不在
「……遅い」
筆を置き、トントンと机を指先で叩きながら思わずイラついた声を出せば、近くに立っていたモルジアナがチラリとこちらを見た気配がした。
本来ならばそこはシュウが立っている場所だ。しかし、もう長いことシュウの姿はなく、日替わりで別の奴が立っている。その違和感は、まだ拭えない。
シュウの奴、休暇は1ヶ月と言っていたが、既に1ヶ月と3日が過ぎている。彼奴め、一体何をしてるんだ?本当に帰ってくるんだろうな?これからの話だってまだ終わっていないと言うのに、勝手に出ていきやがって。……出発の日までシュウを無視して、話を聞かなかったのは他でもない僕だが。
流石に少しわがままだったかもしれない。シュウも悪いけど。少し反省しながら、僕は職務を再開する。そうして筆を握った時、ふと、昨日の夜語学の勉強用に読んでいた書物で、わからない点があったのを思い出した。それだってこのままでは気になる。気になって仕事にならない。……もう僕がシュウの故郷に直々に出向いて聞きに行こうか。それで、お前のせいで読めなかったと詰め寄ってやろうか。「僕のせいじゃなくて、ジャミル様の勉強不足です。さ、せっかくわからないところが見つかったんだから、勉強しましょう」
そんな声が聞こえた気がして顔をあげれば、やっぱりそこに居るのはモルジアナ。自分でも馬鹿馬鹿しくて溜息が出た。いい加減ウンザリだ。
そこで僕はまた、ふとこの状況を打開できる素晴らしいことを思い出した。────そういえば、“彼女”とやらの話をしていた時、シュウが言っていたじゃないか。
『今度、直接会ってやってくれませんか……彼女に』
という事は、やっぱり僕がその女に会いに行くという体で、トラン語を聞きに行ってもいいってことじゃないか?
「……シュウの故郷、僕も行ってもいいかなぁ」
「……えっ」
独り言にも近い言葉に、モルジアナが肩を跳ねさせて反応した。ゆっくりそちらに目をやってやれば、目を大きく見開いたモルジアナと目が合う。困惑しているようにも見えた。
その顔、前はすきだったなぁ。今となっては鬱陶しいだけだが。なんだ、何でそんなに困り顔なんだ。僕が何かしたか?
「…まぁ、領主が一ヶ月も留守にするのは、やはりよくないかなぁ。でも、僕の仕事は父に任せれば……ああでも、手が足りなくなるかなぁ」
「い、いえ……その……それぞれ分担されてる役職があるので……みなさんで頑張れば足りなくは……ただ……」
モゴモゴ喋るモルジアナの言葉を頬杖をついて待つ。言いづらそうにもごもごするが、最近こいつは意外とよく喋る。しかし、僕のことをなめているわけではないのだ。シュウが前にそう言っていた。これは、いい変化だと。
そうかもしれない。怖がられるっていうのは、嫌なことをしてる証拠だそうだ。目の前にいる者は、自分を映す鏡。僕は、シュウの言う“良い人間”に少しずつ近づいているらしい。
そう思っていたのだが。
「お邪魔に……ならないかしら」
「じゃ、邪魔ぁ!?」
「っ!」
モルジアナはビクッと肩を震わせたが、僕の頭にはそれ以上に衝撃が走っていて、ガタリと音を立てて椅子から立ち上がり、急いでモルジアナの側までよって見下ろした。
「この僕が?僕がわざわざ出向いてやるのに、邪魔になるというのかモルジアナ」
「いえ、その、そうじゃなくてっ……」
モルジアナは、怯えた表情で僕を見上げ────それからぎゅ、ときつく目を瞑った。僕はそれを見て、ちらりと自分の右手に目をうつす。……肩に置こうとした手は、どうやらモルジアナに勘違いをさせてしまったらしい。
僕は少し考えた後、その手を握り、目を瞑ったモルジアナの額にコツン、と当てた。
「……生意気な奴め」
「ぁ…………すみません」
「べつにいいよ。生意気なのは知ってるからね」
「……ちがいます」
そうじゃなくて。
モルジアナは、俯いて、小さく否定した。なんの否定なのかわからずじっと返事を待ったが、どれだけ待ってもモルジアナは再び口を開かない。続きを言うつもりは、どうやらないらしかった。
だから僕は、その時モルジアナが何を思っていたのか知る由もない。きっと理解できないから、考えようとも思わなかった。
それよりも、この微妙な沈黙にうんざりした僕は、大きな声で言った。
「……決めた!」
「え」
「この辺の書類片付けて、すぐ向かうぞ!邪魔なわけない!僕が行ったらシュウは泣いて喜ぶさ」
「……場所、わかるんですか?シュウさんの故郷って、一体どこに……」
「え?……確かに、聞いたことないな」
「…………」
黙り込んで、なにか言いたそうにこちらを見つめるモルジアナを無視して、うーん、と考え込む。
そんな時だ。あまりにも素晴らしいタイミングで、シュウ宛に配達がやってきたのは。
「失礼します。シュウさんへ、いつもの方からお手紙です」
「「…………」」
僕とモルジアナは、無言のまま顔を見合わせた。
181124
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