷり間を置いてから「…………は?」と優一くんの呆けたような声が返ってきた。




「なまえさん?何故この番号を知っているんです?」


「いや…その…ジイやさんに聞いたんだけど…。」


「はぁ。それで?わざわざ私に電話までして、何用です?」




”興味ないけどとりあえず聞いとくか”みたいなテキトーな感じで優一くんが聞いてくる。
大人なんだから、そういう本心はうまく隠してくれ。
私は歯切れ悪く「実は…。」と前置きする。




「また魔界に迷い込んじゃったみたいで…。」




”魔界に迷い込む”って言葉を実際に口にし、体験する人間なんてそうそういないだろう。
そのせいか、私は”魔界”という言葉に違和感を持ってしまって、どうしても歯切れ悪くなってしまう。


そんな私とは対象的に、意外にも優一くんは「あぁ、またですか。」と落ち着いた反応を返してくる。
どんな反応がくるかと身構えていたので、拍子抜けだ。




「つまり、また我が家の使用人に調理されかけているとでも?」


「あ、いや…そうじゃなくて、」




優一くんは勘違いしていたらしい。
どうやら我が家のトイレを通じて優一くんの家にいると思っているようだ。




「今、私がいるのは魔界のどこかにある海辺。トイレを通じて魔界に来たんじゃなくて、街中で魔界に迷い込んだの。」




自分の状況を説明している内に自身の現状を再認識してしまって、私はまた暗い気持ちになった。
こんな陰気な所から早く抜け出したい…。


しかし、そんな私とはまた対照的に突然優一くんが「ぶふっ!」と吹き出した。



…え、なんなの。
笑うべき要素なんてないでしょここに。




「ほ…本当ですか?今度は街中で魔界入りしたんですか?」




くつくつと、笑いだしたいのを堪えようとする声が漏れる。
笑いを堪えているせいか、優一くんの声は所々震えていた。
何がそんなに愉快なのか。




「だからそうだって言って…」


「ぶはっ!!」




二発目の吹き出し笑いが出る。
電話の向こうでゲラゲラと声を立てて笑う悪魔。
人が危機的状況に陥っているというのに、なんて無神経な奴。


イライラするが、ここで感情に任せて私が怒ればケンカになってしまい、話がすれてしまう。
彼の笑いが収まるのを待つしかない…が。




「あなた…本格的に人としての道を踏み外してきてるんじゃないですか?」




そんな私の努力など露知らず「もう真っ当な人間と言うには難しい存在になってますね!」と笑い声を混ぜながら奴は言う。
誰のせいだよ。




「だから、助けてほしいんだけど!」




今だ腹がよじれるほど笑っている優一くんに聞こえるよう、私は一際大きな声で叫んだ。
途端にゲラゲラ笑いがぴたりと止まる。




「…えぇ勿論。助けて差し上げますよ?あなたはまだ利用価値がある……いえ、このベルゼブブの友人なのですから、手を差し延べるのは当然のこと。」


「………今のわざとでしょ。」




至極真面目そうに言い出したかと思えば、どうして引っかかる物言いをするのか。
イライラは募るばかりだが、”手を差し伸べる”と言うからには、なんとか助けてくれそうだ。
ホッとしたのも束の間、すかさず優一くんが「…1つだけ、条件があります。」と何やら妙なことを言い出す。




「条件?」


「えぇ。簡単なことです。」




それを聞いた私は「敷居を跨ぐ許可」のことを思い出した。
まさかまた私を陥れる言葉を強制的に言わせる気か?
まともな条件には思えない。


頭ごなしに否定するのも良くないので、とりあえず私は憂鬱な気持ちで「…なに?」と聞いてみた。
電話の向こうでふっと微かな笑い声が漏れる。






「私は下賎で穢らわしい便所虫です。高貴で気高いベルゼブブ様。どうか救いの手をさしのべて下さい…………って、言え。」






・・・・・・・・・。






「た だ の 嫌 が ら せ か!!なんなのふざけないで!誰が言うかそんな言葉!!」




これでもかというほど声を震わせ、怒気を含めた。
今まで怒りを溜め込んでいた分、弾けたように私は叫ぶ。




「助けてもらいたけりゃ言え。屈辱に声を震わせながらな!!」




そんな私の怒りなど軽くいなし、神経を逆撫でるような言葉を投げかける。
さすが悪魔…人間を感情的にするのが上手いのだろう。
頭の隅で冷静に考えつつも、一度爆発してしまった怒りは抑えようもなく、私は感情に任せて「うっさいバカ死ね!!」と幼稚な悪口を連発する。




「てめぇが死ぬのが先だバカ女!!魔界で野垂れ死ね!!」


「もういいよ!優一くんに助けなんて求めない!ジイやさんかハエの人に助けてもらうから!!」


「なに勝手に我が家の使用人つかってんだクソアマ!さっきはサクッとスルーしたが私を差し置いていつジイとメアド交換したんだ!?」


「別に優一くんの許可とかいらないでしょ!?」




やっぱり優一くんは優一くんだった。
彼に期待すること自体が無駄なのだ…。









そして魔界の海辺で言い争うこと20分。




「はぁ…はぁ…。」




私も優一くんも力の限り罵倒を浴びせたおかげで、互いに息を切らして膠着状態に陥った。




「…今度優一くんの家でバ〇サン焚いてやる…。」


「貴様テロリストか!」




いい加減大声を出すのにも限界がきたので、小声で犯行予告をすれば、まだまだ元気な奴はヒステリックに叫ぶ。
よく喉がかれないものだ。


お腹も空いてきたし、とにかく早く帰りたいところだがあんな屈辱的な言葉だけは言いたくない。
しかし腹は空く…。
私のお腹が空腹に鳴く音とともに、電話の向こうでバリバリと何かを砕く音がした。




「たっくてめぇはよー…昔っから口を開けば否定拒絶の言葉ばっかりだな。」




そのバリバリ音は、ぶつぶつ文句を言う優一くんの声と共に電話の向こうから聞こえる。




「…さっきからバリバリ音がするんだけど…何か食べてるの?」


「ハヤシライスのルーですよ。」


「あぁ…って、え!?まさかうちのルーじゃないよね!優一くん今どこにいるの!?」


「あなたの家でルーをかじってます。」


「夕飯が…!ルーは買ってきてないのに!」


「カレーを裏切りハヤシライスに手を出したあなたが悪いのです。懺悔しながら最高級のカレールーを買ってきなさい。」


「知るか!せめて一食分残しておいてよ!?」


「残念。今最後の一欠けらを咀嚼しているところです。」


「!?」




私は彼の無神経さに言葉を失った。
だって…材料と一緒にルーが置かれていたら夕飯のため調理するってことぐらいわかるでしょ!?
あまりの怒りから頭に血が上り、ガンガンと痛み出す。




「この…この…クソバカ野郎ッ!!」




クソバカ野郎だなんて口にしたのは初めてだ。
しかし、私の怒りが篭ったその言葉は、優一くんに伝わらなかった。
突然電話が切れたからだ。




「あ…れ?優一くん?」




返事はない。
電話を切るにはタイミングが悪いと思いながらケータイ画面を見ると 画面は真っ暗だった。
あれこれ言い合いをしている内に私のほうのケータイの充電が切れてしまったようだ。




「…うそー…。」




魔界の湿った風が私の髪を乱す。
電源の切れた携帯電話を片手に、私は遠い目で暗い海を見つめた。






12.1.31
城の規模からしてバル○ン一個では足りなさそうですね。






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