ラベンダージェイドの教え

何だかまるで、普通の男の人みたいだった。
いつも見ている逆十字のコートではなく、少しも特別でない無地のワイシャツを着て、買い物をしてきたのか紙袋を抱えている。
私が来たことに驚いたのか、珍しくぽかんとしてこちらを見ている姿は、ただただ無害だ。とてもA級賞金首には見えまい。
普段オールバックにしている髪も全て下ろしていて、風が吹くとさらさらと揺れていた。思わず、息をのむ。きれいだと思った。
街に完全に溶け込んで、ただの好青年のようにありふれても、クロロ=ルシルフルという男は、やっぱりどこかきれいで、魅力的だった。
私が見惚れているうちに、クロロは思考を取り戻したらしい。額の十字を隠すように巻かれた布を取り払いながら、入れよ。と扉を指した。
そこがクロロの住居だって、私はそこで初めて気がついた。そしてようやくマズイ、と頭が慌てだしたのだった。


「ち、ちが、その、えっと、わたしっ…!」

「話は中で聞く。とりあえず珈琲の1杯くらい飲んで行ったらどうだ?せっかく来たんだから」


わたわたとする私に何でもないふうにそう言って、クロロはこちらを見つめている。
────私が、故意ではないが能力を使ってここに来たことを、内心怒っているのではないだろうか。クロロは、蜘蛛の仕事以外で私達の前に姿を見せることは基本無い。
行方をくらませるということは、追いかけられたり、敢えて見つけ出して欲しくないんだろうって、そんなの余程無神経でなければ誰にでもわかることだ。私にだって、わかる。
わざとじゃないのだと早く言いたいけれど、クロロが何か言う前に弁解するのはかえって不自然だし、でも怒ってるなら怒られる前に言いたい。言わないまま部屋に入ったらきっと怒られる。怒られたくない。
自分で来たくせにすっかり困ってしまって、私がなんにも言えずに俯いていると、クロロは肩をすくめて此方にやって来て、私の目の前に立った。


「そんなにかまえなくても、オレは怒ってないよ」

「…ほんと?」

「ああ、ほんと。これ持ってくれ」


見上げたクロロは僅かに口角を上げて笑っていた。私に持っていた紙袋を渡すと、エスコートするように私の背中にそっと手を添えて誘導する。思わずうわぁ、と思う。
荷物を持たされてはいるが、こういう風に女性扱いみたいな事をされるのには慣れてないので、ついむずむずしてしまう。何だかすごく居心地がわるい。
でも、荷物を渡されてしまっては抜け出して帰ることも出来ないし…ああなるほど、私が帰らないように荷物を渡したんだ、このひと。
納得して、この人は本当に、行動すべてに意味を持たせることができる人だな、と感心した。人より何十倍も人生を有意義にしているに違いない。
そうやって結局、クロロにドアの向こうまであっさり連れていかれてしまった無能脳みその持ち主の私が、それを今まさに証明したわけだ。


「千里眼、いつの間に範囲が広くなったんだな」


ドアを開けて私を中に通し、扉を締めると、私から荷物を取り上げてクロロはそう言った。その言葉にはっとして、やっぱり怒られるだろうかと再び身構えたが、クロロは面白そうに私を見ているだけ、続けて茶化すみたいな声色で言った。


「また歌いながら来たのか?ルイ」

「………そう…そうなの。クロロクロロって歌ってたら、ここに来ちゃった」


私が答えれば、クロロは珍しくくつくつと、本当に可笑しそうに肩を震わせて笑った。それから、また例の、自信のあるような、不思議な強い眼差しで私を見て、首を傾ける。


「俺が欲しいのか?」


クロロの質問に、私は思わずきょとんとしてしまう。ああ、そうか、私は“ほしがり”を使ってここまで来たんだ。ということはつまり、私のオーラがクロロを欲しがって飛んだということだし、そういうことになってしまうのだろうか。


「クロロを?…えっと、んー、わかんない。でも、会いたかったのはある」


そういうと、クロロはまた、ふ、と潜かに笑う。私がうっかりここに来てしまったことが可笑しくて仕方ないらしい。
怒られないのは良かったが、こんなに笑われてしまうとそれもそれで複雑だ。
微妙な気持ちでクロロを見つめれば、クロロは珈琲を入れてくる、と私の肩を叩いて、椅子に座るよう指した。
珈琲。クロロは、私が珈琲を飲めないことを知らないのだろう。だって、私達が珈琲という飲み物に出会ったのはあそこを出てからだし、あそこを出てから彼とこうして穏やかな空間を共にしたことは、考えてみればほとんどないに等しい。
私の人生の内でおそらく一番関わりがあり、たくさんの時間を共にしたシャルと、それ以外とでは、大抵の場合色んなことが違うのだ。違くて、いいのだ。珈琲が飲めないなんてクロロに知れたら、きっとまた笑われるんだから。クロロの前では飲めることにしよう。
目の前にそっと置かれた珈琲を、今日は睨んだりせず、ミルクも砂糖も混ぜぬままそっと口にした。恐ろしく苦い。顔に出すな、出すな。


「…ねぇ、えっと、団長」

「なんだ?」

「団長の一番欲しいものって、どんなもの?」

「それを聞きに来たのか?その話はこの前しただろ」

「ヒント、ヒントだけでもほしいの!」


執念深くて、面倒くさいかもしれない。でも、私はどうしても知りたいのだ。
考えてみれば、一番欲しいものもわからないで、私は今までよく自分を誤魔化せてきたものだと思う。おそらく私は今まで何も考えず、目の前のものをただ欲してぼーっと生きていたのだ。
そのことに気づいてしまった今、このままではいけない気がして、答えを求めるしかなかった。わかるまで、きっと止められない。
私が思わず縋るように言えば、クロロはまた肩を竦めた。


「ヒントと言われてもな…さぁな、としか言えないよ。何故って、俺にだってわからないんだから」

「……そう」


クロロにも、わからないんだ。じゃあ私なんかにわかるはずもないじゃない。
自然と肩が落ちる。教えてくれないよりもっと、思っていた答えよりずっと、悪い答えだった。
もう、考えないように頑張るしかないのかな。そう思って爪の先をぼんやりと見つめた。



「ただ、漠然としたイメージみたいなものは、ずっと頭の中にあるな」


私はクロロの呟くような言葉に勢いよく、ばっと顔を上げた。


「やっぱり、クロロも一番ってあるんだ…!わたし、私ね、自分の一番、いくら考えてもやっぱりわからなくて」

「いや…ルイがこの前言ったことだって、オレは正しいと思ってるよ。オレも欲しいと思ったものはひとつ残らず欲しい。というより、そう思ったものは奪うと決めている。…まぁその中で敢えて一番欲しいものと言えば、それは最終的に…物品ではないかもしれない、というくらいのものだ」

「………それって、どういうこと?物じゃないって、じゃさわれない?つめたい?あたたかい?」

「温度は分からない。恐らく触れないんじゃないかとは思うけど、それもはっきりとはわからない。ただ、俺には…いや、俺達には見えない、遠いものだということはわかってる」

「…見えなかったら、探せないよ」


再び落胆した私に、クロロは楽しそうに笑った。宝物を盗りに行く前みたいに、企みを打ち明ける時みたいに、心底楽しそうに。


「だから俺も手に入れられていないんだよ、一番欲しいもの。きっとそう簡単に手に入るものじゃない。いや……まず己がそれを本当に欲っしているのか、そこすら曖昧だ。そもそも前提が────」



私にはわからないような言葉も交えて、クロロの口から次々と主張がこぼれ落ちていく。たぶん、クロロのこのおしゃべりは、この前の私のつぶやきと同じもののような気がした。
私に説明しているようで、全く別のところへ飛んでいってしまっている。私への言葉ではなく、クロロだけのもの、クロロだけの考え事、クロロだけの言葉。ようするに、独り言としてしか意味をなしていないのだ。
私達はほしいものがほしい。ずぅっと、そのことで悩んでいて、そのことになると、周りが見えなくなる。その気持ちがよくわかるから、その邪魔したくなかったし、クロロに話を聞くのは諦めて、私は苦い珈琲を置いて、ひとつ息をついた。
クロロの目は、僅かだがいつもより輝いて見える。宝石のようで、美しかった。

161219

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