まほうつかいと笑顔の魔法 まいにち、こわくてしかたなかった。
「あは、あはははは!みんなぼくに従え!」
そういって笑う声が部屋中にひびく。ほんとうに、おそろしいひと。 あのひとの横にいたおとなのひとが居なくなってから、ますますわたしたちへの“しつけ”はひどくなった。近くのひとがむちで打たれて、転がったのを見て、わたしは今日も足がすくんで、こわくてこわくてとっさに逃げ出してしまう。 それをすぐに見つけたあのひとは、なんでかわからないけど、すごくうれしそうな声をあげて、
「モルジアナ!」
おもわず、ビクリと肩がはねて立ち止まった。 ゆっくりと、そんなわたしに近づいてくる足おと。こわい、こわい。にげちゃだめ、でもにげなきゃ。 かたまる足に必死に命令して、わたしはまた走った。痛いのは、いやだ。
「逃げきれるわけないだろモルジアナ!一度だって、おまえが逃げきれたことはないじゃないか!」
「っいや、」
「待てよ、二度とぼくに逆らえないようにしてやるから」
「やだっ…!」
むちをふるう音がした。ぱしん、とそれが地面を弾いたしゅんかん、今までのことを思い出して、あしがうまく動かなくて、わたしはころんだ。ふりかえると、ちかづいてくるあのひと。わたしは後ずさる。
「ほら」
「いや、」
「おまえはぼくから逃げられない」
あのひとはまた、手を振り上げた。
「たすけて、」
だれにもとどかないできえる声。 代わりに響く、わらい声。
「あはははははは!」
わたしめがけてふりおろされるむちに、ぎゅっとめをつむった。────でも、なかなか痛くならなくて。すこしだけ目をあけたら、
「はじめまして、ジャミル様」
みえたのは、きれいにわらった、しらないおとこのひとだった。
***
「ああ、皆さん。朝から働きっぱなしで疲れたでしょう。とある国では8時間以上続けて労働するのはだめなのだそうですよ」
夕方、私たちが働いているところに、そんなやわらかい声が響く。声のする方へ振り向くと、やっぱりシュウさんがいた。
「僕も手伝いますね。もう少しですから、早く終わらせて一緒にご飯にしましょう」
そう言って太陽みたいに笑ったシュウさんに、私の周りの奴隷の方達の表情が緩んだ。私の表情だって、もしかすると緩んだのかもしれない。 すこし痩せた女の人からすっと自然に荷物をとったシュウさんは、てきぱきと働きはじめる。
不思議な人。そうとしか言いようがなかった。 領主様の一番近くにいながら、こうして当然のように私達を手伝う所も理解できなかったし、それ以上にわからないのが、はじめは反発していた領主様も、何故かシュウさんが来てから丸くなって、鞭を振るうことをしなくなったという事だ。 今日の仕事も実は以前より軽くなっているし、与えられる食べ物の量も、部屋の環境も、すべてがよくなっている。そう、何もかもが一変した。 私達から悲鳴、涙、苦しみ、恐怖は消えて。代わりにすこしずつ、笑顔が生まれた。まるでシュウさんのえがおが、魔法をかけたみたい。
毎日、怖くて仕方なかった。 逃げだしたかった。でも逃げることなどできなかった。いつだって、逃げきる前につかまって私は重い罰を受ける。あの男はほんとうに恐ろしくて、幼い私に鎖を千切ることはできなかった。 牢屋の中で毎日泣いた。希望なんてなかったのだ。いくら呼んだって、お母さんとお父さんは来てくれなくて。私はひとりぼっちだと、そう思っていた。 誰にも私の声なんて、届かないまま消えてしまうと思っていた。
「モルジアナ」
呼ばれて、顔をあげたら、シュウさんが、初めて会った時と同じように笑っていた。
「モルジアナも今日は一緒に食べましょう」
シュウさんの一言で、私は今日もひとりぼっちになれなくなった。前とは全く違う、奴隷の食べるものとは思えない立派な食事。 こういうの、なんていうんだろう。まるで、小さい頃にシュウさんが読んでくれたお伽話みたい、かな。
ああ、魔法使いでないのなら貴方は一体誰で、何処からやってきて、何の為に私達を助けたのか。 何で、いつでも笑っていられるのか。私は、助けてくれた大好きな人のことを何も知らない。
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