わからない人 ここ数日程、シュウさんと領主様はなにやら揉めているらしい。 領主様は、今となっては悪い人ではないのだけど、なんというか、今でもわがままな人だ。駄々をこねてシュウさんを困らせることは度々あって、その度に「我儘を言ってはいけませんよ」と叱られている。別に珍しい事じゃない。 けれど、今回は少し様子が違うのだ。領主様が毎日毎日駄々こねて不機嫌でいるのに対して、シュウさんは何か言うでもなくただただ困ったように眉を下げるだけ。それはまるでそのわがままを許しているようだったけれど、反対に、そこには揺るぎない意志が確かにあるようだった。私はそんなふたりの様子に何かただならぬものを感じずにはいられなかった。 周りの方は皆、いつものことだ、杞憂だというのだけど、そうは思えないくらい私の中の何かが騒ぐのだ。勘、というものだろうか。放っておけばきっとこのまま何かが変わってしまう事を、私はどこかで感じていた。
そうして私は今日、とうとう耐えきれずにシュウさんの部屋のドアをノックしたのだった。
「シュウさん……」
おずおずとドアを押して中を覗き込む。 そうして、私は僅かに息を呑んだ。
「ああ、モルジアナ。こんにちは」
シュウさんは、いつもの笑顔で私を出迎える。いつも通りだった────シュウさんの部屋が、まるでこれからここを出ていってしまうかのように綺麗なこと以外は。
「…………まさか、行くんですか…?」
「え?」
シュウさんが頷くよりも早く、私は確信した。嗚呼、この人は、私たちを救うだけ救って出ていくのだ。貴方無しでは何も出来ない情けない私たちを置いて、遠くへ行ってしまうのだ。 シュウさんがいなくなったあと、私はどうする?ここはどうなる?そんなの、その時にならなきゃわからない。わからないけれど、わからないからこそ、私は底知れぬ恐怖に襲われて、どっと冷や汗が出るのを感じた。そうして、縋り付くようにシュウさんの服をつかんだ。
「いかないで……!」
自分の声なのに思っていた以上に弱々しくてかっこわるくて、それから惨めで、情けなくなった。これが救ってもらった者の声だと言うの?まだ足りないなんて、そんな強欲な事を言うようなら、私にはもう彼に救われる資格はない。一生片隅で一人蹲っていればいい。わかってる。わかってるけれど。 そんなどうしようもない私を、シュウさんはびっくりした顔で見つめていた。何を言われるだろう、突き放されてしまうだろうか。そう考える私に、シュウさんは拍子抜けするようないつも通りの調子で「モルジアナもかぁ」と言ってから笑った。それから、本当に簡単に告げた。ただの休暇ですよ、って。
「きゅ、……きゅうか……?」
「そう、ちょっとだけ故郷に帰ろうと思ってね」
「…………、〜〜っっ!!」
シュウさんの言葉を理解するのに、十数秒かかった。そして理解した瞬間、全身から力が抜けていくのを感じ、そのまま私はへなへなとその場に座り込んでしまった。
「よかった……領主様のご様子から、もう帰ってこないのかと」
心臓のあたりを抑えながらなんとか私がそう言うと、シュウさんはキョトンとしたあとへらへらと笑った。「ジャミル様、大袈裟だよね」なんて言って、一人笑ってる。 ────大袈裟かしら。本当に?
正直なところ、私はそうは思わない。私も、領主様が不安に思う気持ちが良くわかる。だって、最近のシュウさんは、やっぱり様子がおかしいのだ。
「……でも今、シュウさん、行ってしまったらもう二度と帰ってこなさそうな雰囲気だわ……」
「……そうかな?」
私の言葉に、シュウさんは少し俯いて笑みを浮かべる。その表情は、私にはどこか苦しそうに見える。 嗚呼、そんな顔して、何処かへなんて行かないで。ここを離れないで。心配になってしまう。……故郷に一体なにがあるの?
「……シュウさん」
「なぁに」
呼べば、シュウさんは柔らかく微笑む。私はそれが好きだ。大好きだ。────私なんかが、シュウさんに対してなにかを望むなんてことは、あまりにも図々しいことなのだとわかっている。こんなにしてもらって、これ以上何をと自分でも笑ってしまいそうだ。だけど、だけれど、私は────シュウさんには、ずっとここにいて、ここでずぅっと笑っていてほしい。
「お願いします……そろそろ教えてください。あなたはここに、なんの目的できたの?……どうして、ここにいるの?」
シュウさんはずっと、その辺りの事は有耶無耶にしようとしてきた。わかっていたから、私達は誰も、深く追求しようとは思わなかった。シュウさんが何者でも関係ないって。私達を救ってくれた事実さえあればいいって。神様がしてくださったことを一々どうしてかと問いただす必要がないように…………なんて言う方もいたっけ。大袈裟なんかじゃなく、シュウさんは私達にとって、神様よりもずっと神様だった。 だけど、ここにいる理由がわからない以上、シュウさんがここにずっといる保証はない。そんなの恐ろしすぎて、私にはもう耐えることはできなかった。
「ごめんね、モルジアナ。それは────僕にもわからないんだ」
「………え?」
私が聞き返すと、シュウさんは観念したように息を吐いて、困ったように笑った。それから、私の大好きな笑顔のまま、私に向かって信じられないことを言ったのだ。
「全てはね、彼女に────僕が故郷に置いてきた、とある女の人に言われたことなんだよ。」
────だから、君を救いに来たのは、本当のところ僕じゃない。
なんてことないように言われたシュウさんのその言葉の意味を、私は果たして、どれだけ理解出来ただろうか。 シュウさんはわからない。シュウさんという人間は、やっぱり……………私には遠すぎた。
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