曇天の空
11
渇ききった唇をぱくぱくと何度か動かしたものの、何も口に出来ないまま俯いたアリーシャを置いて部屋を出る。
一歩脚を進めるごとに鉄板の仕込んである俺の靴はドカ、ドカ、と大きな音をたててその存在を主張しやがる。
築何十年のホテルなのだろうか。空き部屋だらけの薄汚いこの廊下。誰に迷惑をかけるわけでもないが、やけに響くその音がひどく耳触りだった。
「まいど」
受付にいたしわくちゃの婆さんに紙幣を数枚手渡した。このホテルの宿代など知らないが、3日分の料金でも支払っていれば足りるだろう。歴史はあるようだが、とてもじゃないが上等なホテルには見えやしない。
「釣りはいらん」
もたつく手元に苛立ち、そう吐き捨てると婆さんはピタリと動きを止め、ヒッヒと笑いさっきと同じように「まいど」と答えた。
その口元に歯が1本しか見えなかった事に寒気を覚え、早々に立ち去った。
どれだけ余裕がなかったのだろうか。
ただやるだけといっても、さすがにいつもは場所くらい選んでいる。ホテルを出てその外観を見上げれば、目の前にあるのはホーンテッドマンション並に薄汚れ、真っ暗なそれだった。
二度と来るものか、と思ったと同時に何故こんな汚い場所を選んだのだろうか、という疑問が頭を擡げる。
汚ぇホテル越しに見えるのは、暗く淀んだ空。
今にもポツリとひと雨きそうなその雲を確認して、納得した。ああ、そら余裕もなくなるわ。
思った瞬間、肩にポツリと冷たい雫が落ちてきた。
――蘇る、記憶。くっそ、今夜は頭痛に悩まされそうだ。
《11》
(しおり)