選択その9
女の人が金色の髪を広げてベッドで眠っている。
どうやら私は夢を見ているらしい。
しかも以前にも見たことのある場面だ。
はて、いつだったろうかと夢の中で考えていると、その金糸の髪に誰かが触れる。
その手は4本指だった。
そうだ思い出した。
優一くんの部屋で見た…人間に恋した悪魔の話だ。
悪魔が、4本指の手を女性の髪から首筋へと移す。
私はあの夢の続きを見ているようだ。
しかしおかしい。
最初は愛おしさから触れているだけだと思われた悪魔の手だが、女性の首筋を行ったり来たりするその様はまるで首を絞めるか否か逡巡しているようだった。
悪魔が首を絞めて殺すのは、愛する女性の結婚相手である男たちのはずだ。
夢の中の私はそれを止めることができず、ただ傍観するしかないらしい。
いつかの時のような、じっとり絡み付く不安を感じた。
「起きろこのクソバカ女!」
その怒声に私はびくりと体を震わせて目を覚ました。
夢のせいか、嫌な汗をかいて気持ちが悪い。
外で誰かが騒いでいるのだろうか、と一瞬考えたが「おい起きろ!!」という言葉がそれを否定した。
確かにこの部屋で誰かが発声している。
「嘘でしょ…。」
泥棒?
しかしわざわざ家主の私を起こしてどうする気なのだろう。
いざというときのため、目潰しようにハエ駆除スプレーを片手に持って私はそうっと布団から出て、声のする台所へ向かった。
「起きろ!ビチグソ!」という罵詈雑言と何かが暴れる音がする中、そろりと台所の様子を覗う。
そこには…ハエ取り紙にぶら下がるペンギンが、手足をバタつかせてこちらを睨みつけていた。
「………ペンギン?」
「なんてもの片手に持ってるんですか!いや待てそれ以上近付くんじゃねぇ!!」
「喋ってる…。」
110番?119番?
それとも動物病院に電話するべきか?
ものすごい形相で暴れるペンギンを前に、私はどんな対処をするのが正解なのか、起きたばかりの脳みそは上手く働かない。
どこから入り込んだんだろう、このペンギン。
ふと台所の窓に違和感を感じて目を向けると…窓ガラスが割られていた。
しかもご丁寧に飛散防止+音消しのためガムテープを貼っている。
…どうやらこの窓から不法侵入したようだ。
「110番しよう。」
かわいそうだが、こんな手口で不法侵入してくるペンギンを放っておくわけにはいかない。
携帯電話を持つ私を見て、ペンギンが「彷徨っていたところを助けた命の恩人を警察に売る気か!」と叫んだ。
ペンギンに命の恩人、と言われるがピンとこない。
このペンギンと面識あっただろうか。
「北極で遭難した覚えもなければペンギンに助けられた覚えもないんだけど…。」
「ペンギンがいるのは南極だバカ!昔以上に低能だな。」
ペンギンがへっと鼻で笑った。
なんてムカツク顔だ。
しかし”昔以上に”とは、以前会ったことのある人間に向けられる言葉だろう。
やっぱり面識があるのかな。
でもペンギンに知り合いなんていないし。
いぶかしむ私に向かってペンギンが「早く助けろ!」と吠える。
朝っぱらから大家さんに怒られるのも嫌なので、ひとまず私はこのペンギンを助けることにした。
「ちょっと、暴れないでよ…!」
「ギャー!力任せに引っ張るな羽毛が抜ける!」
暴れるペンギンを小脇に抱え、テープを引っ張る。
暴れたせいでべったりとくっついたようだ。
これはもう羽毛を諦めるしかないだろう。
そう決断すると、私は「うりゃ!」と気合の声を出して思い切りテープを引っ張った。
「ピギャシャァア!!」
ペンギンの悲鳴が木霊した…。
なんとか助けだしたペンギンはテーブルの上にちょこんと座り込み、助けられた礼も言わず私に背を向けていじけていた。
そのお尻は…残念なことに、一部分だけ肌が丸見えになっている。
「うわー…大丈夫?」
「見りゃわかるだろ重症だ!」
「お尻丸見えになっちゃったね。」
「てめぇが丁重に扱わねーから羽毛が抜けちまったんだろーが!」
ごっそり羽毛が抜けてしまったのはかわいそうだが、あの状態ではしょうがないだろう。
機嫌を損ねるペンギンに「きっとすぐ生えるって、多分。」と励ます。
その根拠のない励ましに腹が立ったらしい。
「テキトーなこと言いやがって!今後一切ハエ取り紙なんぞ使うんじゃない!!」と更に怒りがエキサイトする。
このペンギンは何処からやって来たのか、何者なのか、聞きたいことは山ほどあるのだけどずっとこんな調子で怒っているので今だ私は何も聞けずにいた。
あのお尻をなんとかしなければ機嫌を直してくれなさそうだ。
仕方がないので、何か良いものはないかと仕送りの荷の中をあさってみる。
そこには昔懐かしの赤チンキがあった。
「赤チンキ塗る?」
「ふざけんな!この家にはマ○ロンてものがないのか!?これ以上私を滑稽な姿にする気だな、このクソ女!」
「うちマキ○ンないし…何も処置しないよりはいいでしょ?」
テーブルの上に座るペンギンを抱き上げ、お尻が前にくるよう小脇に抱える。
「やめろ!」というペンギンを無視して赤チンキの蓋を外した。
「じゃあ塗るよ。」
「ちょ、ちょっと待て、触るな!揉むな!…ぴぎっ!」
ペンギンの羽毛ってふかふかしてる。
逃げないようペンギンを取り押さえ、無駄にあちこち触りながら赤チンキをべちゃべちゃ塗った。
ちょっと塗り過ぎて周りの羽毛が赤くなってしまったが、まぁしょうがないだろう。
「よし。終わったよー。」
声を掛けるが、ペンギンは無言だ。
小脇に抱えた体はひそかに震え、私の腕に振動が伝わる。
そんなに嫌だったのだろうか?
両手でペンギンを持ち、覗き込もうとした瞬間。
「この…ド低能がぁ!!」
そう叫ぶとペンギンは弾丸のように私の腕から飛び立ち、トイレに突っ込んだ。
あ、と思う間もなくガチャリと鍵の閉める音がする。
用でも足しているのだろうか?
しかし物音一つせず、辺りはしぃんと静まりかえっている。
こいつ…トイレに籠城する気か?
「ちょっと…なにしてるの?」
「はっ!てめぇみたいな性根の腐った女に神聖なトイレを使わせるか!」
どうやら私を困らせたいらしい。
助けた上に怪我の治療までしてこの仕打ちって…。
けど私は大してこの仕打ちに困ることはなかった。
「別に隣の人にトイレ借りるからそこまで困んないんだけど…。」
「…………。」
切羽詰まったらトイレなんて借りればいいし、むしろ居座り続けなければならない自分の方が辛いのではないだろうか。
そして私の考えは図星だったらしく、大した効力のない脅しに気付いたペンギンが無言になる。
諦めて出てくるのも時間の問題だろうと思われた。
しかし次の瞬間、ひっきりなしに続くトイレの流水音が私の耳に届いた。
一回や二回ではない、続けて何度もトイレを流す音が聞こえる。
「トイレ流すのは1回で十分でしょ!?」
「トイレ流しっぱなしにして水道代跳ね上げてやるわ!!」
「やめてー!」
事態は悪化した。
今月金銭的に余裕のない私にはとても効果的な脅しをもって、暴挙に出たペンギン。
「今月ヤバイの!」と必死になって説得すると流水音がぴたりと止まる。
そして扉の向こうから「”敷居を跨ぐ許可を出す”…と、言え。」という声が聞こえた。
「不法侵入しといて今さらなに言ってんの。」
言わせてどうする気だ?
思わずツッコんだら癇に障ったらしく、またジャージャーと連打でトイレを流す音に私は慌てて「わかった、許可だす!だから止めて!」と叫んだ。
すると扉が僅かに開き、ペンギンが顔を半分だけ出して「…本当かね?」と念押ししてきた。
「疑り深いな…本当だって。」
その言葉に満足したらしい、ペンギンは勝ち誇った顔で「まぁいいでしょう。」と言いながらトイレから出てきた。
なんなのこいつ。
テーブルに座るペンギンの前に私も座ると、朝から騒ぎっぱなしのせいか疲れが一気に押し寄せた。
「…けっきょく何が目的?ていうかなんで喋れるの?」
ずっと疑問に思っていた言葉をやっと口にすると、「おや、とっくに気付いているものかと。本当に察しが悪いんですね。」とペンギンが僅かに驚いた顔をした。
当たり前だ、ペンギンの知り合いなんていないもの。
しかしペンギンの口から出た名前に、私は驚愕した。
「ベルゼブブ931世・ベルゼブブ優一に決まっているでしょう。」
「……え?」
ペンギンの言葉に私はフリーズする。
この空飛ぶペンギンが優一くん?
私の知ってる優一くんと違う。
しかしそう言われれば、あの王冠に髪型、眠たげな目はなんとなく優一くんっぽい。
いやでもなんでペンギン?
ペンギン(優一くん?)は壁に掛けられた時計を横目で見ると「もうこんな時間ですか。」と言って背中の羽をはばたかせて空中に浮いた。
「では、そろそろお昼の時間ですので失礼します。」
「え、ちょっと、ほんとに優一くんなの!?」
「そうだっつってんだろーが。」
「えぇえ!?うそでしょ!?なんでペンギンなの!?」
私の呼び止めなど聞いてもいないかのように、ペンギンは「今日は何カレーですかね。」と呟きながら割れた窓ガラスから外へ飛んで行ってしまった。
(ちなみに尻は赤チンキで赤くなっている)
取り残された私は茫然と奴の出て行った窓を見つめた。
…けっきょく何しに来たんだ。
11.7.9
アザゼルさんに赤い尻を笑われて首を切り落とすに10億ポインツ
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[mokuji]
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