日常その2
「ねー、暇すぎて死んじゃう。」
洗い物をしている私のエプロンをクダリさんが引っ張る。
ノボリさん不在時に彼は時折、襲来しては実現不可能なわがままを言って帰って行く。
この前など「ちょっと爆発してみて!」と笑顔で言われた。
私を殺したいのかこいつ。
「じゃあ私が洗った食器、拭いて下さい。」
暇だ、というので食器を拭くフキンを渡した。
嫌がるかと思えばそうでもなく、私の隣に立って素直に水から上がった食器を拭いている。
…というのは数秒だけでした。
「あ!」
クダリさんが突然の叫びとともに音を立てて置かれたカップが割れた。
「ノボリさんのカップが!」
きれいに縦に割れているシャンデラの形を模したノボリさん愛用のカップ。
(ちなみにスゲー飲み辛い)
どうすればあんなにきれいに割れるんだ。
「バチュルの卵、孵さなきゃいけないんだった!なまえ手伝って!」
「ちょ、ま、あいた!」
水洗いしている私の手を、クダリさんは濡れることも気にせず掴んで引きずるように玄関へと連れて行く。
引きずられながら慌てて水を止めたけど、感覚からしてきちんと止めきれなかった。
しかも途中でテーブルやイスにぶつかり、背後で物の倒れる音がする。
「待って下さい!色んなもの破壊しちゃってます!」
必死で踏ん張るけど、私の足はフローリングを滑ってゆく。
「待って下さい!待って……待てー!!」
大型犬に待てを言うように叫ぶがクダリさんには全く効かなかった。
帰宅したノボリは愕然とした。
水道からは水が滴り、テーブルは斜めにずれてイスは倒れている。
「これは一体…。」
まるでオノノクスが暴れた後のような部屋の惨状を見てノボリが真っ先に思いついたのは強盗。
いるかもしれない第三者を警戒してノボリはシャンデラを出した。
背後にシャンデラを控え、辺りを見回すとキッチンでシャンデラカップが縦に割れているのが目に入った。
「わたくし専用のカップが!…まぁいいでしょう。」
「!?」
シャンデラカップは前歯にガツガツ当たって迷惑していたので、ノボリは大して気にかからなかった。
…ちなみにこの一言で傷付いたシャンデラとの関係に亀裂が入ったことは気付いていない…。
じゃっかんムッとした表情のシャンデラと共に他の部屋も見回るが、キッチン以外に荒らされた形跡はない。
荒らされていないのは良いことだが、なまえの部屋だけは例外だった。
当の本人が不在なのに財布、モンスターボールにライブキャスター等その他貴重品の入ったバックが置きっぱなしである。
今朝聞いた彼女の予定は「1日ごろ寝!」のはずである。
ちょっと出かけたにしても財布も持たず手ぶらで外出などおかしい。
つまり、彼女の意に反して家を出なければならない事態が起こったということ。
「まさか…」
拉 致
の2文字がノボリの頭に浮かんだ。
血の気が失せていく。
第三者がここにいたなら青白い顔のノボリが見られたことだろう。
「…なまえ様ー!!」
「うるさいよノボリさん!!」
管理人のおじちゃんに怒られるノボリも見られたことだろう。
クダリさんの部屋でバチュルの孵化及び個体値厳選に勤しむこと6時間。
あっちもバチュバチュ。
こっちもバチュバチュ。
可愛いのだけど、総勢298匹もいるとげんなりしてくる。
もう「バチュル」って単語がなんなのかわからなくなってきた。
これがゲシュタルト崩壊っていうやつか。
「…こら、電気を吸うんじゃありません。」
コンセントに食らいつくバチュルを引き剥がすと「バチュ!」と抗議の声が上がった。
まだ食う気満々だったらしくぷりぷり怒っているが、手の中のバチュルはボールのように丸っこい。
「お腹パンパンじゃないの。」
まだ食うのか。
放っておくとコンセントから電気を吸い出すから厄介だ。
「えへへ、お母さんに怒られてる。」
どうやってこれだけのバチュルの卵を溜めこんだのか謎なクダリさんは厳選に飽きてバチュルを転がしている。
転がされたバチュルが迷惑そうに眉間に皺を寄せていた。
「こんなに産んだ覚えないですよ。」
「ひどい!正真正銘あなたの子よ!」
「父親はクダリさんなんて言ったら張っ倒します。」
「えー。父無し子なんてかわいそうだよ。」
黄色ばかり見ていたせいでいい加減目がチカチカしてきた。
私も飽きてバチュルの腹をくすぐっていると、外から叫び声が聞こえた。
「…なまえ様ー!!」
…ノボリさんの声のような気がする。
「あれ?ノボリ帰ってきた?」
「みたいですけど…なんで叫んでるんだろ。」
きっとロクでもない勘違いをしているに違いない。
ノボリさんの頭が冷えるまで1時間ぐらいしてから行こうかなー、と考えていると力の限り叫ぶようにまだ私の名前を連呼している。
しまいには管理人のおじちゃんの怒鳴り声まで混ざる始末。
これは早く行かないともっと大変なことになりそうだ。
嫌な予感で胸をいっぱいにしつつ「…ちょっと行ってきます。」と言って私は玄関の扉をそっと開いた。
「拉致に違いありません!何処ぞの馬の骨がなまえ様を攫って行ったに決まっております!」
「落ち着いてってノボリさん!」
扉からそっと盗み見ると、シャンデラを出したノボリさんと管理人のおじちゃんが何やら言い争っていた。
拉致って私が?
「書き置きとかないの?奥さんちょっと買い物行ってるだけなんじゃない?」
「………書き置きはありませんでした。
それに財布もライブキャスターも置きっ放しで外出しているんですよ?
見て下さいこの部屋の惨状!」
なぜおじちゃんの「奥さん」発言を訂正しないんだノボリさん。
「マンションのセキュリティーはばっちりだし外部の犯行とは思えないんだけどねぇ。」
「ということは内部の犯行…クダリ!?」
バッと勢いよく振り向いたノボリさんと私はバッチリ目が合った。
「…お帰りなさい…。」
内部犯=クダリさんって図式は兄としてどうかと思う。
「ひどいノボリ!僕、犯人じゃない!」
容疑者の部屋から私出てきちゃってるんで説得力ないんですけど。
私の上から頭を出してきたクダリさんはバチュル達を纏わせているらしく、私の頭上からバチュバチュ黄色い蜘蛛が落っこちてきた。
どうやらノボリさんのシャンデラの火を怖がって逃げ出そうとしているみたい。
「なまえ様!ご無事でしたか!」
ノボリさんは足早に近づいてくると、扉の向こうから私を引きずりだして熱い抱擁をかましてきた。
「ぐぇ〜〜無事じゃなくなってくんですけど〜…。」
私とノボリさんの間に挟まれたバチュルがバチュバチュ言いながら暴れている。
「なまえ様、これから外出時には連絡下さいまし!わたくし心配でバトルに集中できません!」
真顔で何を言い出すのか。
「そこは頑張って働いて下さいよサブウェイマスター。」
「無理です!こうなったらわたくしが不在時は帰って来るまで一歩も外に出ないで下さいまし!
できないようでしたら拘束も厭いません!」
目をカッと見開いたノボリさんから禍々しいオーラが立ち昇る。
拘束ってアレか。
手錠とか縄とか緊縛系か。
「それ監禁って言うんですよ…。」
「うちのマンションで犯罪はちょっと困るね〜。」
「ノボリがごめんなさい。」
呆れる私とノボリさんの間から押し潰されていたバチュルが顔を出す。
さっきの食いしん坊のバチュルだった。
「バチュ、バチュチュ!バチュチュチュチュチュチュ!」
何言ってんのかサッパリだけどきっとノボリさんを説得してくれてるんだと思う…思いたい。
お願い、誰か監禁フラグを折って下さい。
11.4.15
何が楽しいってバチュバチュ言うのが楽し過ぎる
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[mokuji]
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