見える未来は幸福だった
この間の街に行った日以来、ジャミル様はいつも以上に機嫌もよくて、職務も楽しそうににこにこしながら取り組んでいた。
当然、僕が口うるさく言う必要なんてどこにもない。だから最近の僕の教えることといえば、剣術の稽古とまだ曖昧なトラン語の復習、それと……ああ、意外とまだあった。
でも、もう少し。ジャミル様は初めて会った時とはもう違う。ジャミル様は、とても優しい人になられた。
色んなことがいい方向に進んでいる。ただ、街を歩く人の足元に時折鎖がちらつくのが気がかりだけれど。それがなくなるのだって本当にそう遠くない未来だろう。


「…何をにやにやしてるんだよ」

「へ」


ぱっとジャミル様の方を見ると、ペンを置き頬杖をついてじっと此方を見ていた。
にやにや…と言われてしまうと少し複雑な気もするけれど、どうやら僕は今日もちゃんと笑えているようだ。
よかった。これくらいしか僕に取り柄はないのだから。


「ふふ、にやにやはしてませんよ」

「してる。気に食わないなぁ」

「それはすみません。でも、ジャミル様も偶にはにやにやなさってみては?楽しいですよ、ほら」


僕がにっこり笑ってみせると、盛大に舌打ちして
目をそらされた。何だかそれにも笑えてくるから不思議だ。


「はぁ…もう僕の傍についていなくても僕一人で出来るから、そのどうしようもないだらしない顔をどうにかしてきたまえ」

「え?しかし、」

「いいから出しゃばるんじゃないよ、しっしっ!」


ぷんすかと音がつきそうな勢いでしかめっ面しているジャミル様は、背も伸びて、声も目付きも変わって、本当に、僕が来た時とは比べ物にならないくらい大人になったけれど、そういう所だけは変わらなくて。
子供っぽさの抜けない仕草にとうとう小さく笑い声をもらすと、ジャミル様はかぁっと顔を赤くさせて机を叩いた。


「早く行けよ阿呆が!!」


そう言ってぽこぽこと怒りながら、ジャミル様は僕を視界から無理に排除して仕事を再開させた。
少しからかいすぎてしまった、と思いながらも緩む頬を抑えられない。確かににやにやしているのかもなぁと思い、お言葉に甘えて外へ出る事にした。
静かに扉をあけて、部屋の外に出る。さて、これから何をしようか。こどもに手がかからなくなるって、結構さみしいものなのかもしれない。


長い廊下を一人歩く。今日も外はいい天気で、建物の中にいても街の賑わいが耳に入ってきた。
ダメだダメだと思いながらもまた笑みが浮かぶ。ここはいい街だ。ジャミル様が自分の力で良い方へ変えていったのだと思ったら、自分の事のように嬉しくなって、心があたたかくなった。
でも、外が賑やかだからだろうか。一人きりの廊下は、なんだかひどく冷たくて寂しかった。


「(……そういえば)」


先日、モルジアナと菓子を作った時に彼女が言っていた絵本は何処にやっただろうか。僕がこの邸で借りている部屋か、或いは………

────そう、“彼女”のもとだ。

そう思い至って、僕は最近考えないようにしていたことを思い出す。彼女は、今、どうしているだろうか。もう3、4通前から読めないままの手紙は、今も引き出しの中で僕を待ちながら眠っている。
読んでしまったら、僕はもう、ここにはいれない気がした。だって、彼女はきっと────

すっと背筋に冷たいものが走って、とたんに身体が重くなる。それでも外は変わらず賑やかで、暑さと人の声が脳を掻き回した。

頬を汗が伝う。
なんとか冷静になろうと努めるが、うまく行かなかった。手のひらも、情けないほど汗でびっしょりで、拭っても拭っても無駄だった。

これは、この感情は、恐怖だ。
僕は酷く恐れているのだ。僕にとっての“最悪”を。
その最悪から逃れようと一段と強くなった焦燥感がぐるぐると駆け巡ってくらくらと目眩がした。
いけない、こんな事ではいけないと解っている。解っているけれど。1度それを憶えてしまえば、忘れるのは容易なことではなかった。

そうして、ふと、導かれるように近くにあった鏡を見ると、
────ああ、ほら。なんという事だろう。怯えた顔をした、子供の姿の自分が見えてしまった。見えた気がした。
ゾッとして鏡から距離をとり、崩れそうになる足をぐっと踏み込む。呼吸がうまくできなかった。
どっと溢れた汗を拭いながら大きく深呼吸をするが、咳き込んでしまって、かえって苦しいだけだった。



そうしてズルズルと鏡のまえに座り込んでいると、肩を叩かれた。
気だるさを振り払うようにゆるりとふりかえる。見慣れた顔を見て、少しだけ、気分が落ち着いた。


「…ああ、ゴルタス」

「………」

「ありがとうございます、大丈夫、ごめんなさい」


そっとゴルタスの腕に手を添えると、控えめにぽんぽんと背中をたたかれた。それは酷く心地よいものだった。



────『よしよし、シュウは泣き虫だからね』



そんな声まで、聞こえた気がした。

(彼だけが知る過去の事)
160204

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