彼は巷で猛獣使いと噂らしい ある日の昼下がり、僕はとてもイライラしていた。 特定の何かのせいというわけではない。しかし、意味もなくイラついているわけでもなく、その日は朝からとにかく色々な事がうまくいかなかったのだ。 このイライラをどうやって諌めたものかと考える。そういう時は決まって、もう何年も前に手離してしまった、否、奪われてしまった鞭を持つ感覚がふと手に甦ってくる。この時も例に漏れずそうだった。 そんな所へ丁度良いのか悪いのか、奴隷が通り掛かった。更にそいつは動きが実に悪いときた。──使えないな、なんてクズなんだ。それなのにどうして僕はこいつを鞭で罰することができないんだ?ああ、ますますイライラする。
あれを振るわなくなってからもう何年も経ったが、この通り未だにこの黒色は僕の奥底にまで根を張り、抜けることはない。それは例えるならば悪魔のようで、僕の中に常に潜み、ふとした時に顔を出しては僕に囁きかけるのだ。 こういった感情に囚われてしまうのは、きっと己の性格のせいだけではない。幼い頃からやっていた事だったから日常化してしまったというのもあるだろう。僕のストレスを発散させるには、あの頃奴隷虐めくらいしか手段がなかったのだ。 それに────奴隷を使うことに関して、やはり僕は素晴らしい才能をもっているのだ。自分でもわかる。それを今、目の前でもたついている奴隷がいる今、披露しなくてどうする?どうするっていうんだ?もどかしい。イライラする。どれもこれも、“あいつ”のせいだ。 大事にしていた僕の鞭は、きっと今も“奴”の手の内だろう。ああ腹立たしい。もうダメだ、我慢も限界だ。
イライラが頂点に達した時だった。悪魔が、僕にこっそりとてもいい方法を教えてくれた。 ────そうだ。あの鞭がなくたって鞭なんて誰かに頼んで別のものをもってこさせればいいし、何も躾は鞭だけでするものじゃない。蹴ればいい、殴ればいい、剣をつかってズタボロにしてやればいい。 僕にはその権利がある。僕は辺りを見渡し、“奴”がいない事を確認すると、傍らにあった剣に手を伸ばした………
「ジャミル様?」
「っ!!」(びくっ)
「何を、なさっているのです?」
よく通る、はっきりした声。僕は声のする方へ、ギギギと音がしそうな程ぎこちなく振り返った。その目線の先、少し離れた所でにこにこ笑って重苦しい雰囲気を出しているのは“奴”……………シュウだ。
シュウはそのままゆっくり此方に近づいてきて、既に動けない僕の手にある剣に目をやり、わざとらしく「おや?」と言ってみせた。
「今は執務中でしたよね、剣は要らないはずでは…?」
「………」
「ジャミル様…まさかまた誰か、人を虐げるようなことをしようとしてました?」
「いじめじゃないぞ。それに彼奴らは人以下だ!動きが悪かったらそれくらい当然だろうが!」
「はいはい。とにかく駄目ですよ。さ、執務に戻りましょう」
「ちっ…」
「舌打ちも駄目です。とりあえずその剣は、正しい使い方が出来るまで僕が預かりますね」
「なっ、これは僕のだぞ!?それにっ今更正しい使い方なんて、」
「ジャミル様の頑張り次第でお返ししますから」
「上からものを言うな!僕は、僕は偉いんだぞ」
「では仕事しましょう」
「っクソ……これだから下位の者というのは困るね。言葉も通じないとは…」
「はいはい」
僕の悪態も軽く流して僕の腕を引くシュウに、もう爆発しそうだった。本当に、こいつこそ鞭打ちにしてやるべきだと思うが、返り討ちにされるのでそれは未だ実行されたことはない。そうして僕が何もできないのをいい事に、奴は笑顔でこうして僕を叱り、僕から物を取り上げる。
ある日突然現れて、こうして僕の行動を制限するシュウが何者なのかは未だにわからない。 ただの一般人ではないのだろう。こいつは何故か僕の知らない事を沢山知っていて、腹の立つことに僕より強いのだ。僕は先生に色んなことを教わったし、王宮剣術だって習った。それなのに、どうしてもこいつに勝つことが出来ない。どうしてだろう。 僕の方が、偉くてすごいのに。そう、僕は偉いのだ、すごいのだ。こいつは身分ってものをわかっていない。僕より物を知っていても、僕の方が偉いのだ。だからこうして逆らうのは許されない事だ。なのにどうして罰せない?出会った瞬間から無礼なこいつを罰せた事は先程も言ったように一度もなかった。だからこいつは懲りないのだ。小さい頃から誰一人僕に逆らった事なんてなかったのに、こいつ一人だけ……
このシュウという人物は初対面で、誰も僕に出来なかったことを成し遂げやがった。
そう、彼はあの日、僕の手から鞭を取り上げたのだ。
彼は巷で猛獣使いと噂らしい (ところで猛獣ってどこにいるんだ?)
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