選択その7
なんで便座に座った状態で見知らぬ男と対峙しなくてはならないのだろう。
私は、あまりにも有り得るはずのないこの状況に驚きとショックを受けて、うまく息が吸えなかった。
夢であってほしい。
むしろ気絶してしまいたい。
卒倒しそうな私を見おろす男は、裂けるんじゃないかというほど口の端を吊り上げて笑った。
「あれだけ言ったくせに忘れたのですか?この私を。」
その意味有り気な言葉に、混乱しっぱなしの頭が一瞬だけ冷静さを取り戻した。
目の前の男をよく見てみる。
裂けた赤い口に並ぶ鋭利な歯。
眠たげに垂れた目に外ハネする金色の髪。
美少女のようだった記憶の中の男の子と、目の前の男の姿がリンクする。
記憶の片隅に追いやっていた何かが首をもたげた。
「…………優一くん?」
緊張で乾燥した喉では上手く発音できず、10年ぶりに口にしたあの名前は掠れた声で出てきた。
しかし私の呼びかけは彼にしっかり聞こえたらしい。
「おや、つまらない。覚えていたんですね。」
不満そうなセリフとは逆に、満足そうに男が……優一くんが笑った。
え、ほんとに優一くん?
てかなんでここにいるの女子トイレなんだけど王冠と目玉はどこいったの肩にいる犬なに
新たな混乱にさいなまれ、私の頭の中で目まぐるしく彼に対する疑問が噴出した。
けれどショックで動きの鈍い脳みそは上手く動かず、その疑問が口を通して出てこない。
おかげで口は開きっぱなしだ。
そんな私を尻目に、「では再会の記念にこれ下さい。」と言って屈んだ優一くんは…。
私の膝まで降ろされたパンツとタイツを掴んだ。
「えぇぇぇえ!?なにどういうこと!?ちょっとま…えぇ!?」
これ下さいって、なんだ!?
あげるものじゃないでしょ持っていってどうするの!!
とんでもないものを請求されて叫ぶ私に「パンツはトイレで脱ぐものなのでしょう?」と優一くんが言う。
何言ってんだこいつは。
しかし、怒鳴り返そうとした私の脳裏にまた昔の記憶が蘇る。
あの日迷い込んだ魔界で、お礼にパンツをよこせと言う優一くんに私は…
”お母さんがパンツはトイレとお風呂のときしか脱いじゃいけないって…”
と言った気がする。
………いや、言った
パンツを引っ張られ、我に返った私は慌ててその手を止めようと手を伸ばす。
左手でスカートを抑え、右手でパンツとタイツを掴んだ。
引っ張られた分だけ私も引っ張り返す。
どうやら本気で脱がす気らしい、盗られてなるものかと粘る私に優一くんが「ちっ。」と舌打ちした。
「往生際が悪いですね…!」
「当たり前でしょ…!なんで再会の記念がパンツなの!別のものにしてよ!」
「腹の中すっからかんのてめぇが差し出せるものはパンツしかねぇだろ!」
「い、意味がわからない…!パンツはあげるものじゃないって言ったじゃん!」
「いいやパンツだ。断固としてパンツを要求する!!」
「べーやん先に靴脱がさな!」
何が彼をここまでパンツに執着させるのか。
(そして関西弁の助言は誰だ)
私と優一くんに引っ張られ、タイツがミシミシと嫌な音を立てた。
…絶対穴開いてるよこれ。
拮抗状態の続く中、そこへ「きゃっ…!」という私達以外の女の子の声がした。
ようやく誰かが駆けつけてくれたらしい。
初恋の相手を犯罪者にするのは心が痛むが、かと言ってパンツをやるわけにもいかない。
意を決して、その人に「助けて!」と叫んだ。
しかし。
「王子たま…っ…。」
「……は?」
彼女は、そう呟いたのだ。
王子?私のパンツ握ってるこいつが?
絶句して彼女を見つめる。
何故か翠○石っぽい(多分コスプレ)彼女の頬は赤く、きらきらと輝く雰囲気を纏っている。
(多分優一くんにフィルターかかってる)
いやいやいやいやいやよく見て!
「王子違う!変態!ここ女子トイレ!!」
「魔界の紳士に向かって変態とは何だね失礼な!」
「紳士は人のパンツを脱がさないわよ!!」
優一くんがキリッとした顔で反論してくるが、パンツを掴んだその姿ではまったくもって説得力がない。
自覚はないのか、優一くん。
「あの…コスプレに興味ありませんか?」
パンツを掴んだままの優一くんに彼女は何故か勧誘を始めた。
…あの、私パンツ脱がされそうなんですけど…。
「コスプレとやらに興味はない。」
「体験入部だけでも…」
「べーやんコスプレよりパンツに興味あるんですわーすんません。」
「……。」
直にパンツを盗まれそうになってるのに、なんで放って置かれてるんだろう私。
変態が美形だからか?
美形なら何しても許されるのか、そーいうことなのか?
空しい気持ちに駆られると、パンツとタイツを引っ張られて足が持ち上がった。
「いいから脱ぐんだ!」
「ぎゃー!!やだー!!ぎゃー!!」
そうだ私パンツ脱がされかけてるんだった、と我に返るが時すでに遅く。
スカートが捲れないよう抑えるのが精一杯で、次の瞬間には私のパンツとタイツが一気に脱がされた…。
信じられない気持ちで吹っ飛ぶ靴を目で追う。
「…では確かに頂きましたよ。」
機嫌良さそうにその変態は私のパンツとタイツを懐に入れた。
私はあまりの怒りからか単純な罵倒の言葉しか思い浮かばず、ひたすら「バカ…!バカ…!」と連呼するばかり。
「べーやんはよ行かな、さくにバレてまう!」
「そうですね。それではなまえさん。ごきげんよう。」
そして奴は爽やかな笑顔で優雅に去って行った。
去り際に関西弁の人が「ぽんぽん冷やしたらあかんでー!」と労わりの言葉を残して。
なんだったんだ、一体…。
初めて優一くんに名前で呼ばれたのだが、状況が状況だけにまったく嬉しくない。
「…だいじょうぶ?」
翠○石っぽい人がおずおずと吹っ飛んだ私の靴を足元に持ってきてくれた。
とりあえず「大丈夫です…ありがとう…。」と蚊の鳴くような声で礼を言い、私は失意の中、カバンから携帯電話を出すと半分無意識のうちにさくちゃんに電話する。
「佐隈です。どうしたの?」
電話越しに友人の声が私の耳に届く。
「いま電話して平気?」と聞けば「丁度用事終わったところ。」と返ってきた。
用事があると言っていたから繋がらないだろうな、と思ってたけどタイミングが良かったらしい。
「意外と早く終わったからこの後、用事ないんだー。良かったらこれから遊びに行かない?」
と言うさくちゃんの声は嬉しそうだ。
きっと無事にノートを借りられたのだろう。
そしてさくちゃんの声を聞いた私は安堵のためか思わず…泣いた。
「え!?え!?どうしたの!?」
「…パンツ…取られたぁ…。」
「えぇえ!?どういう状況!?」
さくちゃんに”身の危険を感じたら連絡して”などと言った私が助けを求めてしまい。
その日、私は駆けつけたさくちゃんに慰められながらノーパンで家路についた…。
……スースーする……。
11.6.30
10年越しのパンツ。
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[mokuji]
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