何が悲しくて1日に2回も10歳そこらのガキにナンパされなきゃならんのだ!という今日1日の出来事を夕飯をつつきながら冗談混じりにアーサーに語っていると、やつは持っていたフォークをがっしゃーんと落としやがった。ここにも、お馬鹿がひとーり。
「なっ、おまっ、お前!」
「なんでお前が動揺してんだよ……。あー、やっぱ話さなきゃ良かったかな」
「ばかぁ! くそっ、俺がついていけばよかった……」
「黙れこの色ボケ変態大魔神。ケツの穴にキュウリ詰めんぞキュウリ」
「……そういうプレイがお望みなら」
「ばかぁ!」
本気でキッチンにキュウリを探しに行きそうなアーサーの服を引っ張って止め、口にデザートのプリンを突っ込んで黙らせる。プリンはグレイスさんお手製です。
「……あー、でもね」
「……なんだよ」
「オリバンダーのお店の坊や、私マズって本名口走っちゃったからさ、逃げるように出てきたんだけど……今思えば、あれ、嘘じゃないと思うんだよなあ……」
「……ふーん」
「お前は全力で不機嫌そうだな。……そう、確かこんな感じに……ぼさぼさの頭……何年か前、ロンドン郊外の公園で……」
「お前その連想ゲームで思い出せんのか…?」
「わからん。……でもあの丸眼鏡、一回見たら忘れられない気がするんだよね……」
「へー、がんばれよー」
「気が散るからしゃべんなアーサー」
「んなっ……生意気な妹め、これでも喰らえ!」
「むぐっ……にゃにすんらよこのすっところっこい!」
さっきのお返しと言わんばかりに、口にチョコを突っ込まれた。
あくまで被害者面でアーサーを睨むと、呑気に紅茶なんぞを啜ってやがる。泣かすぞてめぇ。
「むぐむぐ……って…あーーーー!!!」
「な、なんだよ騒々しい」
「思いらした!」
「食ってからしゃべれ行儀悪い」
「…………………………………ごくん。思い出した! ………うわあ、何もかも鮮明すぎるよ……アーサーのせいだ」
「あ?」
「………アーサー、先に謝っとくわ。ごめん」
「ど、どういうことだよ」
目を伏せ、ついでに机に顔を伏せて私は叱られるの覚悟で口を開く。
「………あれ、ハリー・ポッターだ」
「は!?」
「ごめ、早々にターゲットに接触してしまったみたいです……」
「……詳しく話せ」
「Yes, sir. あれは、確か……」
「しょーねーん、何を暗い顔している?」
「うわっ」
あれは、確か3、4年前の話だ。
市場で食材を運良くしこたま買い込んでほくほくだった私は、ロンドン郊外のいつもの交差点を横切り、地下鉄に乗ろうとしていた。
大きな紙袋を抱え、気まぐれに近道をしたくなった私は、公園を突っ切ろうとふらふら歩く。そこで、草むらを走り抜けるうさぎを見かけた。ような気がした。
走って追いかけたら、その先にはなにやら沈んだ顔をした、膝を抱えた小さな少年を見かけて驚いた。どうやら、この子をうさぎと思ったらしい。
大きな丸眼鏡と、ボサボサの黒髪が印象的だった。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないか……まあいいか、歳も歳だしな。で、何を暗い顔をしているの?」
「……それは………」
「………」
「………」
「……………食えし」
「え? むぐっ」
「やー、私これが好きでさー。うまいだろ、チョコレート」
沈んだ時にはチョコレートがいちばんだ。
紙袋をごそごそとあさり、銀色の包み紙にくるまれた甘い甘い塊を探し出し、無理やり少年の口に放り込んだ。
「……甘い」
「チョコレート、嫌い?」
「嫌いっていうか……ダドリーのおやつをつまみ食いしたことはあるけど、こんな大きな塊は初めて」
「…………そうかそうか、たんとお食べ。まだまだあるよ」
「ありがとう」
不覚にも涙が出そうになったのをぐっとこらえ、少年のそのぼさぼさの髪の毛をなでつける。
「それを食べたら、君はもう強い子だよ。ダドリーって、友達?」
「ううん、従兄弟」
「そう、従兄弟のダドリーなんかにはもう負けねーよ」
「え? お姉さん、どうして知ってるの?」
「……お姉さんは、魔法使いだからね」
本当は、少年の手足が擦り傷だらけだったから。
極めつけは、太ももの裏側。転んでも、こんなところに傷はできないだろう。
「魔法使い? 嘘だぁ」
「………お前なあ、ちょっとはイギリス人らしく魔法信じろよ。チョコレートは強くなる魔法がかかってる食べ物なんだからね」
「……それ、本当?」
「ああ、本当。だから君は、もう大丈夫。勝てないなら逃げちゃえ」
「逃げるの?」
「そ。逃げるが勝ちってね。私も、お兄ちゃんがいるんだけどね。殴られそうになると、アーサーを身代わりによく逃げてたなあ」
「アーサーって?」
「もう1人のお兄ちゃん。うちは5人兄弟なんだ」
あはは、と笑って私もチョコレートを食べる。見ず知らずの少年にいったい私は何を話しているのだ。
「………わかったよ、お姉さん。僕やってみる」
「その意気だよ、少年。名前は?」
「ハリーだよ。ハリー・ポッター。お姉さんの名前は?」
「グレイス・カークランド。よろしくね、ハリー」
「はい、グレイスさん」
よろしく、と言った割に私たちはもう会うことはなかったけど。
その時握った手の温かさすら、思い出せる。
今まで黙って私の話を聞いていたアーサーは、一通り語り終わったと見るや否や、紅茶をソーサーに戻し不機嫌そうに言った。
「ひとつ、確認したいことがある」
「……なんなりと」
「お前は、見ず知らずのがきんちょにチョコレートを配るのが趣味なのか?」
「そこかよ! そこは見逃せよ馬鹿アーサー!」
「馬鹿って言うなばかぁ!」
「冗談はさておき」
「おいこら、俺は冗談じゃねぇぞ」
「黙れよこのスットコお馬鹿。どうしよう、ハリーがはっきりこのことを思い出したら……本名言ってるじゃん私……ちょっとこの任務誰か代わってくれないの?」
「……無茶を言うなよ……休暇はもう申請してあるし、他に誰かに頼めるんならそいつに頼んでるって……」
「ですよね……」
スタート前にこんなにもミッションクリアできなさそうな任務は初めてだよこんちきしょ
勢いで酒飲みだしそうなアーサーを無理やりベッドに運び、引きずり込まれそうになったので股間の紳士を蹴り上げて、その日も私は無事に過ごすのだった。
アーサー、ごめん
(グレイス、グレイス)
食器を片付け、ソファでゆったりまったり本を読みながらくつろいでいると、窓の外から声がした。
出窓に駆け寄り、カーテンを素早く開けると、思った通りそこには見慣れた訪問者の姿があった。
玄関から飛び出し、その白い首筋に抱きつく。
「ヤーン! 会いたかったー!」
(僕もだよ、元気だった?)
「もちろんだよ!」
彼は、ユニコーンの子供のヤーン。私たち兄妹を慕ってくれて、たまにこうして遊びに来てくれる。
そして何を隠そう、私の杖芯に使われているユニコーンの角は、彼の父のものなのだ。
まあ彼も、子供とは言え100歳は越えている。ユニコーンは長生きだ。
「もふもふー」
(くすぐったいよー)
アーサーを起こそうかと思ったけどやめた。
なぜなら、このもふもふは独り占めしたくなる暖かさなのだ。毛並みはさっらさらのつやっつやだ。うん、健康状態が良い印だ。
明日が早いにも関わらず、私たちはしばらくそうしてじゃれあっていたのだった。
翌日、アーサーに羨ましがられたのは言うまでもない。