責任その14
「人間を見た目だけで判断するなどもってのほか。
相手の人格を知ろうともせず、一方的な感情を押し付ける。
軽率この上ない恋愛の始まりと捉えております。
それでもわたくしは、一目惚れしたのです。
話したこともない、名前すら知らないあなたに。」
わたくしにとってなまえ様は、血の繋がりのあるクダリと同じくらい身近に感じる存在です。
不思議なことに、それはなまえ様を一目見たときからそうでした。
勝ち進んだ者だけが、サブウェイマスターでと対峙できるバトルトレイン。
わたくしは今日も変わらず、前の車両から現れた挑戦者に目を向けました。
そこには若い女性が1人。
いつも通りのセリフを吐き、バトルをするつもりが今日ばかりは勝手が違います。
目の前の女性から、まるでバトルの強者と対峙するかのような高揚感を感じたのです。
浮かれた気分、とでも言うのでしょうか。
彼女は緊張した面持ちではあるものの到って普通の女性。
以前バトルをした乗客だろうか、と考えましたが記憶にありません。
とにかく自分は彼女に興味を持っているらしい。
しかし初対面の相手に抱く思いにしては、とても強い印象をわたくしに与えました。
もしかしたらクダリのように表面上ではわからない秘めた才能を持っているのかもしれない。
まだ当てはめるべき感情がわからず、そう自分を納得させて業務に集中しました。
「本日はバトルサブウェイご乗車ありがとうございます。わたくしサブウェイマスターのノボリと申します!」
彼女とは初めて会ったばかりだというのに胸騒ぎにも似た自分の感情を不思議に思いながら、
それでもわたくしは表情を崩さず、全てのお客様にもそうであったように平等に言葉を紡ぎます。
ですが彼女は硬い表情でこちらを凝視するだけで、一向にモンスターボールを構える様子がありません。
はて、何か失礼なことをしてしまったかと原因を探りますが特に思い当たりません。
「体調が優れないようでしたら棄権することが可能ですが…」
しかしわたくしが言い終えぬ内にシングルトレインは緊急停車。
停車した衝撃に身構えてバランスを取り、転倒を防ぎます。
急ブレーキを伴う緊急停車だけでも大ごとなのに、更に停電までしてしまいました。
「え!うそ!…あいたー!」
しかし彼女は失敗したらしくベシャ!と派手に転んだ音が。
ここで初めて彼女の声を聞きました。
声を聞いただけなのに、何故かそれがとても貴重なことのように思えるのは何故でしょう。
転んだらしい彼女は無言。
もしや打ち所が悪かったのでは、という考えがよぎります。
必要以上に彼女の身を心配する自分に疑問を抱きながら、誤って踏んでしまわないよう暗闇の中を慎重に歩いて彼女に近づく。
ゆっくり手を伸ばすと、かすかに指先が彼女に触れました。
触れただけなのにピリピリするような感覚が腕まで昇ってきます。
「…お怪我はございませんか?」
すると低い位置から「大丈夫です。」と掠れた声が返って来ました。
気を落ち着かせようと背中を擦ると、驚いたらしくビクリと体を硬直させたのが伝わってきます。
一瞬出過ぎたマネだろうか、と心配しましたが例え他の乗客であったとしても同じ行動を取っていたでしょう。
しかしこんな親しい人間に抱くような感情を持って接することはありません。
…やはり知り合いでしょうか。
初対面の相手を身近に感じるなど厚かましいものです。
知り合いかどうか、聞こうと口を開きかけますが、そこへインカムを通して運転再開の連絡が入ります。
「申し訳ありません。まもなく運転を再開致しますので、もうしばらくお待ち下さいませ。」
先ほどの疑問を再度口に出そうか迷いましたが、今は怯える彼女を落ち着かせるのが先と思い後回しにしました。
それに今の現状に嬉しさを感じている自分もいて、この雰囲気を壊したくなかったのです。
真に不謹慎ではございますが、この事故がなければサブウェイマスターと乗客としていつも通りのやり取りしかしていなかったでしょう。
わたくしは何度も「大丈夫ですよ」と声を掛けます。
じゃっかんしつこく言い過ぎた気もしますが、とにかく何でもいいから声をかけたかったのです。
そしてインカムの連絡通り、辺りは目映いばかりに明るく照らしだされました。
…どうやらわたくしは「大丈夫ですよ」と声を掛けながら無意識に彼女のほうへ徐々に近づいていったようです。
思いのほか彼女はわたくしのすぐ目の前にいました。
「次の駅で停車するそうです。本日は誠に申し訳ありません。」
彼女との距離を視覚で捉えた途端に恥ずかしさがこみ上げました。
わたくしは誤魔化すように早口にそう告げますが、彼女はまた硬直してしまいます。
やはり打ち所が悪かったのでしょうか。
覗きこもうとした時です、目も眩むような衝撃を下から顔に受けました。
顎も強打したため意識がグラつきます。
「ほんとごめんなさい!ご迷惑おかけしました!」
あまりの衝撃に顔を手で覆い、痛みをやり過ごそうとしていると頭上から彼女の声が降ってきました。
慌てて見上げれば立ち上がった彼女が全身血だらけでこちらに頭を下げているではありませんか。
「お、お待ちくださいまし!そのような状態でどこへ行かれるのです!?」
「あ、大丈夫です!痛くないですし!」
「出血しているのに大丈夫も何もありません!」
必死で呼び止めますが、彼女は逃げるように電車から降りて行ってしまいました。
「手当を受けていきなさい!」
彼女の後姿に声を掛けますが振り向きもしません。
何故でしょう、もうギアステーションには来てくれないような気がしました。
…名前もまだ知らないのに…。
そんな思いに駆られている自分にまた驚きます。
「大丈夫ですかボス!顔ぶつけたんですか!?」
理解できない自分の思考回路に戸惑っていると、こちらの身を案じる駅員の心配そうな声が耳に入りました。
ハッと我に返れば、途端に切れた唇の傷口が熱を持って痛み出します。
インカムのスイッチをONにする。
「停電事故に巻き込まれた女性が現在ギアステーション内を逃亡中。
怪我をしております。見つけしだい至急保護して下さい。
地上出口の階段付近にいる者は特に注意して下さい。おそらくそちらに向かったと思われます。」
そうインカムを飛ばしました。
怪我人を保護するのは当たり前のことです。
ですがわたくしは私的にインカムを飛ばしたような錯覚に陥りました。
きっと、個人的に彼女に会いたいという思いがあるからでしょう。
ぼんやりとしながら、彼女の様子を思い出します。
彼女の逃げるような素振りを見る限り、もうバトルサブウェイには挑戦して下さらない気がしました。
わたくしは、こんなにもあなた様に思い入れがあるというのに。
なのにわたくしとは違い、彼女が自分と同じ思いを抱いていないことを悟るとひどくがっかりするのです。
彼女はけっきょく見つかりませんでした。
それからのわたくしは平静を保っておりませんでした。
何をしていても、あの停電事故のことを思い出すからです。
彼女は無事に帰れたでしょうか。
行き倒れていないでしょうか。
お名前はなんというのでしょう。
またギアステーションに来て下さるでしょうか。
そんな考えばかりが頭の中を堂々巡りしていて、ついにはバトルで「シャンデラ、じしん」と意味不明な指示を出してしまいました。
…シャンデラなりに「じしん」を起こそうとぷるぷるしながら踏ん張るそのいじらしさが涙を誘います。
駅員とすれ違っては全身傷だらけの女性を見かけなかったか尋ね、首を横に振られるとひどく落胆する日々を過ごしました。
「今日でその質問3回目。ノボリ、どうしちゃったの?」
ついには弟のクダリに心配される始末。
「…すみません。気付きませんでした。」
「いいけど…ちょっと、心配しすぎじゃない?」
「こちらのミスでお怪我をさせてしまったのです、気にかけるのは当然のことでしょう?」
そう尤もらしくクダリに言います。
が、こんなものは建前です。
この時はまだ理解できておりませんでしたが、本能的に話してはいけないと咄嗟に感じたのです。
そしてあの停電事故から3日後。
バトルを終え、下車したわたくしの前についに彼女が現れました。
ジャッジ様と話しておられるようで後ろ姿しか見えませんが、あの日わたくしに背を向けて駆けて行ったあの後ろ姿と一致します。
身体中に貼られた絆創膏が痛々しい。
無事であったことに安堵するとともに、わたくしは早足で彼女に近付きます。
彼女と話していたジャッジ様と目が合いました。
何故か彼はこちらを見るなり顔を強張らせます。
…ノボリは気付いていないが、生真面目な彼は駅構内を走ってはいけない思いと、早く彼女を捕まえなくては、と思うもどかしさから知らず威圧感を放っていた。
彼女もこちらに気付いて振り返りました。
途端にあの時のように表情を固めます。
また逃げてしまわれるような気がして、更に足を速めました。
ジャッジ様が何やら早口でまくしたてていますがそれ所ではありません。
「逃げて!」
あと少し、というところでジャッジ様が彼女の背を押し、またわたくしから離れて行ってしまいます。
「!お待ちなさい!」
なんとも大袈裟な表現ではございますが、よく知りもしない人間がただ自分の元から遠ざかっていくだけだというのに絶望にも似た感情がわたくしの胸中に広がりました。
どうしても彼女を捕まえたい。
せめて名前だけでも、とわたくしは焦ります。
するとダブルトレインから下車したばかりのクダリが視界の隅に入りました。
「クダリ!その方です!捕まえてください!」
なりふり構っていられず大声でそう叫べば、双子故の意思疎通でしょうか。
クダリはすぐわたくしの意図を理解して彼女に突撃しました。
力任せにぶつかったせいで2人一緒になだれこみます。
彼女を留めることに成功した喜びと共に、床に叩きつけるように倒れた様子を見て肝が冷えました。
3日前の傷の上に、さらに傷を増やしたことでしょう。
クダリには力加減というものを覚えてもらなくては、と憤慨しながら2人に近付きました。
しかしその怒りもすぐどこかに飛んでいきます。
クダリが彼女の顔を両手で挟み込んで話しかけているのです。
「ねぇ、きみ何したの?
悪いこと?
ノボリ三日前から様子おかしいんだよ。
僕もびっくり。
きみのことずっと探してるんだ。
ノボリ教えてくれないから、きみが教えて?
あ、僕クダリ!きみの名前は?」
…わたくしより先に名前を聞くとは。
捕まえろと言ったのはわたくしですが、神経がピリピリと苛つき始めるのを止めることができません。
そしてわたくしは自覚します。
クダリに嫉妬し、彼女に恋心を抱いているのだと。
「え、ごめんね?痛い?泣かないで!」
「泣いてません!」
クダリと彼女のやり取りをぼんやり見ながら、わたくしは一連の行動に起因する自分の感情にようやく気付きました。
執着にも似たこの想い。
あぁ、この人が欲しい。
一目見たときから抱いている感情です。
きっと世に言う一目惚れなのでしょう。
そう冷静に自分を分析しますが、それを認めたくない思いも持っておりました。
わたくしにとって一目惚れは嫌悪の対象です。
人を見た目だけで判断し、一方的な感情を押し付ける。
一目惚れされた相手も人格を尊重されず好意を持たれて、さぞ迷惑することでしょう。
頭の固い考えではあると重々承知しております。
恋愛とはお互いを知ってから始まるもの、と考えるわたくしにとって一目惚れは軽率な恋愛の始まりに思えてならなかったのです。
しかし今こうやって目の前に彼女がいる。
時間をかけて、これから彼女を知り、わたくしのことを知ってもらえば良いのです。
それから恋愛をするのが一番良い方法でございます。
そう考えますが、そんな余裕はなさそうに見えました。
わたくしの余裕を無くさせる原因。
それは、クダリです。
わたくしもクダリも、双子ではありますが趣味や嗜好は正反対です。
いえ、むしろ双子であるからこそ見事なまでにわたくしたちは非対称でした。
わたくしが右利きならクダリは左利き。
わたくしが和食派ならクダリは洋食派。
というように2人に関わる物事はほとんどが逆でした。
しかし「執着心」については別です。
二人が共通で好むものに関しては、まるで人の2倍は強烈な感情を抱きました。
例えば電車にポケモンバトル。
1人が執着すると、遅かれ早かれもう片方もそれに興味を持ち、2人とものめりこみました。
わたくしの持つ彼女への執着心を考えれば、クダリも彼女に執着するのは時間の問題だったのです。
そして決定的にわたくしにとって不利なのは、クダリの持つ社交性。
クダリは、わたくしの分の社交性を持っていったかのようにどんな立場の人間とでも仲良くなれました。
そしてクダリほどの社交性を持たず、時間をかけて対人関係を築くタイプのわたくしでは明らかに不利。
ましてサブウェイマスターと乗客という間柄では、親密な関係になるのはわたくしにとって非常に時間がかかります。
今回はたまたまわたくしが先に彼女に出会いましたが、クダリの社交性を持ってすればすぐに親しくなれるでしょう。
現に目の前でクダリは彼女にべったり貼りついて名前まで聞き出しています。
この時ばかりは社交的で誰とでもすぐ仲良くなれるクダリが羨ましく思えました。
ほんの数秒の間にわたくしは1つの事実と、それによる2つの悩みを理解しました。
1つの事実は一目惚れをしたこと。
2つの悩みは一目惚れを認めたくない思い、そしてクダリの介入。
どうするべきか。
「クダリ、ありがとうございました。ですが腕を掴むとか、もう少し穏便に事を運ぶことはできないのですか?」
2人の間がこれ以上進むのを阻止するように言葉を割り込ませます。
クダリは「ごめーん。」と言って素直に彼女から離れました。
クダリの代わりに彼女の傍に屈みこみ、起き上がろうとするその背中に手を回します。
不安気にこちらを見上げるその唇にはわたくしと同じ場所に絆創膏が貼られていました。
わたくしはその傷が電車事故の際に顔同士をぶつけてできた傷であることに、ここで気付いたのです。
それを見たわたくしは、ある考えが浮かびました。
彼女との仲を手っ取り早く進める方法。
「責任、取って下さいまし。」
目を白黒させて驚く彼女を哀れに思いつつ、ですがそんなことも凌駕するほどの強烈な感情に支配されたわたくしには痛む良心も持ち合わせておりませんでした。
…えぇ、わかっております。
わかっておりますとも。
なんと非常識この上ない突飛な思いつきであると、理解しております。
ですがわたくしはどうしても一目惚れを認めたくありませんでした。
ならば、同棲してこれからお互いのことを知れば良いのです。
そして同時にわたくしはクダリに悟られぬようなまえ様に責任を押し付けて執着心を隠しました。
聡いクダリのことです、わたくしの執着心を見れば今までの法則通り自分もいずれはなまえ様に執着する、と悟るでしょう。
それならば、悟られても後戻りできないほどなまえ様と親密な関係を築けば良いだけのことです。
……あぁ、そんな顔をしないで下さいまし。
11.5.16
何を思い何を感じ何を伝えたいんだノボリィィ!!
…と苦悶の日々です。
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[mokuji]
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