思い出が光る
一週間後、結局シュウさんは故郷へと一時的に帰ることになった。当然だ。私達がいくら止めたって、領主様がいくら我儘を言ったって、シュウさんを止められるはずもないのだ。領主様はこの街で1番偉いけれど王様ではないし、シュウさんにとって上官でもない。シュウさんはあくまでも頼まれてここにいる立場なのだ。当然従う必要はどこにもないし、例え無理にここに繋がれたってシュウさんにはここから逃げ出すことの出来る強さと意志があった。
シュウさんなら、私達のように鎖をつけられたってあっさり外してニコニコしながら、鎖に繋いだ恐ろしい人を食事にでも誘いそう。そうして、食事を共にした相手はきっと、彼を二度と鎖なんかでつなごうとは思わないくらいに絆されてしまうんだろう。シュウさんは自由に愛されている。自由そのものだった。

ここをたつ日、浮かない顔をする私に、シュウさんはひとつ約束を取り付けていった。


「この前言ってた御伽噺、持ってくるよ」


────もう読まないと思って、送り返してしまったんだ。でも、モルジアナが気に入ってくれたなら、きっとモルジアナにあげたって構わないはずだから。

私は考える。つまり、あの御伽噺の持ち主はシュウさんではなく、この前シュウさんが言っていた例の“女の人”なんだろう。
私を救ったという、顔も見たことの無い、それどころかこの前初めて存在を知った女の人。しかしシュウさんの言うことが本当にそのまま真実で、シュウさんの見解を織り交ぜない現実なら、私はその人に感謝しなければならない。
そう、頭ではわかっているのに────もやもやとして、ちっともそういう気持ちになれない。私はこの前から、少し悪い子になってしまったようだった。こんな心を隠して、素直なフリをして「待っています」と静かに返せば、シュウさんは私の頭を優しく撫でて、「モルジアナは優しいいい子だね」と笑う。私は、いつの間に自分は嘘が上手になってしまったのかと、こわくなる。

とにかく、シュウさんは私にひとつ約束をしてくれた。必ず戻ってくるって。ここを出ていくんじゃないって。だから一先ず、私は仮初の安堵を手に入れたのだった。
それからシュウさんは、領主様にもひとつ、忠告を残していった。


「ジャミル様。深夜の来客には、くれぐれもご注意を。」


領主様は無視をしていた。俯いて、そっぽを向いて、まるで子供みたい。でもシュウさんは、そんな領主様を見ても穏やかな顔をしていた。大丈夫、がんばれ。って、そんな顔だった。

私たちも、私も、そんな風にシュウさんを応援してあげられたらよかったのに。


***


荷馬車に2週間も揺られていれば、どうやったって退屈に付き纏われる。
もちろん退屈なだけではない。旅というのは本当に有意義なもので、御者や乗り合わせた方々との助け合い、道中出会い別れた人々とのかけがえのない思い出で既に溢れている。それでもやっぱり、どうしたってぼんやり空を眺め考え事をするような時間は生まれてしまう。なにせ時間だけはたっぷりあるものだから。

荷馬車が大きく揺れる度、色々なことを思い出した。なんてことないこと、思い出したくないこと、それから、忘れたくないこと。とにかく色々だが、故郷での思い出よりもずっと、チーシャンでの出来事の方が多かった。気がつけば、故郷を出てから10年近い。無理もないことだった。

その思い出の中の一つ。いつだったか、モルジアナにお伽話を読んだとき、彼女に言われた忘れられない一言がある。

────『このまほうつかいさん…シュウさんみたい。』

たくさん辛いことがあって、いつも怯えた目をして口を閉ざしていたモルジアナが、小さな声で目を輝かせて言ったそのたった一言に、僕はひたすら救われた気がした。
僕は魔法使いではない。人々を導くような特別な人間でもない。僕にできることは、驚く程に少ない。ちっぽけで、臆病な人間だ。
しかしそんな人間にも、あの街は、そんなかけがえのない出来事をくれたのだ。モルジアナだけじゃない────朝、僕を見ておはようと言う、ジャミル様の不機嫌そうな声。夜眠る前、また明日と言う彼の穏やかな表情。僕の話を聞いて、笑ったり、怒ったり、呆れたり、嬉しそうに頬を染めたりするジャミル様。衝突したりもしたけれど、彼との思い出は、総じてあたたかだ。そういう出来事のひとつひとつが今、僕の勇気になる。

故郷に帰るのは不安だ。彼女の姿を見るのは、不安だ。だけど僕は、今彼女に会わなければいけないし、会ったらまた、どんなに名残惜しくてもチーシャンに戻らなければならない。
チーシャンで、人々の役に立つと誓った。モルジアナにお伽噺を持ち帰ると約束した。ジャミル様と、これからのことを、まだきちんと話せていない。だから、どんなに哀しくたって辛くたって、僕は今やることをやらなければならない。
この先に絶望が待っていたとしても、僕はまた必ずあの街に戻って、最後まで使命を全うしてみせる。それが、僕のうまれた理由だ。そう思っていた。

次の日、故郷に辿り着いた。風が吹けば草の薫る小高い丘の上に、彼女の住む屋敷はある。砂の舞わないその地は、僕の中で既に新鮮なものに成り果てていた。目に映る鮮やかな草原は、恐ろしいほど美しく、胸が痛むほどに穏やかだ。

丘を登り、門を潜り、屋敷の戸を叩いた。しばらく返事を待つが、物音すら一向に聞こえない。仕方なく僕は鞄の中から鍵を取り出して、差し込んだ。手が震えて、何度も何度も失敗しながら。
そうしてようやく入った屋敷の中は、しんと静まり返っていた。いつもなら、召使いの1人でも出迎えそうなものだが、そもそも人がいる気配もない。しかし、彼女がこの屋敷にいるだろうことだけはわかっていた。

寒さすら感じる暗い屋敷の廊下をまっすぐ進み、迷うことなく一番奥の部屋へ向かう。
そうしてドアの前に立ち、ノックしようとして、躊躇った。一度腕を下ろし、思い切り深呼吸をする。それから10秒くらいして、ようやく僕は、慎重に3回ドアを叩いた。今度は「はい」と返事が聞こえたので、ゆっくりとドアを開け、笑顔を作る。


「……僕だ。戻ったよ」


そう言って、目の前の彼女の姿を確認した僕は────また、深く絶望した。


181122

[ 25/27 ]

TOP


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -