→心を失くした


「ナマエって、確かオトウトがいたよね」

「………?」


突然の話題で、私の頭は一瞬フリーズした。オトウトって、弟のこと?だとしたらつまり私の後に生まれた存在で、私の家族である奴の事だよな?
念のために言うと、弟のことを忘れていた訳では無い。私はシャルのように家族がくだらないとか、どうでもいいとか関係ないとか、そんなこと今でも思っていないのだ。たとえ二度と会えなくても、家族という存在はいまでも家族というカテゴリーのまま私の中に存在している。
忘れていたわけではなく、単に私は驚いていた。シャルナークから弟の話題が上がることなんて今まで無かったし、今後もあるとは思っていなかった。私のカゾクの事なんて、シャルにとっては心底どうでもいいはずのことだからだ。


「いたよ、弟。最後に見た時はまだほとんど赤ちゃんだったけどね」

「ふーん」

「それがどうしたの?」


シャルは私の問いかけに、肩を竦めて「いや、大したことじゃないけど」と笑った。それから、そのまま世間話をするように私に爆弾のような言葉を投げつけた。


「ナマエ、どうして他の兄弟は流星街に来なかったのにナマエだけ来たのか、考えたことある?」



その問いに、私は思わず息を止めた。
その間、恐ろしい速さで私の頭に考えが浮かんでは消えていく。────まって。そういえばそうだ────生活に困窮していたのならば、こどもがじゃまならば、赤ん坊から手放すものではないか?────わたしはえらばれなかった?────ひょっとして、私の最悪は、なにもあの日から始まった訳では無いのかもしれない。もしかしたら、生まれた時から。
ドッドッと心臓が暴れるように動いてうるさい。はっと思い出して再開した呼吸は、息切れしたかのようにはあはあと情けなかった。
世界がぐるぐるする。気づきたくなかった真実は、私を殺す勢いで突然降り注ぐ。

そんな私に、シャルナークはなんてことないように続けた。



「それはね、────ナマエじゃなきゃ、今日まで生きれなかったからだと思うよ」


その言葉に、私はゆるりと顔を上げて、シャルナークを見た。エメラルドグリーンは、優しく光っている。穏やかで、やさしい暖かい目。シャルは相変わらず笑っていたが、私は全然笑えなかった。


「あの日、捨てられたのがナマエで本当に良かったよ」


シャルナークが滑らかな口調でそう言うので、私はじっとりとした汗を拭いながら、ああ、またか、と思った。こういう時だけは、彼はまるで壊れた玩具だ。何度も何度も同じことばかり繰り返す。何度も何度も、言いきかせるように。

あの日、独りぼっちだった私を救ったのはまだ幼いシャルナークだった。そしてその後、私を何度も突き落とすのもシャルで、そこから救い上げるのもまた、シャル。
私達はやっぱり、たしかに変だ。誰にも名前をつけられない私達だけの関係なのだから、そりゃあ変に決まっているけれど。それにしてもやはりおかしいのだと思う。
そう思ってから、なんとなく、私は先日の職場が襲われた翌日のことを思い出した。


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何かしらの事件に巻き込まれて職場が変わるのは、今回で確か5度目のことだった。
そもそも盗賊であるシャルナークが提示するような場所である上に、デタラメの戸籍を持った私が働けるような場所だ。クリーンな職場なわけがなく、アンダーグラウンドギリギリ、つまり限りなく黒に近いグレーの仕事であるので、尽く潰されてしまうのは当然のことでもあった。
悪というのはしぶとく根強くそう簡単に果てることはないが、しかし、消える時はあっという間に消えるのである。まるで初めからなかったかのように、一瞬でいなくなる。そしてまた、新たな悪が生まれるのだ。世界とはいつだってそうやって回っていた。
朝起きて、枕元にあるシャルナークの残したメモ書きを見た私は、まず初めに前の職場の記憶にサヨナラを告げることから始めた。それからすぐに、次の職場で働く自分を想像する。上手く、やれるかしら。次は今回の様に痛い目に合わないといい。お腹に穴が開くのはもう御免だ。
そう思った途端につきりと痛んだお腹を擦り、顔を顰めた時。不意に部屋のドアが開いた。ぎょっとしてそちらに目を向けると、向こうも驚いた顔をしている。桃色の髪の、猫みたいな目をした女の子。知らない子ではない。私はずっと前に、彼女に会ったことがあった。


「……こんにちは」


私がそんなふうに間抜けに挨拶なんてしたからだろうか。何が気に食わないのか、マチは顔を顰めた。可笑しいな、私はもうとっくに泣き虫ではないのに、彼女はいつだって私を鬱陶しそうに見る。当たり前だが、私はそれがすごく嫌だった。


「……顔を合わせるつもりはなかったんだけどね。まさかアンタがこんなに早く目覚めるなんて、思ってなかったから」


面倒くさそうにため息を吐きながらマチは言う。こんな声だったんだ、とまるで初めて聴いたかのような感想を抱いたのは、彼女と話した事がほぼ無かったからだろう。
馬鹿を見る目をしたり、興味無さそうな顔をしたり、珍しいものを見る目をしたり、こうして鬱陶しそうにしたり、そういう所があるからシャルの仲間は嫌いだ。
嫌いというか、たぶん、あの日の苦手意識が今でも消えていない。


「……そんなに私と話したくないなら何でここにいるの」

「シャルに金貰っちゃったからね。そうじゃなきゃあたしだってこんな所にいないし、アンタのことなんて知らない」

「………ああ」


眠る前にシャルが言ってた仲間って、この子の事だったんだ。腑に落ちて、私は思わず黙り込む。
そんな私をじっと、マチは見つめている。何か言いたそうな雰囲気だった。私がちらりとそちらに目を向ければ、案の定マチは口を開いた。


「シャルとあんたって、不思議」

「……え?………どこが?」

「どこがって……そうだね、例えば……あいつは昔からアンタにだけ、よく捨てられた話をする。あたしはそんなどうでもいいこと、あえて話す必要もないと思ってるし、あいつもそうだと思うんだけど」


マチは一呼吸置いて、言った。


「きっと、それはアンタの気を引くためだよね」

「………………」


私はそれを聞いた時、なんとも形容しがたい気持ちになった。何だかとてもくだらない、話題にするのも馬鹿馬鹿しい話のような気もしたし、頭の奥がどうしようもなく熱くなったような気もした。私はこの感情の名前を知らない。だから、何も答えられない。
話をそらしたかったのかもしれない。私は気づけば、マチの言った取るに足らない言葉に対して、質問を返していた。


「……捨てられた事、どうでもいいって、どうして思えるの?」

「別に。あたしは今が最悪だなんて思ってないからね」


なんてことないようにあっさり返ってきた言葉に、私は一瞬ドキリとした。


「な、にそれ、………まるで、私がいつも最悪って思ってるみたいな言い方だ」

「冗談はよしな。思ってるだろ、あんたいつも」


────あたし達のことも、そういう風に。あたしと話したくないのは、いつもそっちの方じゃない。

私は彼女の言葉に、目を見開いた。あまりにも衝撃的だった。雷が落ちたようだった。それから何も言わない(否、言えない)私に対して、マチはどうしてか、ばつが悪そうな顔をした。それから今度は、彼女が話をそらすように私に尋ねる。


「…あんた、今でも待ってるの?母親」

「え?……あはは、いや、流石に」


私が何とか笑いながらいえば、彼女はそう。とすこし笑って、別れは言わずに去っていった。それは何だか、とても優しい人のように見えた。
こういう時、たまに思う。本当は、狂っているのは彼女達ではなく、流星街でもなく、私の方なのではないかと。私の方が、あの人たちより感情が欠けているのではないかと。例えば思いやりや友情、愛情、そんなあたたかいものを、本当の意味で理解していないのは、私なんじゃないかって。
それは、普通に暮らしている世界中のみんなにしてもそうだ。みんながそうだからそれが正しいと私は盲目に信じてしまう節があったが、こうして異質に触れてみると、そんな私でも疑問に思う。
だけども、盗賊をやって当たり前に人を傷つける彼らは確かに悪人だし、人を簡単に爆発させる流星街の人たちも絶対にオカシイ。だからやはり、基本的には多数意見が正しいのだ。そう思うと私は安心したりもする。
シャルナークは悪人で、本来私とは相容れない存在で、しかし、あの日の約束がある以上“特別”だ。そして彼女はそうでない。仲良くなんて、きっとこれからも出来ないのだ。あの日私の手を取ったシャルナークだけが、憎たらしいことにいつだって私の唯一の救いなのだ。

170709
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