相も変わらず何も決まらない世界会議がお開きになった後、私は自宅のある首都郊外に自転車を走らせていた。

和洋中折衷とは上司の体の良い観光目的の謳い文句で、要は各国から住宅をどれだけ密集できるかという技術の粋を集めた我が国・ミョウトは、語弊を恐れず言うと住宅事情がすこぶる悪い。首都計画なんて全力で無視してあちらこちらにぼんぼこ建てられたレンガ造りのアパートはまだまだ現役だし(正確に言うと若干建築基準法に抵触してるけど、気にする人はいない)、さらにその合間を縫うよう建てられた新築の鉄筋コンクリートビルは肩身の狭い思いをしながらもいっちょ前に5、6階建てがザラで、視界を覆う(都市部では高層建築も増え始めた)。つまるところ地元民でも知らない路地裏にいったん入り込んでしまうと入り組んだ建物に飲み込まれてしまうのが当たり前な我が国は、天性の迷子気質と世界中から揶揄される所以であるばかりか、その国の化身である私すらあっと言う間にロストマイウェイ。

つまるところ、ここはどこだ。

目の前に広がる袋小路は見たことのないそれで、諦めて自転車をUターンして元来た道を引き返す。3段ギア式のママチャリのペダルを踏み込みながら思ったことは、ああまたかというやや呆れ気味の念だけで、決してそれ意外を、ましてや非日常を望んだつもりなんて微塵もなかったのに。


「……嘘……?」


いくら入り組んだ路地裏と言えど、地元民歴は10年やそこらではないので、元来た道を戻れば見覚えのある建物なり道なりに出るはず。仮にそうじゃなくとも、誰かに――国民に、少々の羞恥と引き換えに道を尋ねればいい話だったのだが、行けども行けども見覚えのある何にも出会わなかった。そればかりかレンガ造りの建物の比率が増え、まるで――


(まるで、タイムスリップしたみたいな…?)


仮にタイムスリップだとしたら、この無計画な街並みは、確かにミョウトに通ずるところはある。しかし、根本的な違和感は拭えなかった。なぜならここは私の国なのだから、仮にリアルに時を駆けてみれたとしてもこうはならない。時代を遡るにつれ、和風建築が増えるからだ。まあそれはあくまで“仮”の話で、ここは紛れもない現実のミョウトなのだが。

あちらこちら路地の裏を覗いてこの状況の打開策を考えようとするが、状況はさらに悪化するばかり。気づけば地面は丁寧な石畳が敷かれ、地面or打ちっ放しコンクリートが主流の自宅周辺とはだいぶ離れてしまったことに気づく。

やっちまったとの思いとは裏腹に、私の心は少々その状況を楽しんでいた。本格的に迷子になればなるほど、しかもその土地が安全でかつ時間に余裕がある場合、迷子とは楽しいものなのである。その思考のおかげで方向音痴が直らないのだと常々兄貴分を始めとした近所の家族に言われるのだが、そんなこと私の知ったことではないね!(探す方の身にもなってください!と片割れはいつも文句を垂れるが、それも私の知ったことではない)。
最悪、今はケータイなる文明の利器が存在する。なにを大袈裟な、と、基本的に楽天家な私は思うのだが。


「……こんな町中で圏外、だと……?」


時間を確認しようと取り出したケータイは、左上に圏外マークが表示されていた。
基本、我が家の電波事情は山間部や地下を除きほぼ100%の普及率を誇る。そりゃあ猛吹雪やその他災害に見舞われたり1月1日だったりすると繋がりにくくなるけど、こんないい天気の、しかも平日の昼間っから繋がらないなんてことは初めてだ。電波塔の異常かな?なんて甘い考えを持ちつつも、すっかりこぐことを諦めたママチャリを押す。


角を曲がると、ようやく開けた場所に出た。

これでなんとかなるだろうと路地からひょっこり頭を出した私は、“見てはいけないもの”を視界に入れてしまい、思わず自分の頬をつねった。痛い。ということはこれは紛れもなく現実らしい。

ギロリ。“それ”と目が合う。
金縛りにあったように全身が動かず、私は心底今日という日を呪った。

私が出会ったのは、それはそれは巨大なイノシシだった。身長は楽に私の二倍以上あり、焼いたら実に美味そうな肉が…じゃなくて。


『ブォォオオオ!!』

「うわあああああ!!」


なんで街中にイノシシが!?とか、今日こんなイベントやってるなんて私聞いてない最低限役所に許可申請出せ!とか、言いたいことはたくさんあった。けれど、身の危険が迫っているのも明らかだ。イノシシは私を獲物と認めたらしく、蹄が石畳を蹴る。
建物に突撃されて壊されるのは嫌だったので(腐ってもここは我が家だ。それ以前に賠償沙汰にされるのはもっと嫌だ)、路地から転がり出てイノシシとは逆方向にママチャリを走らせた。なるほど、これがいわゆるJKに大人気の激チャリってやつだな! おk把握!


『おーっと、商業区をご覧下さい。今年のメインモンスターのザグナルが一般人を襲っているぞ! 果たしてこれは大丈夫なのかー?』

「『大丈夫なのかー』じゃねええええ!! 責任者出てこい責任者ァ!!」

『襲われている一般人は不思議な乗り物を駆使してザグナルから逃走している模様! これは速い速い! 近くの出場者の方ー、なるべく早く救出に向かってあげてください』


設置されていたスピーカーから謎のアナウンスが入り、私を“一般人”と称して間の抜けた解説を加える。こちらの声は届かない場所から実況を加えているらしく、会話は噛み合っていない。一体誰が“出場者”で、何が“メインモンスター”か。ちくしょう。

街中の雰囲気から一瞬でこれがなんかのお祭りっぽい行事であることを把握した私は、自転車のギアを上げた。運動不足の身体は割とすぐに限界を訴えてきたが、“出場者”とやらが救出に来てくれるまでもう少し頑張ってもらわねばならない。これが祭りだろうがなんだろうが、私が理解したことはひとつだった。

追いつかれたら死ぬ。

元来“国の化身”という人ならざるこの身体は、いくら痛めつけようとそこには傷跡を残すばかりで、生命活動が停止することはない。私たちは半永久的な若さとそれなりの健康と引き換えに、死という解放から隔絶された存在なのだ。唯一恐れるべきは、人々が私を必要としなくなり、その記憶から抜け落ちてしまうこと。私はこれについて言及はしないことにしているが、ひとつ確かなことは私自身がこの生活をそれなりに気に入っているということだ。

だが、この感覚はなんだ。

死ぬ。追いつかれたら、間違いなく死ぬ。

確信にも似たこの気持ちは、単に私の恐怖から来るものではないだろう。

言うなれば、長年の勘、というやつだろうか。

必死に自転車を走らせたのだが、どうやら道を誤ったらしく階段にぶつかる。スロープが併設されていないことに舌打ちをかまして、私は自転車を降り捨てその長い階段を下った。


『…―たった今入ってきた情報です。……ああ、皆さんにはだいぶ残念なお知らせのようですね。リンドブルム主催の第485回狩猟祭、出場者15名。先ほどのエドワード選手の戦闘不能により、選手陣は全滅のようです。これは第266回以来の出来事で、実に約200年ぶり―…』

「なっ…」


なんということだ。これでは話が違う。

その出場者とやらが、私の背後のモンスターをどうにかしてくれるんじゃなかったのか…?!

いい加減全身が悲鳴を上げ、限界が見えた。

階段は思ったより細く長く、イノシシに追いつかれたら逃げ場はない。今さらながら、この階段を駆け降りる選択をした自分が恨めしくさえ思えた。


『これよりリンドブルム兵が、残ったモンスターの駆除作業に入ります。一般の皆さんはまだ安全区からは出て――…っ危ないっ!』


階段の頂に、イノシシの姿が見えた。

落ちてくる。階段を走る、なんて甘いもんじゃなく、滑り降りるに等しいスピードで。

ははっ。グッバイ、私。
約2000年の幕切れがこんなに呆気ないものだと、いったい誰が予想し得ただろう。

繰り返すが、非日常を望んだつもりなんて微塵もなかったのだ。ただ、争いと争いの間の束の間の平穏を。安寧を望んだだけだったのに。

運命とはかくも残酷なものなのである。

イノシシの牙が、陽光を反射してキラリと光った。
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