選択その18
けっきょく魔界で一睡もしていない私はさっさと布団に入り、次に目を覚ましたのは時計が昼の12時をさす頃だった。
夢の中で大量のハエに追いかけられるという悪夢を見たせいか睡眠が足りず、ふらつきながら私はトイレへ向かう。
トイレの扉を開けようとドアノブに手をかけて、私は立ち止まった。
そういえば我が家のトイレは魔界と繋がっているのだった。
(冗談のようなセリフだ。)
トイレが魔界と繋がるというバカみたいな状況に大分落ち込んだけど、よく考えたら逢魔が刻にトイレを利用しなければ良いのだ。
それに、扉を開いたまま用を足せば扉を開けた瞬間に魔界入りなんてことにはならないのではないだろうか。
冷静に考えればいくらでも回避方法はあるようだ…しかし我が家へ泊まりにきた友達に「トイレの扉は開けっ放しで用を足してね!」なんてどんな顔して言えばよいのやら。
トイレに入ると、そこは魔界のトイレではなく我が家のトイレに戻っていた。
人間界に帰ってきたばかりのときはまだ優一くんの家のトイレだったのに。
一定の時間が経つと元に戻るらしい。
鍵をかえても引越しても奴の持つ鍵の効果は変わらないけど、住まいさえ変えてしまえばせめて魔界と因縁深いトイレに悩まされることはなくなるはず。
けど引越すお金なんて無いし…。
つらつらとそんなことを考えながら、トイレのフタを開けて私は絶句した。
トイレの底から、いく筋もの黒い影が立ち昇っていた。
その影には3つの穴が開き、顔のようなものを形成している。
ぐねぐねと身をくねらせ、口らしきところから「オォオォォ…」という地の底から響くような音を立てた。
カビか何かの一種と思いたいところだけど…黒いオーラを放つカビなど聞いたことがない。
私はトイレの蓋を閉めて、痛む頭を抑えるように目元を手で覆った。
これはもう…原因は優一くんで確定だろう。
一体うちのトイレをどこまで変貌させれば気が済むんだ。
私はすぐさまさくちゃんに電話した。
「今バイト先?そっちに優一く…ベルゼブブさんいる?」
さくちゃんが電話の向こうで「うん、今さっき召喚してカレー食べてるよ。」と言った。
「ちょっとうちのトイレに何したの!?なんか黒いオーラ放ってるんだけど!」
さくちゃんの「なまえちゃん、いらっしゃい。」に返事をしてから私は怒鳴った。
ここに来るまでの間、無言を通してやって来たのだけど燕尾服のペンギンを目にした途端、抑えていた怒りが一気に爆発した。
予想以上に私は、この事態に頭にきていたらしい。
そんな自分に内心驚きながらも、怒りのほうが勝っている私はソファーに座ったペンギンを睨み付ける。
「ごきげんようなまえさん。しかし私はこれから食後のデザートを頂くところなのですから騒がないで頂きたい。」
ソファーに座る優一くんの目の前には空になったお皿が一枚。
テーブルの周りにはカレーが飛び散っている。
(優一くんの横でのんびりカレーを食べていたアザゼルさんが「あだ名、今日はきちんとパンツ穿いてきたんか!?」という言葉が言い終わらない内に、投げつけられたグリモアによって体が四散した。)
王冠ぶち抜いたことを根に持っているのだろう、つんとした表情で自分は関係ないとでも言いたげだ。
関係ないはずがないだろう。
更に怒声を浴びせかけようと口を開くと、「ありませんよ、デザートなんて。」とさくちゃんが言った。
「そんなことよりなまえちゃんに何したんですかベルゼブブさん。」
さくちゃんがグリモアと呼ばれる分厚い本を片手に冷たく言い放った。
メガネが光を反射して目元が見えない。
「いいえ、何も?」と言ってしらばっくれる優一くんに見せ付けるようさくちゃんがグリモアを持ち上げた。
あれに触れられれば先ほどのアザゼルさんの如く、体が四散するのだから相当怖いのだろう。
優一くんがびくっと体を揺らす。
「知ってるんでしょう?なんなの、アレは。」
さくちゃんに乗じて問い詰めれば、観念したのか優一くんが苦々しそうな顔で口を開いた。
「話から察するに…一種の低級の悪魔でしょう。」
「悪魔!?」と、私とさくちゃんの声が重なる。
「悪魔と言うより悪霊に近いですかね。意思を持たず、個も持たない存在です。
意図的に悪さをするわけではありませんが、存在そのものが負の要素を持つので不幸を呼び寄せる性質ではあります。」
淡々と説明されて、私は「えー…。」と力の無い声を出した。
不幸を呼び寄せるって…かなり危険な存在ではないか。
「そんな悪魔おるん?べーやん。」
「えぇ、アザゼルくんより低級の中の低級。下の下のさらに輪を掛けて下の存在です。」
「わしより下がおったんか!?」
自分より下位の存在がいることに喜んだらしい「ひゃっほー!」と歓喜の声を上げるアザゼルさんを「このド下種が。」と優一くんが見下している。
この二人は本当に友達なのだろうか…。
「その悪魔っていうのは、うちのトイレが魔界と繋がったことに関係あるの?」
「でしょうね。」
「でも悪魔って…魔法陣?…を通らなきゃならないんでしょ?」
「普通悪魔は魔法陣を通らなければ人間界に来られませんが、意思を持たない低級の悪魔なら魔界の通り道に顔をのぞかすくらいわけないでしょう。」
あぁ、やっぱり。
私は先ほどと同じように目元を抑えた。
こいつが諸悪の根源だったか。
予想通りの返答を聞いて、私は「やっぱり返してよ、鍵。」と優一くんへまた手を伸ばした。
「少しでも魔界と関係あるものは減らしたいの。」
魔界と繋がったせいであの黒い影が出てきたというのなら、その繋がりを無くさねばならない。
他にも要因はあるけど、今取り返せる要因は鍵くらいのものだ。
しかしペンギンは「へっ!」と鼻を鳴らした。
そのバカにした態度に、落ち着き始めていた私の神経が昂ぶる。
私はペンギンの足を掴んで引っ張り上げた。
「今すぐ出 し て!!」
ペンギンの足を掴み、逆さにすると私は思いっきり上下に振った。
きっと鍵は彼の腹の中にあるのだろう。
優一くんが振られる度に「ピッ、ギャッ、ギャッ、ギャッ、ギャッ!!」と奇声を発する。
えづくペンギンを無視して尚がんがん振ると、口からころりと何かが転がり出てきた。
「これ…紙?」
鍵と思われたそれを、さくちゃんが私の代わりに拾う。
それは鍵ではなく折りたたまれた紙だった。
「なにこれ?」
「わかった!ヤング雑誌のちょっとえっちぃページを切り取ったんやろ!」
「てめぇと一緒にすんな犬面悪魔!!」
その紙をさくちゃんが開くと、私に逆さにされたままの優一くんが「あ、こら、お止めなさい!不躾な!」と暴れる。
そこには、ぐにゃぐにゃとねじ曲がった文字の羅列と…私の名前。
「それ…もしかして、あのときの”誓約書”?」
10年前、”優一くんのことを忘れない”と言った私の言葉を信用しなかった彼が書かせた誓約書だ。
文字は読めないけど、アンダーラインの引かれた場所に書かれた名前は、確かに幼いころの私の字だった。
「えー…なになに?」
私と違って悪魔の文字を読めるさくちゃんが読み上げた。
931世”ベルゼブブ”の名を死後も忘れず、再び相まみえた際に口にすることができなければ、富める者の館へ招かれることなく魂を差し出すと誓う。
魂を差し出す条件は――……。
さくちゃんが読み終えると、事務所内はしぃんと静まり返った。
なんなのこの誓約書の内容。
アザゼルさんが「何それ、こわー…。」と悪魔なのに引いていた。
「…つまり、どういうこと?」
足を掴む手に力を入れて聞けば、優一くんがびくりと体を揺らす。
「…文面そのままの意味ですよ。」
「”富める者の館へ招かれない”って…なに?」
「何分、幼い子供の考えたことですからね…私もよく覚えておりませんなぁ。」
ふぅー…と溜息混じりに優一くんが言う。
私は即座に「絶対嘘だ!」と否定した。
「どうして”絶対”などと言えるのかね!?」
ヒステリックに叫ぶ優一くんだが、しらを切ろうとする様子は明らかだ。
きっと良い内容ではないのだろう。
何がなんでも聞きださねば、きっと命に関わる。
どうやって口を割らせようか…と考えを巡らす私の背後で、突然男性の声が響いた。
「冥府の神の別名だ。」
扉が開く音もせず現れた人間に驚いて振り返ると、私は怒りも忘れて固まった。
そこには黒いスーツを身に纏った…なんか色々黒い人が、周囲に威圧感を撒き散らしながら立っていたからだ。
11.8.21
ついに出てきたリーサル・ウェポン。
「一種の低級の悪魔〜…」の設定はすごくテキトーです。
”魂を差し出す条件”も無駄に長くなってしまうので省きました。
また区切りのよいところで捏造設定や、べーやんの意図について説明いたします。
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[mokuji]
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