あたり前のこと 「それは困る!」
ある日、嘆きに近いような叫び声を聞いて、僕は思わず足を止めた。廊下の一番端の部屋から聞こえた、それなりに聞き覚えのあるその声の主は、僕の父親のようだ。どうやら父が、部屋で誰かとなにか話しているらしい。 情けない声をあげる父は、いつからだったか、いつもなにかに怯えている。何を怖がっているのか、僕と話す際もいつもしきりに周りを気にするようになった。そうしてとうとうその何かに耐えられなくなったのか、早々に僕に領主の座を譲り、隠居するように奥へ引っ込んでしまったのだ。そんな、なんだか情けない人だった。 きっとこの叫び声も、いつものヒステリックだろう。そう思い、僕はそのまま通り過ぎようとした。しかし、次いで「落ち着いてください」と冷静な声が聞こえ、再び立ち止まる。シュウの声だ。父の話相手はシュウだった。 父が領主だった頃から、頭の上がらないシュウ。ひょっとしたら二人の関係がわかり、シュウのことを少しでも知ることができるかもしれない。そう考え、そのまま部屋に近づき、つい聞き耳を立ててしまった。
「そう怯えずとも大丈夫です。僕も本当に安心できるまでは、そう長くここを空けたりしません」
シュウは平静を保ったまま、そう父に告げる。よくわからないが、ここを空ける、ということは、シュウはどこかに行こうとしているのだろうか?それの、何が困るんだろう。 シュウは長くは空けないと言っているにもかかわらず、父はそれでも安心できないらしい。みっともなく感じるほどに大きな声で反論している。
「その間に、また奴らが来たらどうするというのだ!?」
「お言葉ですが、奴らは今でも来ています。もう何度も」
「っ!!」
シュウの言葉に父は息を呑んだ。そっと部屋を覗き込むと、悔やむような顔をして俯いている。……奴らとは、誰だろう?
「……やはりか。アレを招き入れたのは、私の責任だ……しかし、今でも来てるとなれば、やはり君がいないと……君がいない間、誰が私たちを守ってくれる……?今度こそ私は殺されるし、ジャミルだって……」
突然自分の名前が出てきて、反射的にドクリと心臓が動いた。僕?僕がなんだっていうんだ?……“奴ら”とは、“アレ”とは、なにか僕に関係があることなのか?父が殺される?誰に?僕は……? 一瞬にして、さまざまな疑問が頭の中をぐるぐる駆け巡る。それを打ち消したのは、やはり、冷静すぎるシュウの言葉だった。シュウは父の肩に手を添えて、ハッキリと、いつもの穏やかな調子で言った。
「ご安心ください。ご子息は、とても強くなられましたよ」
きっと、奴らごときには負けません。あんな、抜け殻なんかには。
「………………」
シュウの言葉に、僕は、思わず片方の手で自分の口を抑える。 胸が熱いものでいっぱいで、喉の奥からどっと溢れ出すようだった。いつか、シュウが言った通りだ。相手にしたことは、返ってくる。僕の信用と同じくらい、シュウも僕を信用してくれているのだ。事情はよく分からないが、シュウに認められたような気がして、その時はとにかく声が出てしまいそうなほど嬉しかったのだった。
しかし、いい気分はそう長くは続かない。 それは、書類仕事がひと段落ついて、休憩しているときのことだった。
「ジャミル様、すこしよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
微妙な表情。なにか言いにくそうに言い淀んでいるようにも見えたが、決して苦い顔ではなく、寧ろどこまでもゆるく穏やかな微笑みだった。いい気分だったので、黙ってシュウの言葉を待っていれば、やがて、シュウは決心したように口を開いた。
「────ちょっとだけ、長めの休暇がほしいのです」
「いいよ!」
シュウの申し出を僕は一瞬で快諾した。これ以上にないくらい気持ちのいい返事だったと思う。なぁんだ、そんなことか!さてはさっきの話も、このことだったんだな。 シュウは住み込みで働いている。その間の仕事は寝るとき以外は絶え間なく、正直奴は数年間奴隷並みに働いていた。僕とももうずっと一緒で、最近は仕事中に傍に立たれるとちょっと鬱陶しいくらい。僕としてもそろそろシュウのいない生活も体験してみたい。そう思っていたのだった。 休暇ぐらい好きにするといい。僕にもシュウにも息抜きは必要だ。それに、シュウが僕から離れるというのは、先ほどの話もあって、認められたような気がしていた。
しかし。 意気揚々としながら、どれくらいだ?と尋ねると、シュウはこう言った。
「それが……1ヶ月ほどに、なると思います」
「……い……1ヶ月……?」
「はい」
思っていたより長い休暇に、僕は思わずがた、と音を立てて椅子から立ち上がった。……1ヶ月……?1ヶ月って、どのくらいだ……?さすがに少し、長すぎじゃあないか? 1ヶ月も休暇をとって、シュウは、いったい何をするつもりなんだ。どこへ行くつもりなんだ。ぐるぐると、先ほど父の部屋で話を聞いていた時と同じように疑問が渦巻いていく。 僕は動揺を隠すように、平静を装って、シュウに尋ねた。
「な、何のためのきゅうかだね?」
「はあ、……久しぶりに、故郷に帰ろうかと思いまして」
シュウはなんてことなさそうにそう言う。しかし、様子を伺ってみると、どこかそわそわしているようで、心ここにあらずといった感じだった。期待と不安、その二つをシュウは抱えている。そのとき僕は、ひとつ、ピンと来た。
「……お前のいう“彼女”も、そこにいるのか?」
「ええ、そうです。もう、だいぶ前に会ったきりなので、そろそろ顔を見たいのです。馬車で行ってもここから2週間はかかりますから」
「………………」
またもシュウになんてことなさそうに言われ、頭の中に溢れていた疑問たちが、消えた。真っ白になった頭の中、代わりに一つ、ふっと、まったく別のことをおもった。 体中の力が抜けていくようだった。そうしてすとん、と椅子に座り直し、僕はシュウを見上げる。呆然としたまま、ぼくは、導かれるようにシュウに問いかけた。
「…………シュウ」
「はい?」
「おまえ、僕が王になっても──────ここにいるよな……?」
シュウは黙っている。 永久のように感じられた沈黙のあと、シュウは、いつもと同じ調子、同じ声であっけらかんとして言った。
「いいえ、ジャミル様。それはできません」
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