→忘却前夜祭
ナマエは、昼間の強い日差しが嫌いだった。ついでに夏も大嫌いだ。
だからナマエは、今年も夏の終わりまで決して外に出まいとご丁寧に決意表明までしている。シャルナークがそれを聞いたのは、つい先月のこと。扇風機の羽根にからまってバラバラに砕けた間抜けな引きこもり宣言が受話器から聴こえたのがとても印象深い。
ナマエと仲のいいシャルは毎年やってくる情けない宣言に対して勿論不満があった。けれど無理に外に出すと彼女は怒りだすし、その後泣きそうな顔をしてあついというものだから、面倒なので仕方なく頷いて特につっ込まないようにしていたのだった。
それなのに、だ。
まだまだ残暑の厳しい夏のある日、ナマエはふらりとシャルのホームにやってきた。
「引きこもるって言ってたのに」
「おー」
「どうしたの、なんかナマエ死にそう」
「縁起でもないこと言うな」
むっとしたナマエがわざとぷかぁ、とタバコの煙を吐き出すから「上がるなら煙草は消してよね」とシャルは文句を言っておいた。ナマエは少し笑ってタバコを携帯灰皿に突っ込んだ。
「出てこれるなら言ってよ。つい先週マチ達と美術館に行ったんだよ」
「…そうなの?」
「うん」
「あー…だれと?」
「だから、マチとコルトピと、あとシズク」
「あー、うん…まちとこるとぴね」
「大丈夫?暑さに頭やられた?」
「そうかも」
ダレたようにへらりと笑って、勝手にエアコンの温度をどんどんさげていくナマエからリモコンをうばう。暑がりなナマエは不満そうに口を尖らせたあと、床にどすっと座った。
「品のない座り方だなぁ」
「おー、悪うござんした、何分育ちが悪いもので」
「あはは、まぁね。で、暑がりのナマエが態々こんな暑い日になんの用事?」
「あー用事っていうか…うん、たまたま近くを通りかかって、折角だしシャルのシケた顔でも見てってやろってな」
嘘だな。通りかかるも何もお前、外に出ないだろ。買い物も全部通販で済ませてたくせに。
そう思っても、シャルはわざわざ問いただしたりはしない。はぐらかすって事はどうせ最後まで言ってはくれないし、聞くだけ無駄だ。それに、野暮ってやつ。
「にしても暑い。最近クーラーガンガン効かせて籠ってたから久々に体感だわ」
「夏だからね」
「…温度下げちゃダメ?」
「だめ」
「シャルくんのいけずぅ」
「俺のシケた顔見に来ただけなんだったら長居しないで帰りなよ」
「いやぁ良く見たらイケメンだったわ眺めてたいわ」
「あはは、よく言われる」
「うっそだーお前の顔は可愛すぎるし意見割れるだろ。いけめんだけど。まぁ私には負けるな」
ナマエがあまりにもまじまじと見てくるので、シャルはふいっと顔を背けた。
それにつまらなそうな声をあげるナマエは、幼い頃からマイペースと言われてきただけあり
すぐに視線をそらして寝っ転がった。既にその話題も捨てて、別のことを考えているんだろう。
「そういや」
思い出したように声をあげた後、ナマエは、こんなことを言った。
「最近花にも言葉があるって知ってさぁ」
「花言葉のこと?」
「それそれ。花の色によっても違うから驚きだった。個性だしてるね」
「確かにねー、というか今更?」
「教養ないもんで。花は踏みつけて歩いてきましたから」
ごくり。
持参してきたらしい麦茶のペットボトルを傾けてから、ナマエはぽつりと呟くように言った。
「今思うと踏まなきゃ良かったって思うけど」
「───、」
「あれだ、綺麗な人ほど怒ると怖いってな」
「なんだそれ、何の話?」
「花の話」
なんだか、急に不安になった。
こんな夏の日にナマエが来たりするから、そんな柄でもないこと言ったりするから、
妙に急き立てられるような気持ちになる。それはウボォーがいなくなった時と似ていて、それでいてまた違うもの。
一度浮かんだ不安感は、消そうとしたってそう簡単に消えるものではない。寧ろ彼が呼吸をする度に広がって、とどまることを知らなかった。
そんなシャルに追い討ちをかけるように、ナマエは。
「……シャルさぁ」
「…ん?」
「いや…あんまりさ、無理はしないでな。盗みもあんま恨み買わない程度でたのしも」
「…急にどうしたの?変なナマエ」
「や、なんか不安で不安で」
「(おまえもか)ぷ…もしかしてそれ言いたくて出てきたの?」
「ちがっ…まぁ…私も、心配になるというか」
「ナマエがねぇー」
「笑うなって、照れるじゃん」
言って、ナマエは本当に照れくさそうにこちらをジト目で見ながら
既に空になっているペットボトルにいつまでも口をつけているから、可笑しくて笑えた。
「あはは、見ればわかるよ。まぁ…無理しないようにお互い気をつけよう。お茶いる?」
「ぜひともいただきたい」
「はいはい。ちょっと待って」
ナマエに背を向け冷蔵庫からお茶を取り出しながら、シャルは少しだけ一人でこっそり笑った。
そんなシャルの背中を眺めながら、ナマエは幸せについて考えていた。
幼い頃から誰よりも幸せという言葉に敏感で、自分がそれを求めていることをしっかり自覚していたナマエは、誰かが美術館を襲っている間もそれを探し求めていた。ずっとずっと探していたけれど、見つからないままだった幸せ。
──ひょっとしてこれが。
ナマエは今、そう考えたのだった。探していた答えは案外近くにあったのかもしれない。
こんなこと、シャルには言ってやらないけど。だから、シャルナークがナマエがそう思っていたを知ることは永遠にない。なくていいんだと、ナマエは思った。
「あとさぁ」
「んー?」
「わたしね、結構シャルのことすきだよ」
「ふーん…………なっ!?」
「うん、まぁ、うん」
「そっ…あ……きゅうになんだよ気持ち悪いなー!お前今日へんっ…ぞっとしたよ!そんなこと言う前にもっとナマエ…」
「ん?」
「いや、なんでもない。…俺もさ、結構好きだよ」
「…やべ、ほんとにぞっとした」
「おい!」
ああ、そうだ。たぶんこれって、これが、
幸せって名前なんだろうなと思った。
***
「もう帰るの?」
「うん」
「夜になってからの方が涼しいと思うけど」
気を使ってそう言ってみると、ナマエは本気でだるそうな目で窓の外の陽をにらみながらも言った。
「今日は太陽が沈む瞬間をみたいんだ」
「ふーん」
残念だ。これでまたしばらく会わないんだと思うと少しだけ。
こうして考えてみると、自分とナマエは仲がいいつもりだけれど、一年のうちのほとんどを別に過ごしているんだとシャルはきづく。
ナマエは夏が嫌いだ。ついでに春の終も、秋の始まりも少し。暑いのが大嫌いなのだ。
玄関のドアに手をかけてナマエはぴたりと止まった。シャルが不思議そうにしていると、彼女は思い出したように言う。
「そうだ、花言葉」
「なに、またそれ?」
「ミオソティスって花、印象的だった」
「ふーん…ミオソティス…ね…」
「多分、一生忘れないと思うんだ。その花のこと」
振り返って少しだけ笑ったナマエは、ドアを開けた。眩しくてシャルは目を細める。
「おやすみ、シャル」
「…?おやすみ、ナマエ。またね」
「うん」
陽の光を浴びたナマエはまた、泣きそうな顔をしていた。
この顔が、シャルは嫌いだった。そもそも泣いている人間は誰であろうと面倒だしやっかいなのだが、ナマエのこの顔はもっと特別に嫌い。罪悪感をおぼえるからだ。そんな顔されるとこっちまで泣きそうになる。
「あついの?」
「うん、あつい」
「無理してでていくからだよ」
「そうだね。でも行かなきゃ」
「うん。頑張れ。もうすぐお前の嫌いな夏も終わるから」
「ううん、今は好き」
「え?」
「明るくて眩しくて、幸せだから、好き」
ずっと、よるなんて来なくて
夏が終わらなければ、だれも不安にならなくていいのに。
ナマエはつぶやいた。
変なことを言うもんだ。昼間の強い日差しも、夏の厳しい暑さも、五月蝿い蝉の声も大嫌いだったあのナマエが。
また、不安になったじゃないか。
「…じゃあ、またね?」
ナマエは、返事を返さなかった。
泣きそうな顔をすっかり収めて
滅多に見せないような笑顔で
陽炎の中に飲み込まれていった。
「さよなら」
そんな声が聞こえたような気がしたけれど、ナマエはすでに遠くの方で揺れている。
声なんてここまで届く筈ないし空耳に決まっているんだけれども。
シャルはもう二度とナマエに会えない気がしていた。でも、そんなへんなこと言って追いかけるほど乙女チックにもなれず。
結局、ナマエは夏の空気に消えた。
それからシャルはナマエに会っていない。夏が終わって、暑さが死んで、蝉が転がっても。冬が来て、また夏が来ても。
会うことはなかった。
幸せの亡き骸
140724
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