彷徨うアメジスト

また会いませんか、というマトモ男の言葉に、私は少し迷ったが、彼と会った日の帰り道のことを思い出して、了承することした。
あの日、私は彼と話をして、くだらないと確かに思ったのだ。その後の“ほしがり”は失敗したけれど、あれは今あてにならないし、あの時私は確かにつまらなかった。それは私の気持ちだ。それが結局、一番大事だ。
だから、もう一度つまらない思いをして、今度こそ『ばかみたい』と突き放してみせようと思った。そうして彼を殺すのもいいかもしれない、ともぼんやりと思った。
あと…これは単純で子供っぽい理由だが、ペンダントをつけて出かける目的が出来たのが、嬉しかったりもした。とにかく、断る理由なんてないように思えたのだ。

久しぶりに会った男は、相変わらずだった。
相変わらず好青年で、私達には程遠い曇のない人だった。何にも知らない綺麗な人だった。
そして、彼はとても穏やかだ。あの日よりも穏やかに思えた(きっと初対面のあの日と違って、あまり緊張していないのだろう)。その穏やかさは彼の中で留まらない。彼といると、まるで世界中がゆったりとした暖かい陽だまりの時間をすごしているかのようになり、私はまた、ぬるま湯に浸かっているような、奇妙な感覚に囚われる。
どこにでもあるカフェでの、他愛もない会話の隙間、長く途切れたところで、彼はそんな私にこういった。


「ルイさんは、悩んでいるのですね」


柔らかい空気に脳みそが蕩けたのかもしれない。一瞬、何を言われたのかわからなくなった。しばらく考えて、意味を理解したのは三十秒か、ひょっとしたら一分経ってしまったのではないかと思うくらい、とにかく私にとって長い時間がかかった。たっぷり時間をかけてようやく理解した私は、目を大きく見開いて、男を見つめ返した。


「ど、どうして」

「あはは。だってなんだか、浮かない顔をしています」

「………そうでしょうか。貴方は私を知らないから……私は、いつもこの顔なのかも知れませんよ」

「それはそれで、心配になってしまいますね。少なくとも僕には、その顔を見て悩み無き人生を送っているとは信じ難い。…もし何かあるのならば、今でなくとも、それを聞くことは僕に許されるでしょうか」


締めの言葉なんかは特に、如何にも彼らしいと言えるような慎ましやかな言葉だったが、しかしその中身は強く一歩踏み込んだものであることは間違いなかった。出会って、まだそんなに経っている訳では無い。しかし私は、そんな彼を失礼だとはどうしてか思わなかった。
彼は、人の心を柔らかくこじ開けて、容易に侵入してしまう所謂“人懐っこさ”というやつを持っているのだと思う。あの日私に声をかけたときも、今この瞬間も、彼はその恵まれた力を使い私と接していた。
しかし、悩みを聞くことについて、許されるかと改めて問われると、彼はきっと、許されない部類に入るだろう。悩みとは、基本的にそう簡単に打ち明けるものではない。私がもしも悩みを話すとしたら、もっと親しい人に、つまり団員にしか話すことはないといえる。
だけど────団員に話すか?こんな、盗賊らしくない悩みを、盗賊団のメンバーに?話せるわけない。だから、この悩みは彼らにも話せない。
話すとするならば、道端の草や、死体に向かって話す。取るに足らないものに、思いを一方的に吐いて、それで終わりにする。そういう部類の悩みだった。

そこまで考えて、思い至る。つまりそれって、目の前の彼は絶好の話し相手だった。そう思ってから、私はすぐ、導かれるように口を開いていた。「今聞いてください」と。


「……わたし、ほしいものが、わからなくなっちゃって」

「欲しいもの?」

「ずっと、私には見えてた。私が欲しいもの。私の心が欲しがってるもの。私はいつでもそれをきちんと見つけて、ただしく私に与えてきたつもりだったわ」


そう。今まで、当たり前に出来ていた。どうして出来るのか考えたこともないくらいには、当たり前に。自分の手足が動くのはどうしてなのかと思い悩んだことのある人間なんて、きっとこの世の中にそう多くないと私は考える。それと同じで。
それなのに、それが出来ない。手足を失ったようなものだった。目玉を奪われたようなものだった。私は、私の大切な一部を、どこかに落としてしまったのかもしれない。


「それを探している。悩んでいるんじゃないの、探しているの」

「なるほど………そうですね、では…僕が当ててみせましょうか」

「え……?」

「あなたの欲しいもの、代わりに僕が当ててみせます」


男はじっと、私の目を見る。澄んだ目だ。こちらまで見透かされてしまうような、透き通った目だ。シャルもやってる事の割にやけに澄み切った目をしているが、それとは全然違う。何かが違う。やはり彼が真に潔白だからだろうか。“におい”と同じで、その瞳が映すものも、薄い涙の膜一つでは隠しきれないのかもしれない。
何を映しているにせよ、瞳とは宝石のようだと思う。それは、いつかの日、クロロが美しいと言って愛していたあの燃えるルビーの眼球に限らない。シャルも、クロロも、マチも、パクノダもみんなだ。ふとした時にきらりと輝く、そんな不思議な宝石を誰もが持っていた。
といっても、交流範囲の狭い私は彼ら以外の他人の目をのぞき込むなんて機会はあまりないのだが、それでも目の前の男もそうなのだから、きっとこの考えは正しいのだろう。瞳は宝石だ。その持ち主が、死体でない限り。

そんなことを考えながら、私は男のグレームーンストーンのような瞳を見つめていた。そうして、その瞳に見透かされた。


「────ルイさんが欲しいのは、きっと…ぬくもりとかやさしさとか、暖かさだと思います」

「…は、」

「そういう人の顔だなって」

「──────────」




────嗚呼、ちょっと、待ってよ。
今、なんて言ったの。この男は今、一体なんて────ぬくもり?ぬくもりと言ったのか?ああ、それは、嗚呼。

以前の私ならば、狼狽えることはなかった。しかし彼が口にしたのは、簡単に無視出来ないほどつい先日まで思い悩み、私が出しかけた答え。違うと振り切ったはずの答え。違うことを確かめにここに来たというのに、どうしてそんなピンポイントに、優しく抉るように、そんなことを言うんだろう。

そういう顔って、どういう顔だろう。私は、どんな顔をしているのだろう。他人の目から見て、それを欲してやまないとわかるほど、飢えた顔でもしているのだろうか。



「………わたしは、そんなにまずしく、みえますか」

「その一点においては」

「……………」

「だけどある意味それは豊かだと思います。…貴女はやさしくて、すてきな人です。素直にそれを求められるんだから」


男は目を細めて、要するに優しい顔をして穏やかにそう言った。私は彼の言葉に意識が遠くへ行ってしまったような感覚がして、真っ白になりながら、震える手でミルクのたっぷり入ったティーカップをなんとか傾けた。

170415

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