選択その15


「おやおやおや、あの時の小さなお嬢さんではないですか!立派なレディになられて、まぁ…。」



「ど、どうも…お久しぶりです。」




ハエの人に連れられてやって来たジイやさんは10年前と変わらぬ姿で、成長した私のことを憶えていてくれた。
「年を取ると涙線が緩くなりましてね…お恥ずかしい。」と言いながら1本目の手にハンカチを持って涙を拭き、2本目と3本目の手で私の手を握り、残りの4本目で頭を撫でてくれた。



全身で再会を喜んでくれているのだが…手の本数が多いせいか落ち着かない。
それよりもソファーでのびている優一くんの快方はしてあげなくてよいのだろうか。



「ジィ…水は…まだ、か…。」という掠れた声とともに、ぷるぷる震える緑の手がソファーから伸びてきたのが私の横目に映った。






「ところで、なんで私ここにいるの?」


パニック状態だった私も温かい紅茶を頂いて人心地つき、クッキーを齧りながら優一くんに聞いた。
しかし返された言葉は「あぁ!?」というドスのきいた声。




「すみませんねぇ。我が城に侵入してきた無法者に首を絞められ意識がなかったものですから、よく存じ上げません。」




なんて遠回しな嫌味だ。
真向かいに座る優一くんは襟元を寛げて、痛む首を擦っている。
私に首を締められ、ジイやさんには存在を忘れられ、優一くんは最高に不機嫌な状態だった。



突然部屋に飛び込み、首を絞めてしまったのは申し訳ないと…思ってる。(じゃっかん納得いかないけど)
しかし、優一くんは魔界に入り込んだ私に驚きもせず悠長に構えていたところを見ると、ある程度の事情を知っているのではないだろうか。



あまり怒らせてしまうと、機嫌を損ねて帰る手段を教えてくれないかもしれない。
これ以上神経を逆撫でないよう言葉に気をつけながら、私は今までの経緯を説明した。



黙って聞いていた優一くんは、説明が進むほど徐々に口の端を釣り上げていく。
途中からそのニヤつきが気になったけど、説明のほうを優先し、「…その笑い方からして何か知ってるんでしょ?」と私が話を締める頃にはすっかりいつものニヤついた笑いが貼り付いていた。




「えぇ、それは勿論…何故だか教えてあげましょうか?」




と優一くんはもったいぶった言い方をする。



最初から聞いてるんだからさっさと答えろや…と口には出さず黙って頷くと、優一くんが舌を出した。
ニヤつきながらべろりと出された、驚くほど長く赤い舌の上には…見覚えのある鍵とストラップ。




「それうちの鍵じゃない!」




私は驚いて思わず叫んだ。



鍵に付いている牛のストラップ。
確かあれはうちの合鍵に付けていたものだ。
いったいいつ持ち出したのだろう。




「えぇ、あなたから頂きました。」



「あげた覚えないんだけど!?」




まさかとは思っていたが、本当にうちの鍵を持ち出していたとは。
気付かない私も私だが、悪びれもせず堂々と盗み出した鍵を見せる優一くんも優一くんだ。



当然のことながら私は「返して。」と言って手を伸ばす。
しかし。




「ハッ、嫌ですよ。」




バカにしたように笑うと、優一くんはその舌を引っ込めようとした。
舌の上から鍵を取り返すことに躊躇したが、このまま渡してしまうのも良くない。
慌ててテーブルに片膝ついて手を伸ばす。
しかし躊躇して反応が遅れたせいで、一瞬早く彼の赤い舌の方が口内に引っ込んだ。



私は勢いあまって優一くんの口を覆うように掴む。
(黄金摂取してる口掴んじゃったよどうしよ。)



掴んだ口元の筋肉が僅かに動き、喉元が上下した。
私の手を通して、鍵が喉の奥へと飲み込まれたのが伝わった。



鍵を飲み込むなんて…どうなってんのこの人の腹の中。
四次元ポケットか?



私に口元を掴まれていることなど気にならないらしい、眉一つ動かさずしれっとした表情で優一くんは…掴む私の手の平を舐め上げた。



手の内側を、水気を帯びた何かが這うその感覚に、背中がぞわりと粟立つ。
私はなんとも言えぬ不思議な悲鳴を上げて飛びのいた。




「なんで舐めるの!?」



「汗が滲んでいたので。」




理由になっていない…。
しかし彼は無表情でそう言った。
どうやら本気らしい。



言葉にならず、ドン引きする私に優一くんが舌打ちすると「まったく、無知ですね。」と言う。




「人間界に生息するハエの中にも人の体液…タンパク質を摂取している種もあるのですよ。」




そんなことも知らないのかバカだなこいつ…という目で見下されながら説明された。
ハエの生態などわかるものか。



しかし今の話からすると、私の汗は食事として摂取された、ということ?
いやそれでも引くことには変わりないのだけど。



あとで赤チン塗りたくろう…と思いながら「で、なんでうちの鍵持ってるの。」と聞けば「許可を出したではないですか私に。」と当たり前のことを告げるように言われた。




「だから、許可を出した覚えないって。」



「おや、”敷居を跨ぐ許可”を下さったはずですが?」




その言葉に、はたと私は思い当たった。



まだあのペンギンが優一くんと知らなかった時。
トイレに籠城されて、交換条件で無理やり言わされた、あの言葉。
いったいあの言葉にどんな意味が含まれているというのだ。




「思い出しました?」




私の表情を読んで、優一くんが愉快そうに笑う。




「本来悪魔は他人の家の鍵に触れられないのですよ。家主の許可がない限り。」



「それが”敷居を跨ぐ許可”なの?」



「”鍵を所有する許可”も”敷居を跨ぐ許可”も同等の意味を持ちますからね。」




家に招いただけなのに鍵を持っていかれるなど、誰が思うだろう。
悪魔の世界は随分と特殊なようだ。



それにしても、納得いかない。




「あんなの無理やり言わせたんじゃない、無効でしょ。」




トイレに篭城された挙句、水道代を人質に脅されてやむなく言っただけのこと。
本意ではない…しかし。




「言葉の重みがわかっていませんね。本意だろうと不本意だろうと、口に出したのなら責任が発生するものです。」




「口は災いの元と言うでしょう?」と付け加えられて私は言葉に詰まる。




その家主が嫌だと言っているのに無効にできないとは。
悪魔の決まりごとっていうのは、こんな騙し討ちみたいなのばかりなの?



しかしそれなら、鍵を新しいものに変えれば良いのでは…と、思いついた瞬間。




「鍵を変えても家を引っ越しても無駄ですよ。鍵や家が問題なんじゃない。あなたが許可を出したことが意味を持つのですから。」




やっぱり私の考えはバレていたらしい。
私の考えを、優一くんは一気に打ち砕いた。




「でも、いくら鍵を持つ許可を出したところで使う鍵が変わってしまえば扉は開けられないはずでしょ。」




一度出した許可を撤回できないなら、新しい鍵を盗られぬよう気をつければよいだけのこと。
しかし優一くんは「わかっていませんね。」と首を振る。




「私がいつ鍵穴にこの鍵を挿して扉を開きましたか?
鍵の所有者の意思だけで扉も窓も自ら開き、招き入れてくれるのですから悪魔にとって鍵穴など無意味。
つまり、この鍵1つであなたの今後の住まいも実家も入りたい放題ということです。」




鍵を鍵穴に挿し込まず、扉や窓が自ら開く?
難しい言葉を使われたわけでもないのに、私は理解できず固まった 。



そんな私に「10年前にも言ったではありませんか。私が鍵だと。」と優一くんがため息交じりに言う。



10年前…城の窓が近付いただけで勝手に開いた理由を聞く私に、彼は「私が鍵だからですよ。」と謎かけのようなことを言った。



だから優一くんはあの日、玄関からではなく台所の方角から姿を見せたのだ。
鍵で開く筈のない窓でも、彼が鍵を飲み込むことで勝手に窓は開く。
私の家は開かれてしまったのだ。




「まぁ引っ越したいというのならそうなさい。私に新居の鍵は必要ありませんからね。持ってますから。」と言って自分の胸をトントンと叩く。




なんで私が優一くんに引越し先の鍵を渡すこと前提で言うのよ。
人を小バカにした態度に神経を逆なでされ、私は苛立ちから頭が痛くなってきた。
…なんでこんなのが初恋なの、小学生の私…。




「…で、鍵のことはわかったけど…うちのトイレとこっちのトイレが繋がった理由とどんな関係があるの?」




埒が明かないので、不服ながらも私は本来聞きたかった話に戻った。
「鍵は一つの要因ですよ。」とだけ優一くんが言う。



何故いつも核心部分に触れず、こっちの様子を見ながら話を進めるのか。
面倒に思いながら「他の要因は?」と私はわざわざ話を促した。




「何度もあなたの家のトイレを借りましたし…アザゼルくんもあのトイレで吐いてましたね。」




「あぁ、あとあなたは我が城のトイレを利用しましたね。」と優一くんは言うが、つまりその要因が何故魔界に繋がるトイレになるのか私にはわからない。
眉を顰めると、何故か優一くんは「おめでとうございます。なまえさん。」と言って恭しく手を広げた。




「あなたの家のトイレは魔界と因縁深い場所になったんです。」




彼は本当におめでたい祝辞を告げるかのごとくそう言ってみせた。
私は、彼のそのテンションと告げられた内容のどこにめでたい要素があるのか理解できず、「え?」と呟く。




「10年前、中庭の果樹園を通り抜けて人間界に戻ったでしょう?あれと同じです。」



「…え?」



「良かったですねぇ。特に今年は暦の上で魔界と人間界とが一番重なる年ですから、頻繁に来れますよ。」



「………え?」




頻繁に来れるというのは、私が魔界に、ということ?
トイレに入る度に私は優一くんの家に来てしまう、ということ?



これからの大学生活に支障をきたすであろう問題が、私の頭の中を駆け巡る。




「もっと喜んでみたらどうです?」




「魔界と人間界の道が許されたのですよ?しかもこのベルゼブブ家の敷地内で。」と優一くんは言うが、私はひたすら「え?」しか言えない。
そんな私の相手に疲れたのか何度目かのやり取りで「説明は以上です。」と説明を放棄した優一くんが紅茶を啜る。



どうやら、我が家のトイレは魔界に片足突っ込んでいるようです。






11.8.6
話がダラダラ長くなってしまいましたね…。
吸血鬼や悪魔は家人に招かれないと家の中に入れないそうです。






[ 17/30 ]

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