→言葉をなくした


これのつづき


ヒュー、ヒューという自分の喘鳴と、気がおかしくなりそうなくらいの血の臭いだけが部屋を満たしている。自らのお腹のあたりにぽっかり間抜けに開けられた穴から時折、ごぽりと血が溢れるのが気持ち悪くて、私は嫌気がさした。
どうしてこんなことなっているのかは全くわからないが、これだけはわかる。“さいあく”だ。

その見るだけでも嫌な四文字を頭に浮かべ、私はもう何度目かになる悪態を胸の中で吐き出す。────嗚呼、もうほんとうに、嫌だ。さいあく。ちくしょう、ちくしょう、dammit!!
思えばずっとこうなのだ。今までずっと、そうだったのだ。私の人生は最低と最悪でできている。流星街という、最悪ではなくなったが最低なことには変わりないあの場所から出た所で、それは変わらない。
私を取り巻く最悪からは、どこへ行っても抜け出せない。何を失っても手に入れても、総じて言えば全部が最悪。それもまた最悪である。意味がわからないかもしれないが、悪しからず。

しかしまぁ、そんな最悪な中でとうとう今日まで死ななかったのは不幸中の幸いというか、感謝すべき奇跡みたいなものだったのかもしれない。
だけど、だからと言って、人生もう充分だなんて私は決して思わないよ。なんにも充分じゃない。死んだ方がマシとか、それくらい言えたら良かったかもしれないけど、私はどこまでもテンプレなので、正直めちゃくちゃ死にたくなかった。
いやだ、こわいし、普通に死にたくないよ。身体が動くのなら子供のように駄々をこねたいくらいだ。じたばたしてやりたいくらいなのだ。でも残念ながら私は瀕死なので、代わりに情けなく涙を流して、うう、とか、くそ、とか呟いてみる。



「かわいそうなナマエ」


ふとそんな声が聞こえて、視線を上にずらせば、何故かシャルナークが私の頭上の方でしゃがみ込んで、頬杖をついて、私を蟻でも観察するみたいに眺めていた。
────いつの間に、何故ここに、と私は思考をぐるぐる巡らせる。しかし当の彼は平然としていて、私と目が合うと、憐れむように深いため息を吐いて、もう1度繰り返した。


「かわいそうなナマエ。待ち続けた親は結局迎えに来なくて、オレに振り回されて…最期はこんなところで血塗れなんてさ」


たぶん、カタルシスに浸っているのだろう。憐れみの中には、どこかうっとりとした響きがあった。私は悲劇のヒロインか。微妙な心境だ。
とりあえずひとつ分かったのは、そのシャルの口振りからして、私がこうなってる原因である数分前の騒動にシャルナークが一枚かんでいるらしいこと。そうじゃなきゃ、私の職場に、私が襲われたこのタイミングでこの男がいる訳もない。


「お前死んじゃったらつまんなくなるなぁ」


そう言う割に、シャルは私を助けようとはせず、呑気に話しかけてはただ眺めている。見殺しにするつもりらしい。信じられない。これだからシャルナークはおかしいのだ。
しかしそれは今更な事ではあるし、もうシャルがどうしてここにいようがなんでもいい。私は藁をも掴む思いで、シャルに血塗れの手を伸ばした。


「そ、げほ、っ助げ、て、ほし────」


それなら、助けてほしいんだけど。
なるべく命乞いみたいにならないように言おうと思ったのに、声を出せば腹部に激痛が走り、完全に命乞いみたいな言い方になってしまって、私は顔をしかめた。頑張って喋ったせいで口の中が血の味でいっぱいになったのも不快だった。
シャルはアリンコを眺める目のまま、のんびりとした調子で言う。


「んー、いいけど、ナマエは俺に何かくれる?」

「…かねは、ないよ」

「知ってる。だから金のないナマエがなにしてくれるのかなーってさ。何してくれる?」

「……なんでも、いっこ」

「え?あはは!この状況で1個って、ナマエすごいな。嫌いじゃないよ。…なんでもって、本当に何でも?」

「…そ…なんなら、」


ちゅーでもしようか。
言ってから、ごぱぁと口から血を吐いた。シャルはケラケラ笑っている。笑い事じゃあないけれど、それでも、とりあえず面白がってくれたなら、救われる可能性もあるかもしれない。
何でもと言ったが、私に出来ることなんて実際は何も無い。シャルはお金もたくさん持ってて、仲間もいて、だから私に出来ることは、ただ振り回されてあげることくらいで。
それも要らないと言われたら、あとは少しでも気を引くために単純にふざけてみるくらいしか思いつかなかった。シャルも、それをわかって何が出来るのか聞いてきている。だから私に今この状況で求められているのはたぶん面白さ、意外性、興味深さ。それだけ。
私には、本当に何も無いのだ。

シャルは、一通り笑ったあと、また頬杖を付いて、目を少し伏せて、ふふ、と静かに笑った。
それはまるで微睡んでいるようで、子どものようにかわいらしく、綺麗で。私はそれを見て胸をえぐられるような気分になる。実際抉られているのはお腹だが。



「うーん、いいよ」


たすけてあげる。
シャルはそう言って私を抱き起こすと、「はい」と笑った。はい、と突然言われても、私はわけが分からず疑問符を浮かべるが、途中で気づく。
────こいつ、本気か。そう思いながらシャルを見たが、ムカつくくらいににこにこしていて、さっきとは打って変わって、私は思わずウンザリした声を吐き出した。


「ぃまかよ…」

「きっちり前払い!それに、怪我の治った後でならそのへんの愛人にでもできるよ」

「あいじんいんのか」

「いないけど」


あっさりと否定したが、それが本当なのかはわからない。私としても、どちらでも良くて、鼻で笑ってしまった。
そんなことどうでもいい…何でもいいんだ。だって私は、彼の恋人なんてものではなく、自分が何なのかもわかってない。たださいあくじゃなくなるのなら、それがいいに決まってるから、それの正体もわからないまま、わたしはいつもその手を取った。

私はシャルに手を伸ばし、右手で顔を触る。自身の頬にべっとり血がついても、シャルは笑っていた。にっこり。そんな効果音がぴったりのその口に、私は静かに、ただ自分の口を重ねた。
それだけの事なのに、どうしてか、傷よりも深いところが悲鳴を上げたのが、私には不思議でならない。





「────ナマエって、やっぱりずっと、あの日のままだ」


そっと離れると、シャルは口の周りを間抜けに血塗れにしながら、真面目な顔をしてそんなことを言ってきた。私が病気持ってるとか考えないのかおまえ。と思ったが、どうやら考えないらしい。私が瞬き一つした頃には、シャルはもう悪い事なんて一つもなかったかのように満足そうに笑っていた。そうして私を乱雑に地面に放り出し、立ち上がって携帯電話を取り出した。


「脇腹だし、ナマエやっぱり四大行は使えたんだ。もう血が出てない……これなら大丈夫だね。俺の仲間すぐ近くにいるし、助かるよ。」


どこかへ連絡しているらしいシャルナークは、半分くらい何言ってるのかわからないが、わたしに向かって片手間にそう言った。
私はそれを聞いて、馬鹿みたいに安心し、力が抜けていくのを感じた。眠い。眠ってしまおうか、このまま。夢を見て、起きた頃にはきっと自宅のベッドの上に1人きりでいて、テーブルの上には新しい生活のことが書いてあるメモがあって……私は当たり前のように、その紙の上に書かれている人生に溶け込むはずだ。血塗れの職場なんて、今日の事なんて、まるで無かったみたいになって────

遠くの星のお母さん。あなたは、私が五歳で死んだとお思いでしょうか。あのごみ捨て場で、飢えて死んだとお思いでしょうか。
でも、私はまだこの世にいます。あなたとおなじ時代で、醜く息をしております。もう二度と会えない、お母さん。弟。どうか、しんでいて。

170225
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