「何度も言うがこれは仕事でもミッションでもない、個人的な兄からの頼みだ。グレイス、やるかやらないかはお前が決めてくれ」


華奢な細工が施された、木の椅子に腰掛けた兄が、それと向かい合うように立っている私の瞳を覗き込むように真っ直ぐ見つめてそう言った。ああ、こいつは私がこうされるのに弱いことを知っててやっているから質が悪い。

私の答えはひとつだった。





*****





「兄さーん、手紙。珍しくスコット兄からだ」

「げ。なんか嫌な予感…」


ちょうど朝食を取っている時にいつものよう投函された手紙。いつもと同じく私はエントランスに駆け、いつものように郵便受けを覗けば、いつものような面倒くさいことの書かれた事務的な手紙に混じって、一通だけ見慣れない手書きの宛名が書かれた封筒が混じっていた。

メールという文明の利器が発達した現代において、連絡をとるためだけにわざわざ手間のかかる真似をする人間は激減していた。珍しいな、と思って封筒をひっくり返したら、手紙はカークランド家の印で蝋の封がされ、その少し下に会議で顔を会わせたっきり丸数ヶ月は名前を聞かなかった名前が書いてある。そして私たち2人は、正直その名前の相手が苦手だ。しかもアーサーに至っては多分いじられた記憶しかないだろう。


「そりゃ私だっていい予感はしないけど……来ちゃったものは仕方ないよ。」

「……そうだな。じゃあ開けてくれ」

「ん」


ペン立てに挿しっぱなしのペーパーナイフで封を開ける。いや、開けようとした。


「……開かない」

「んなわけねぇだろ、貸してみろ」


両手を伸ばしたアーサーの手に、手紙とペーパーナイフを置く。

私はハサミも持ち出した。しかし、いくらアーサーが切り刻もうとしても、私が暖炉で蝋を溶かそうとしてもいっこうに開く気配がない。


「……ん?」


手紙のたった一枚に途方に暮れかけた時、その手紙から微かな魔力を感じた。そして、背後からも。

バッと振り返ると、可愛い可愛いうちのフェアリーが二人がかりで、懐かしいものを運んできていた。


(グレイス、グレイス! これを使ってご覧なさい)

(きっと役に立つわ!)

(アーサーも、ほら)

(懐かしい! 私2人の魔法見るの何年ぶりかしら!)


いつの間にか、部屋の中は妖精やノーム、ゴーストや聖霊たちがひしめいている。

アーサーを見やると、たいそう驚いた様子で目をぱちくり。それはそうだ、こんなにたくさんの“見えざる者たち”が集まったのは実にざっと10年ぶりくらいだったから。

私は、妖精から受け取った魔法の杖をしっかり握りしめ、心の中でもはやスペリングがあやふやなスペルを唱え、手紙をつつく。

その瞬間、ふわりと蝋が溶けて、手紙が勝手に開いた。そして便せんが勢いよく飛び出し、まるで調子の悪いスピーカーのごとく低く唸ると、差出人――スコット兄の声で話し出した。

唖然とする兄と私。

こんな魔法は知らない。近しいもので赤い封筒の商品は知ってるけど、あれは手にしただけでそれとわかる代物だ。


『よぉ愚弟妹ども、元気してたか。俺だ。
面白れぇだろこの魔法、お前らどーせ杖なんて埃被ってたんだろ? 現代生活も便利っちゃ便利だが、たまには使ってやれよ。

で、本題。
10年くらい前に滅びた、闇の魔法使い一派があったろ。散々こっちの物品に被害出して、確か頭が自分の魔法をガキに跳ね返されて自滅したとかなんとかいう……当然覚えてるよな? グレイス、お前んとこの被害がいちばんでかかったんだ。忘れたとは言わせねぇ。

で、その魔法使いとガキなんだが……俺も昨日まですっかり忘れていた。だが、偶然精霊から噂話を聞いたんだ。そのガキが、今年ホグワーツに通い始めるらしい。
妙な予感がして、ちょっと探ってみた。
確かにその魔法使いの力は消滅したかに感じるんだが……なんか、嫌な予感がする。ねぇとは思うが、もし更なる力を手に入れて復活とかされたら……こっちの被害は半端じゃすまない。

俺はこれからウェルに予言を頼む。
お前らは、この手紙が届いたなら、折り返し連絡をくれ。じゃ、親愛なる兄より』


ひゅるるるる、と、そこで手紙は燃え尽きた。

アーサーは、相変わらず思案顔で何か考えている。まわりの見えざる者たちは、既に散っていた。

スコット兄の言う闇の魔法使い、確か名をヴォルデモートと言っただろうか。
それなら覚えている。こっちの世界…いわゆる、私たちが生きているマグル社会にも尋常じゃない被害を出した闇の魔法使いだ。建物の損壊による経済的損失もさることながら(私も痛かったけど、それは割とどうでもいい。心臓であるロンドンに被害が出て、兄の方が痛かったに違いないから)、無差別殺人、行方不明者多数という許されない事件を数多く起こした。

当時、魔法省とうちの派遣者(その内の半数以上は政府に勤めていたスクイブの人たち)で構成された合同の対策委員会は、委員会本部が襲撃され全滅。その中に知り合いもいたし、私も襲われそうになったりして大変な思いをした。焦ったアーサーが、自滅覚悟で救出に来てくれたっけか。

そして何より、その一件のせいで政府のスクイブが全滅に限りなく近くなってしまい、それはつまり魔法を知る人間の部下がほとんどいなくなってしまったということで、首相の元で被害を自然災害に見せかける偽装工作をしたのが私だった。本当にあの時は忙しかった。


「……ねぇ、どうするよ」

「どうするって……」


とりあえず、スコット兄を怒らせると怖いので、まず彼に連絡をするべきだ。

なので、私たちは迷わず電話をかけた。
ぶっちゃけ、いくら魔法が便利でも文明の利器がいちばん早い。






『よぉ愚弟、久しぶり』

「それ、手紙に聞いた」


どっちが電話をかけるかで壮絶なじゃんけん大会が催された後、しぶしぶアーサーが受話器を掴んで2分後、スコット兄が出てきた。

仕事上はともかく、個人的な会話は結構久しぶりな気がする。うちは、自慢じゃないが兄弟仲は微妙だ。


「それで本題なんだが…」

『ああ、とりあえず結論を言わせてもらう。今年ヴォルデモート絡みでホグワーツで何かが起きることは、間違いなさそうだぜ。しかも、生き残った少年の身の回りで、だ』

「ウェルがそう言ったのか?」

『よくわかんな〜いって、いつもの調子だったけどな』


カークランド家の三男坊、ウェルはああ見えてそこそこ高名な予言者だ。
気が向いた時にしか占いはしないが、その予言は確か。


「……今、もしヴォルデモートに復活されるとなると…」

『ああ、この上なく厄介だ。ここ10年で、イギリスの人口は増えた。高額な建築物も急増してる。被害が出るとすれば、少なくともこちら側では、前回より深刻になるだろうな』

「……わかった。こっちでも対策は考えてみる。じゃ、追ってまた連絡するよ」

『ああ、電話って便利だしな』

「悪かったな」


がしゃんとアーサーが受話器を置いたので、そこで電話は途切れた。

やれやれ、この2人は相変わらずだ。

すっかり冷めてしまった朝食のベーコンをつつきながら、私も私で厄介事の予感を感じているのだった。

7月の、それなりに涼しい朝のことだった。





*****





その後、アーサーとスコット兄で、何回か魔法省に対策を願う交渉が続けられたらしい。

だが、魔法省としては、いくら高名なウェルのものだと言えど予言だけで人員を割くこともできず、しかもヴォルデモートの名前を出すだけで怯える始末。そもそも、滅んだはずのヴォルデモートが絡むという、にわかには信じられない話を向こうは信じたくないようで、まともに取り合ってもらえない。

アーサーは何か考え込んでいるようだった。

そして今日、執務室への突然の呼び出し。明らかにこの件の話である。

控えめにノックをすると、入れ、との声。ドアを開けると、華奢な細工が施された木の椅子に腰かけたアーサーが、机越しにこちらを見ている。

机の前に立つと、アーサーはそっと目を閉じて口を開いた。少々やつれているようにも見える。


「……始めに言っておくが、これは指令や命令、ミッションじゃない。純粋に、兄からの願いだと思って聞いてほしい。……本当はこんなこと言いたくないんだがな……」

「はい」

「気づいてると思うが、ヴォルデモートの件でだ。知っての通り、この件に関して魔法省はあきれるほどに消極的だ。そこで、こちらから人員を割くことになった」

「それは、もしかしなくても…」

「……ああ」


私、と考えるべきだろう。

苦々しげに肯定の言葉を呟いて、アーサーはデスクに顔をうずめた。


「……本当は魔法使いの部下にやらせるはずだったんだ」

「でもアーサー、魔法使いの部下はおろか友達もいないでしょ?」

「友達いないとか言うなばかぁ! ……雇おうとも思ったんだが、それなりに力のあるやつは根こそぎ魔法省に取られてるし……昔が懐かしい」


脳天からキノコが生えているような錯覚を起こすほど、アーサーは湿ったオーラを放出している。

ついいつもの癖でそのもさもさの頭を撫でそうになったが、今は仕事中だ。我慢我慢。


「……幸いにも、この件に関してホグワーツ校長のダンブルドア氏は理解を示している。それからウェルの話だと、今年何も起きなければ……つまり、極端な言い方をすれば“起こさなければ”、ヴォルデモートの再臨は防げるらしい。事態は、実はなりふり構っていられないくらい切迫している。悪いなグレイス、潜入捜査だ」

「……了解」

「何度も言うがこれは仕事でもミッションでもない、個人的な兄からの頼みだ。グレイス、やるかやらないかはお前が決めてくれ」

「……やるに決まってんでしょ」

「…………そうか」


ほっとしたという表情半分、逆に泣きそうな表情半分でアーサーは顔を背けた。


「期間は一年。正式な依頼や任務じゃないから、お前はこちらで一年間休暇扱いになる」

「うん」

「……さ、寂しくないのか? べっ別に俺は平気だけどな」

「寂しいのはアーサーでしょ」

「だから平気だっつってんだろばかぁ!」


ばあん!とアーサーはデスクに手を突き、身を乗り出す。
私がによによしているのを見ると、彼は泣きながらどこかへ行ってしまった。

あーあ、あの人今日ちゃんと服を着たまま帰ってくるのかな……。フランシス兄ちゃんに迷惑かけないといいなあ。

行方の知れない兄は放っておくことにし、私はひとりで寂しく帰路につくのだった。
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