翌日。
本日は、世界会議の日である。しかもここ、ロンドンで。
昨日のうちに到着してここで一夜を明かした国もあれば、本日到着予定の国もある。前者は昨日アーサーがホテルまで案内した。後者は今、私が空港で案内をせねばならない。その違いはぶっちゃけ、問題なのは距離ではなく、各々の仕事の進度に由来することが多い。
というわけで今日到着する国は、お仕事をゆっくりゆっくりこなす国、もしくは超絶に多忙な国だ。
「Heyグレイスー!! 会いたかったんだぞー!!」
「げはっ……痛〜、だからタックルかますなっつうのこのお馬鹿! 離ーれーろー!」
「えー、冗談はよしてくれよ。ヒーローとヒロインの感動の再会なんだぞ!」
「アルフレッドさん、公共の場です。グレイスさんを放してやってください」
「あ、菊ー! 仕方ないな、ホテルで構ってあげるんだぞ!」
「お前は真っ直ぐ会議場ですよお馬鹿。本田も久しぶり。珍しいね、当日着なんて」
「ええ……8月はちょっと、別の行事に忙しくて、仕事をためてしまいました……」
「ふーん。まあいいや、アルに本田が到着っと。あと来てないのはー……イタリア兄弟?」
手元のリストに小さく丸をつけながら、あたりを見渡す。
それを覗き込む本田。とアル。アル、近い近い。
「確か、王さんとヨンスさんと、湾さんもまだいらしていなかったかと。湾さんは私と同じ理由です」
「なんだよー、しっかりしろよな亜細亜勢。今回は香が昼食係で来るっていうから楽しみなんだよね」
「じゃあ俺も昼食作るぞ! グレイス、楽しみかい?」
「勘弁してくれよ。それに香はな、お前と違って言うことちゃんと聞いてくれるぞ!」
「などと言っていたら到着のようですよ」
ヒースロー空港にやかましい声が響く。
スーツがこの上なく似合っていないその姿を見て、本田は実に微妙そうな顔をした。
「Hi,香! こっちこっち! 元気だったー?」
「グレイス久しぶり的な。今日はよろ」
「我もいるある」
「湾ちゃんも久しぶり! よくわかんないけど8月の行事お疲れさま!」
「ありがとですグレイス、またネタ取らせてくださいネ!」
「ネタ…?」
「おーい、この小娘に我は見えてねーあるか?」
「久しぶりなんだぜグレイス! というわけでおっぱいもむもむしていいんだぜ?」
「公共の場なので遠慮します」
「そこは全力で拒否していいところですよグレイスさん」
「失礼な小娘あるね! ぷんぷんある!」
「おや、いらしてたんですか王さん。てっきり仕事好きの王さんのことですから、昨日到着していたのかと」
「皮肉好きなところがお前の兄貴にそっくりある!」
「なんだって? 誰があんな眉毛の化け物みたいなのと!」
「そこですかグレイスさん。あと、貴女眉毛がどうこう言えませんよ」
説明しよう、私とこのエセ仙人は、香の一件で個人的にものすごく仲が悪い!
なのに向こうは絡んでくる。馬鹿か。
「さて、残るはイタリア兄弟か……おかしいな、イタリア便はいちばん始めに到着してるはずなのに」
「あー……私、ルートさんをお呼びしましょうか?」
「場合によってはそれが手っ取り早いかもしれないね。よし本田、頼むよ」
「はい」
本田の電話が終わるのを待って、私たちは会議場へと向かった。
「さて、暇になってしまったな」
無事捕獲されたイタリア兄弟を交え、いざ会議が始まってしまうと、私は国でないので、会議場からは締め出される。
同じ立場の香に構ってもらおうと思ったが、奴は厨房だ。そしてなぜか私たち兄弟は厨房から出禁を食らっていた。
「お」
「あ」
「ギル! 久しぶりー!」
執務室に戻ろうとしたら、暇そうな(というか年中暇そうな)遊び相手を発見した。
銀髪に赤目なんて中2な配色は、こいつしかいない。そしてこいつもスーツが似合わないな。
「なんだよ、お前も暇なのか?」
「いやー、資料は真面目に作ったんだがね。見ての通りだよ」
「ふーん」
「最近どう?」
「ぼちぼちだな」
「へー」
「お前は?」
「まあ、厄介なお仕事が待ってるけど、それ以外は順調かな。景気、悪くないし」
「厄介な仕事?」
「長期出張ですぅ。一年」
「一年!? え、じゃあ飲み会はどーすんだよ?」
「なんで真っ先に心配すんのが飲み会なんだよ。トニーとフランシス兄ちゃんに構ってもらえよ」
「じゃあ、どこに出張なんだ?」
「その取って付けたような聞き方もなんだかな……まあいいか。いや、イギリス国内なんだけどね。潜入捜査だから、潜伏先は秘密」
「……」
「んな暗い顔すんなって。一年だよ一年、私たちにとっては一瞬じゃないか。すぐ帰ってくるよ」
そうだよ、一瞬だ。
言ってて、もしかして自分は、自分自身に言い聞かせているんじゃないかと気づいた。気づいてしまった。
目頭が急に熱を帯び、堪えきれない雫が溢れ出す。なんてことだ。
言い訳をさせてもらうと、涙腺が脆いのは兄譲りである。
「な、なんで泣いてんだよ! おら、顔かせ」
「痛っ、もっと優しく拭けよなギルベルトー……ずびっ」
「うるせー! お前なんかこうしてやる!」
「ひゃっ、やめろばかぁあああっはははは! 苦しいいい!」
「ケセセセセッ、間抜け面だぜ!」
わき腹をくすぐられ、今度は違う意味で涙が出てきた。
こんなやつに元気づけられるなんて癪だけど、たまにはいいか。というわけで、廊下だったが、心置きなく笑っておいた。
だが、私は知らなかった。ちょうど会議が休憩に入り、ものすごい形相をしたアーサーがこちらを射らんばかりに睨んでいたことを…!
おい、誰かあのシスコンなんとかしてくれ
世界会議は、丸一日話し合ったみたいだが、結局いつものようになにも決まらずに終わったらしい。おい、私資料一生懸命作ったのにふざけんな。
終わったらさっさと帰ればいいものを、何かを感じ取ったのか、アルフレッドがその後3日ばかり家に滞在した。まったく、いらんとこに勘が働くんだから。
帰る時も大分渋ったが、仕事の関係もあるだろうし、こっちもこっちでもう延ばせないということで、アーサーが無理やりアメリカに強制送還した。
というのも、出発前にどうしてもやらねばならないことがあったからである。
そのやらねばならないことのために、私は、普段出入りを禁止されている家の地下室への階段を、アーサーについてゆっくり降りていた。
ここに入るのは、私が魔法から離れてからだから、実におよそ一世紀ぶり。たまにアーサーが掃除をするらしいが、薬品やら、魔術に使うハーブやらの配置を変えてほしくないらしく、決して私に触らせてくれない。
「そこに立て」
「服は?」
「なっ……脱ぎたきゃ脱げよばかぁ!」
「ただの冗談だよ、なんでいつも全力で反応しちゃうのかなあ……」
凝り固まった肩を回して、チョークで幾重にも描かれた円の中心に立つ。
ぽこぽこしながら、アーサーがそれの外周に言葉を書き足していった。
「11歳かあ。服は本当にこのサイズでいいのかな…」
「男物だから、ちょっとでかいかもな。今晩名前刺繍してやるよ」
「うん、頼むよ」
これからやる魔法は、古代も古代、しかし強力な魔法だ。
そう、潜入捜査の準備である。
「魔力も、入学したての学生として怪しまれない程度…というか、お前が御しきれる程度にまで封じるぞ」
「あいあいさー」
「確認するが、これはコンビネーションの古の魔法(ロストマジック)だ。見た目の年齢を変える呪文と、魔力封じの呪文。ふたつを練り絡ませて、より強力で、かつ察知もされないようにする。ただし、正しい手順を踏まず無理やり外そうとすれば、両方同時に崩れるからな。気をつけろよ」
そこでチョークの動きが止まった。
アーサーはいつもの服の上に黒いマントをすっぽり被り、杖に両手を添える。
「……休みには帰って来いよ」
視線を逸らし、アーサーは詠唱を始めた。
私も目を閉じ、その力に身を任せる。どこからともなく風が吹き荒れ、髪を揺らした。
アーサーの声が低く、高く、近く、遠くに聞こえる。
「フィアット!」
最後の言葉を唱え、私は地面に落ちた。
恐らく、縮んだ身長分の高さから。
「……成功だ」
幾分か高くなった位置から、アーサーの、そう誇らしげに言う声が聞こえた。