アパタイトの手招き

暗い路地で、いつまでそうしていただろう。
気づけば表通りの喧騒は聴こえなくなっていて、路地は眠るようにしんと静まり返っていた。
すっかり冷えてしまった指先を温めるように息を吐きかけ、姿勢を正す。ああ、さむい。わたしはいま、とてもさむい。どうしてか分かる。これは、気温のせいだけではない。


────“ルイさんがほしいのは、ぬくもりです”

私はいま、どうしようもなく惨めなのだ。それは、何度も思い出される彼の言葉によって。
今まで己が正しく人間であると思い上がっていた訳では無い。私達は普通とは違いどこかおかしいのだと、そう思っていた。
だけれど、知らなかった。自分はここまで欠けていたのだ。ここまで、何も持ってなかったのだ。幼い頃に常人の持つ全てを奪われ、そのくせクロロや皆のようなうつくしい感性を手にすることすら出来ず、中途半端で、ただ欲張りで、陳腐なものにも手を伸ばす。
私は人間でもなければ、狂人にもなれない。ただの寂しく哀れで卑しいひとりぼっちなのだと、そう指を差され追い詰められてしまった。

自分の本質を正しく自覚してしまってからは、私はいつものとおり素直だった。ああ、さみしい、さみしい、さみしい。
私はひとりだ。私は、このままずっと、本当に欲しいものを手に入れることは出来ないだろう。だって、私は何も持ってないのだから。なんにも持っていない私を、誰が抱きしめるだろう。
わたしがシャルのように操作系だったら、誰かに抱きしめてもらえたのに。優しくしてもらえたのに。一緒に買い物する友達も、恋人も、カゾクも、全部手に入ったのに。そっちの方がいいなぁ。
そうしてまた、ないものねだりが始まる。ほしいなぁ、ほしいなぁ、ほしいものがほしいだけなの。かみさま、わたし、それだけなんです。

あんまりにもさみしくて、ぎゅう、と自分を抱きしめてみる。余計にさみしくて、ぎゅ、と目を瞑った。そうしたら、また。かみさまではなく悪魔が後ろから忍び寄り、私に向かって囁いた。


「そんなに抱きしめて欲しいのなら、僕でよければ抱きしめてあげるよ」


突然背後から聞こえた声に、私はひゅ、と空気を呑み込んで、構えながら振り返る。誰だかはもうわかっていた。


「やぁ」

「…ヒソカ」


私は答え合わせのようにその名前をつぶやく。私の声は思った以上に弱々しく、ヒソカはくく、と喉を鳴らすようにして愉快そうに笑った。


「キミはクロロを見つけられて、ボクはキミを見つけられる。これってなんだか、運命を感じるねぇ」

「…………」

「またさみしいのかい?」


一人でしゃべり続けるヒソカを何も答えずじっと見つめていると、彼はこてんと首をかしげて、軽く両手を広げてくる。なんの真似かと思ったが、しばらくして先ほど言ってきた事かと思い当たり、私は腕を組んでどうしようか考えた。


「おいで、たぶんキミが思うよりずっとシンプルな話だ」

「…そうかな」

「確かめてみるといい。安心しなよ、とって食ったりしないから」


ヒソカは丁寧にもわざわざそう言ったが、言われずとも、とって食われるとは思わなかった。彼は私に興味がなく、こうして話しかけてくるのはただ私がクロロを見つけることができるからなのだ。だから彼は私を、まだ、無意味に殺すことはないだろう。彼はオカシイが、ばかではない。
 それに、今はなんだか、そんな理屈もどうでもいい気がした。


「……団長は、見つけてはあげないよ」

「それは残念。本当につれないね、キミって人は」


ヒソカはやれやれと言った様子で肩をすくめてそう言いながらも、待つのをやめることは無かった。そうして、迷う私にもう一度言う。


「特別にタダであげる。これは僕からのささやかなプレゼントだ」


まさに、悪魔のささやきだった。ヒソカがむせ返りそうなほど優しく穏やかな声で吐くやわらかな言葉に、私は頭がぼんやりとする。ふわり、身体が浮き上がるような感覚だった。
何だか、もうだれでもよかった。私の欲しいものを与えてくれる人なら、だれでも。ヒソカだって一応人間なのだから、何の問題もない気がした。もう、それでいいじゃない。
私は、ふらりとヒソカに向かって歩き出す。そうして、もう少しでそれを手に入れられる、という時だった。



「はい、そこまで」

「!」

「おや」


はっきりとよく通る制止の声にはっとして、私は立ち止まった。ヒソカの向こう側から聞こえたその声に、私は目を見開く。ヒソカはもっと前からその誰かの来訪に気づいていたようで、愉しそうに目を細めながら、一歩横に体をずらした。路地の入口、ちょうどヒソカの陰に隠れるように立っていたのは、少し久しぶりに会う人物だった。私を呼び止めたのは、かみさまでも、王子様でもない。


「……シャル、なんで」

「ルイ、何してるの。帰るよ」


あ、と思った。こちらに手を差し出したシャルナークの顔は、逆光でよく見えないけれど、声でわかる。あんまり機嫌が良くない時の声だ。
自分の思った通りにことが運ばない時、シャルナークは妙に冷静ぶった声を出す。いつもと変わらないトーンだけれど、そこに温度は乗せられていない。どこか人間味のない声だった。
少しだけ、シャルの元へ行くのが嫌だと思う。だって、怒ってるのならちょっと面倒くさいもの。しかも原因はおそらく私。
せめて原因が別のところにあれば、一緒に出かけたりして気を紛らわしてあげられたとしても、私に原因があるんじゃ私が悪いところを直すしかない。でも、私は悪いことなんてしているつもりないし、仮に悪いところがあったとしても、直すも何も私にもどうにもできないこともあるのだ。既に形成されている自分を制する事が出来ていたのなら、私は今頃悩んだりしていない。ついでに言えば、シャルと仲がいいからって、シャルの機嫌を治してあげる義務はない。

とはいえそんなことも言っていられない。ここで反抗したところでもっと怒らせるだけだし、そもそも嫌だとしても反抗するつもりは毛頭なかった。もう、なんでもよかった。私はきっと疲れている。このまま早く帰って眠りにつきたかった。
私は素直にその手を取って、シャルはそれをぎゅっと握り返すと、何も言わずに私を引っ張って歩き出す。シャルの手は、あたたかかった。
けれど、何か違うと思うのは、おそらくシャルがあまりに私に近すぎるからだろう。私はあまり頭が良くないので、シャルと長くいるうちに私とシャルの体温の境目がわからなくなってしまったのかもしれない。
ぼんやりとその背を見つめていると、うんと昔から辿るようにいろんな景色を思い出す。私の見てきたうつくしい記憶の中には、大抵シャルの姿があった。



「君たちはほんとうに仲が良いよねえ」


やはりというか。黙って見送ってはくれなかったヒソカは、私たちにそんなことを言った。何度も言われた言葉だ。しかし、投げかけられた言葉に、シャルは素直にぴたりと足を止めた。手をひかれる私も、自然と足を止める。シャルはゆっくりとした動作でヒソカを振り返った。


「…仲が良いっていうか、」

「………」

「まぁ、ヒソカの入る余地はないかな」


そう言ったシャルは、なんにも思ってないみたいに表情を無くして、真顔で。私はそれを黙ってじっと見上げていた。
しばらくそうしていただろうか、ぎゅっと手首を握る力が強まって、思わずそちらに目を移せば、シャルはまた私の手を引いて歩き出した。

170422

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