選択その19
目元に影が出来ているその人相はとてもカタギの人には見えない。
あれだけ頭に血が上っていた私も、その人の威圧感に気圧されて固まる。
私もこの人が怖いが、優一くんはもっと怖いらしく背筋をピンと張り、体を硬直させていた。
「アクタベさん。お帰りなさい。」
怯える私達と違ってさくちゃんは気軽にその人へ声をかける。
その人は律儀に「ただいま。」と返すと奥のデスクへ腰を下ろした。
どうやらこの人が探偵事務所の所長であり、さくちゃんの上司のようだ。
「あの…誓約書の内容がおわかりになるんですか?」
恐怖心もさることながら、それ以上にアクタベさんの誓約書の内容に触れる発言が気になり私は思い切って話しかけてみた。
アクタベさんが、無言でじぃっとこちらを見る。
そういえば私、事務所に上がりこんだ挙句、名乗りもしないで質問してしまった。
(しかもその手には逆さにしたペンギンが握られているし。)
彼にとって、今の私は不審者以外の何者でもない。
「あ、アクタベさん。以前お話した大学の同級生のなまえちゃんです。」
名乗ることも忘れて話しかけた私をさくちゃんがフォローしてくれた。
どうやらさくちゃんは10年前魔界入りしたことをアクタベさんに話していたようだ。
そのアクタベさんはさして興味もなさそうに「あぁ、そう。」とだけ言うと、私たちの視線に促されて口を開く。
「つまり。死んだら生まれ変わることなくその魂をベルゼブブにくれてやるって意味だ。
ろくに契約内容の説明もせず名前の記入を迫ったんだろ。悪魔らしい手口だ。」
目線を優一くんに移し「なぁ、ベルゼブブ?」と言うと仏頂面だった顔が口角を片方だけ吊り上げて笑った。
その目線を受けてか、か細く「ぴぎぃー…。」と言って硬直していた優一くんが震える。
アクタベさんの話を聞いて、私は固まった。
つまり…つまり、私は知らない内に魂を差し出す取引を交わしていたってこと?
制約書の更新を迫られたときに私が苦し紛れに言った”悪魔との取引は魂を差し出す”という言葉は、本当だったのだ。
10年かけて判明したその事実に、私の怒りは3度目の沸点に到達する。
「何それ!?そんなの聞 い て な い わ よ!!」
急激な怒りのためか、私は怒りをぶつけるように優一くんを上下に振った。
「ちょっ、やめっ、朝のっ、スイーツがっ、出るっ、うぇっぷっ!」
「やめたってスイーツという名の黄金が出てきてまう!!」
アザゼルさんが私の二の腕を掴んで(いや、揉みながら)私を止めようとするけど構っていられない。
誓約書の内容を把握せずに書いた私も私だけど、当時の幼い私には魂を天秤にかけられているなど想像もできないだろう。
考えれば考えるほど頭にくる。
「それにしたって、なんで口の中に誓約書なんか入れてたんですかベルゼブブさん。」
「人間との”取引”や”契約”は悪魔の本分だからな。契約書は肌身離さず持つものだ。」
「へー。そうなんだ。」
さくちゃんとアクタベさんが私を余所に呑気に話している横から、私は「無効でしょ!こんな誓約書!!」と叫んだ。
魂を差し出すつもりで誓ったのではない。
しかし当然無効だろうと思われた私の考えは「いいや、無理だ。」とアクタベさんにと速攻で否定されてしまう。
「え、なんでですか!?」
「名前と血判をした以上、それは正式な取り交わしだ。取り消したいなら互いの同意が必要となる。」
「てことはベルゼブブさんも誓約書の取り消しに同意しなくちゃならないってことですか?」
さくちゃんの言葉を聞いて、私は”もちろん取り消すよね?”という意味を込めて無言で優一くんに目を向けた。
逆さづりの彼と数秒見つめ合ったかと思うと、奴はぷいっと顔をそらし。
「やなこったー!」
「………。」
「ギャー!!股が裂けるー!!」
私は怒りにまかせて掴んだ足を、これ以上開けないんじゃないかというほど左右に引っ張った。
「やめてー!べーやん縦に裂けてまうー!」というアザゼルさんの叫びも怒りのためか耳に入らない。
さ○るチーズの要領で裂いてやる。
「…さくまさん、お茶。」
「はーい。」
さくちゃんが台所の奥へ消えて行った。
散々暴れてから落ち着きを取り戻した私は、ソファーに座ってアクタベさんに小学生の頃魔界へ迷い込んだこと、最近悪魔が見えるようになったこと、そして魔界に繋がったトイレのことを説明した。
既にさくちゃんが私について話してくれたようなので、説明は手短に済んだ。
その間、優一くんは江戸時代によく使われてそうな拷問器具…ギザギザしている板の上に正座させられ、足の上に重石が乗せられている…にかけられぐったりしていた。
(なぜ拷問器具が探偵事務所にあるのだろう)
「べーやんが痛い目見るとか珍しいな。痛い?ねぇ痛い?」と言ってアザゼルさんがニヤつきながらその重石の上に乗っかる。
「後で覚えてろよクソがぁぁぁあ…」と優一くんが唸るように声を絞り出した。
先ほどまで怒りの頂点に達していた私も、その凄惨な光景を目にして頭の芯が冷やされた…。
一通り話終えると、黙って聞いていたアクタベさんは少し間を置いてから「…いくつか質問していいか?」と口を開いた。
「えぇ、もちろん…なんですか?」
「簡単な質問だ。魔界から人間界への帰り道に振り返ったか?」
その質問が一体どんな結論に達するのか予想できず、私は「え?」と呟いた。
10年前、私は優一くんの部屋の中庭から果樹園を通って人間界へ帰った。
アクタベさんの言う帰り道とはこのことだろう。
帰り際、何があったか私は10年前の記憶を思い出す。
確か…咽て、咳き込む私を優一くんが突然蹴った。
前のめりに倒れた私は起き上がり、文句を言おうとして…振り返った。
そこに優一くんの姿はもうなかったが、私は確かに振り返り、背後で鬱蒼と茂る木々を目にしている。
「振り返り…ました…。」
歯切れ悪く言う私の顔は青ざめた。
わざわざ聞いてくるってことは、良くないことなのだろう。
アクタベさんが一瞬険しい顔をしてから「…もう一つ質問だ。」と言う。
「魔界で何か口にしたか?」
その質問に私は真っ先にジイやさんが出してくれたクッキーと紅茶を思い出した。
これも良くないことだったのだろうか。
「クッキーと紅茶を口にしました。」
クッキーなんて10年前と昨夜で一体何枚食べたんだってくらい貪ったよ私。
枚数までは数えていないので(恥ずかしいので)言わなかった。
「それは魔界で作られたものか?例えば…そのクッキーの原材料である麦やバター、紅茶の葉が魔界で芽吹いたものだと、マズイ。」
アクタベさんに言われて、私はジイやさんがクッキーと紅茶を出す際に言った言葉を思い出した。
”人間界から取り寄せたものですからご安心を。”とジイやさんは言った。
子供心にも何故わざわざそんなことを言うのか不思議だったけど、魔界の食べ物が人間にとって良くないことを知っての上で説明してくれたらしい。
今更だけど、やっぱりイイ人(イイ悪魔?)だジイやさん…。
「それなら大丈夫です。確かクッキーも紅茶も人間界で取り寄せたものだって言って…」
ホッとして喋りだした私だけど、言葉の最中でハッと気がついた。
魔界で口にしたのはクッキーだけではない。
帰り際に、もう一つ口にしたものがあった。
”記念にベルゼブブ家の領地で実ったこの実を差し上げます。お食べなさい。”
宝石のように赤く透き通った小粒の実を、私は食べた。
10年前を思い出して絶句する私は、なんとはなしに優一くんへ目を向ける。
目が合った途端、奴は思い切り顔を横に逸らした。
そんな優一くんの様子に、私の嫌な予感はさらに色濃くなる。
もしかして…この人、知ってて私に食べさせた…?
「食べました…赤い、果物を…。」
それが何を意味するのか、私にはわからないがアクタベさんの深刻そうな様子、優一くんが顔を逸らしたことから重大なことであるとだけ感じられた。
黙って聞いていたアクタベさんがふぅー…と溜息をつき立ち上がる。
そして…優一くんに乗っかる重石をアザゼルさんごと踏みつけた。
「しょうもないことしやがって!!てめぇ魔界と縁が切れないようにしやがったな!!」
体にびりびりと伝わる怒声に、二つの悪魔の悲鳴に私とさくちゃんは驚いて互いの体に抱きついた。
「なんのことやら、さっぱり…!」
「わし関係ないんとちゃいますか!?」
「そこにいるのが悪ぃんだよ!!」
踏みつけるだけでは飽き足らず、アクタベさんは踏みつける重石(アザゼルさん)にじわじわと体重をかける。
「元来悪魔を視認できるはずのない人間がそれを可能とするには偶然に偶然が重なって魔界との縁を濃くしないとできるわけがねぇだろ!!
お前一体いくつの要因を彼女に試した?一つや二つじゃあねぇだろ!?」
それでも優一くんは「覚えがありません…!」と気丈に振る舞うが上擦った声が動揺を隠しきれていない。
アクタベさんのこめかみに血管が浮き上がる。
「おい、お前エリートなんだろ?てめぇ程の悪魔が知らずにこれだけのことをするわけがねぇよなぁ?」
アクタベさんは重石をぐりぐりと踏みにじる。
私の目に、悪魔を徹底的に嬲るアクタベさんの姿が優一くんに制裁を加えたさくちゃんと重なった…。
11.8.24
どうやら私はアクタベさんとさくちゃんを夫婦と勘違いしているようです。
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