曇天の空

12




 カシン、と。軽い音をたてれば赤い炎が目の前に浮かんだ。


 咥えていた煙草をそこに近付けるとじじ……と火が点る。呼吸をするように、身体に馴染んだ行動。これさえあれば、今も俺を苛む痛みが少しだけ和らぐ気がした。


「ねえ、おにいさん」


 紫煙が揺らぐその先に、漆黒の髪を持つひとりの女が立っていた。

 周囲から注意を逸らしたのは、煙草に火をつけたほんの一瞬。確かに、この寸前まで目の前には誰もいなかったはずだ。


「……誰だテメェ」


 本格的に雨が降り出し、まるで俺の視線から女を隠すように視界を遮っていく。まだ半分しか吸っていなかった煙草も、じゅう……と虚しい音をあげて鎮火してしまった。くそ、だから雨は嫌いなんだよ。

 雨に濡れて額に張り付いてくる前髪をかきあげ、もう一度だけ問い掛ける。


「テメェは、誰だ」と。雨は酷くなる一方で、煙草も消えた。こんなどしゃぶりの中、新しいそれに火を点ける気には到底なれない。ならば、行く先を塞ぐこの女をさっさと片付けるのが優先すべき事だろう。


「お願いが、あるの」

「あ?」


 ズキリ、とこめかみが疼いた。

 思っていたより幼い声は、鈴が鳴るようにかろやかだ。けれど、ひどく――不快だ。この声を、聞いていたくない。


「お願い、聞いてくれる?」


 ばしゃばしゃと、水をはじきながら男が駆け抜けていった。俺の脚にその飛沫がかかったが、今はどうでもいい。

 頭痛がひどいだけでなく、呼吸もうまくできなくなっている気がする。なんだ、こいつ。



「あたしを、“――”てくれない?」


 
 雨越しに見たその女は、女と呼ぶにはあまりに幼く、少女と呼ぶにはあまりに冷たい瞳をしていた。

 冷たく光る、紅い瞳――それは、俺の記憶の奥底に眠る少女とは似ても似つかぬ色だった。なのに、何故だろうか。蘇る。まるで歌うように、その言葉を吐いた少女の記憶が。





《12》

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