→終夏


これのつづき



ミオソティス。別名勿忘草。季語は春、三月から五月にかけて咲く青または紫いろの小さな花で、とても可愛らしくて、とても美しい。
私にかけられた呪いは、まさにその花のようだった。


話せば長くなるからたるいし、あなたもきっと退屈に感じるだろうけれど。なるべく手短に話すと、その呪いがかけられたのはこの夏がはじまる前のことだった。

ああ、でも、まずどうして呪われる羽目になったのかというところから話すとすると、そこからまた更に遡ることになる。
過去を遡った先にあるずっと前のある日。私は人を殺した。その前から既に数え切れないほど人を殺してきて、その中のただの一人であったからか、私はその人を殺してすっかりその記憶を薄れさせていたわけだが。
それから数年経った今年の春の日、“彼女”が私の元へやってきた。私の前に立ちはだかり、恨みの篭った目で、私を睨んでいた。
そこでようやく、私は数年前のその殺人を思い出したのだった。



今日シャルと久しぶりに再会して、自分の状況を改めて自覚した。シャルが馬鹿にして言ったとおりに、私は暑さに頭をやられている。
私はもう、“マチ”という名前を覚えてはいなかった。シャルの口ぶりからみて知り合いだったろうに、薄情なことにそれは私の記憶に掠ることすらなくただの言葉として滑り落ちていった。それこそが彼女が私にかけた念だ。

あの日、彼女は私に呪いをかけた。
鏡に映る自分を目を凝らしてみれば、きっと良く見えるだろう。わたしの頭に絡みついているミオソティスが。暑さに弱いこの花は、日を追う事に、夏が過ぎて行けば行くほどに、私の脳みそを枯らしていった。
これは、強くて深い念。決して逃れることの出来ない、今は亡き彼女からの最後の贈り物だった。彼女はもういない。命を捨てて私を呪った。可哀想な子だ。ほんとに。可哀想な子だった。可哀想な事をした。


「あなたがころしたあの人のことも、私のことも、決して忘れないで」


あの子はそう言って死んでいった。
それを聞いたあとで知った事だけど、勿忘草の花言葉は“私を忘れないで”、だそうだ。

そうして私はその言葉の通り、彼女と彼女の恋人の記憶だけは残したまま、自分の大切な人の事を忘れていっている。
このまま何もかも忘れていくのに、彼女の顔も私の犯した罪も忘れる事はないから、本当にうまいことできてると思う。全部無くなったあとで手のひらに残っているのが人を殺した記憶だなんて。そんなのきっと、死にたくなるんじゃないか。
結局、彼女の呪いは私の命まで奪いはしなかったけれど、私をすっからかんのがらんどうに仕立て上げ、最終的には私の命を奪う遅効性の毒だったわけだ。



「…お分かりいただけただろうか」

「うーん、よくわからなかった◆」

「そーかそーか」


ニコニコ笑っているピエロ的な人にとりあえず私もへらっと笑っておく。
長々と説明してあげたのにわかってもらえなかったが、正直わかってもらえなくても良かった。なんとなく誰かに話したかった。
そんな気分だったシャルの家からの帰り道、たまたま話しかけてきたフレンドリーなピエロに話をしただけのことだ。
話し終わったら用はない。じゃあね、とピエロに溶けかけの飴を渡して(それくらいしか持ってなかった)去ろうとしたら、ピエロは言った。


「細かいところは興味無いからわからないけど、つまり君自身がその花になったってことだ◆」


私は足を止めた。そのままピエロのところに戻って、もう一つ飴を渡す。延滞料金だ。


「や、ちがくて。なにいってるんだおまえは。彼女が私を忘れないでって言ったって私いったぞー」

「でも、君も忘れないでくれと願ってる◆」

「………」

「だから暑い中、出てきたくもないのにわざわざ出てきて彼に会った訳だ◆」


ピエロはそう言ったあと飴玉を地面に放った。くれた人の前でそれはないだろー、と目で訴えると、「蟻にご馳走してあげたんだ◆」と言った。今日はごちそうだね。と思ったけど、蟻の常識はわからないからそうも言えないかもしれない。糖質がおおすぎかも。



「…あー、その、ピエロ?」

「なんだい?◆」

「おまえは私の何だったの?」


彼はにっこり笑って言った。


「キミのトモダチ◆」




***




頬を伝う汗を拭いながら、ぼんやりとひとり道を歩く。夏というのは本当に最悪の季節だ。暑い。五月蝿い。すなわちだるい。
私は夏が大嫌いだった。あまりのだるさに泣きたくなるくらいには。熱くて苦しくて、死んでしまいたいとすら思ったこともある。
ピエロの言う通り、本当はこんな夏の日に外へ出たくなんてなかった。

それでも私は、シャルに会いたかったんだ。
何でって。そりゃ会いたかったから。今日会わなければもう二度と会うことはないかもしれないから。

…本当はそれだけじゃない。ピエロは良くわかっていた。
本当は、シャルに私を忘れないで欲しかったんだ。
私が忘れてもしばらくは憶えていてもらえるように、せめて今日シャルに会ってきた。
私が忘れても、忘れないで欲しい。最高にわがままだけど、シャルは何だかんだで私の駄々を聞いてくれたから今回も大丈夫だろうと自分勝手に思った。
代わりに、今度から私が返せるようにするからさ、最後にお願いだよ。ねえ。


じじ、と音を立てて、近くの木に止まっていた蝉が地に落ちた。気がつけば空はすっかり夕焼けで眩しい。
今日は実にいい日だった。ずっと探していたものも見つかった。あまりにも終わりに相応しくて怖いくらいだ。これで暑くなければもっと良かったけど。

夏とか、ほんとに嫌いだ。でも終わってほしくないと、今は思う。ずっとこうしてきらきらしてればいい。ずっと夜なんて来なきゃいいし、眠らない身体でいられたら怖いことなんてきっとなかったのに。

日が沈む。
今日は何を忘れるんだろ。わからない。
もし明日、シャルのことをまだ覚えていたら
迷惑承知でまた会いに行こうと思った。

お願いだから、また会う日にも私を忘れないで。
だってシャルが憶えていてくれればまた、会えるかもしれない。
また会いたい。会いたいんだ。お前のシケた顔がもう一度見たい。今残されているのはそれだけだった。

幸せの亡き骸


140806
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