1 彼はキスマークを付けられ、付けることが好きだった。 だからか挿入前の俺が少し不安な時に諌めるように俺に痕を残すと彼は俺を引き寄せてここにマークを付けろと言ってくることが多かった。 所有印を付けて、付けられる。 自分は彼のもので、彼は自分のもの。 付けた後に今まで付けて残っているものを含めて数を数える。 全て自分が付けたのだと思うと、やはり頬が緩む。 それはやはり俺に優越感や充足感を与えてくれて毎日が幸せだった。 100人中100人が平凡だと称される見た目。 特技もなく、勉強がそんなにも出来るわけじゃないどこにでもいる普通の男。 それに比べて彼はただ歩くだけで世の女性がすぐに振り返る様な美丈夫。 スポーツや勉強はもちろん、身一つでいきなり留学するなどの度胸も持ち合わせてる。 男としての劣等感は勿論、人間としての格の違いからか俺も最初は好きだなんだ以前にどこか遠慮してしまうところがあって、少し苦手だった。 それでも彼は俺のことを愛してくれて。 いつからだろう。 彼の身体に俺の知らないマークがついたのは。 俺が付けたのは右胸と項だけだよ。 左胸と腹筋の辺りのマークなんて俺は知らないよ。 また快感に流されて浅ましくも感じ始める俺は質問するどころか言葉ににならない意味のない声を上げるだけだった。 目を開ける。 彼は、緒方八尋(おがたやひろ)はそこには居ない。 清潔なシーツに包まれた体も洗ってくれたのかべたべたしない。 でも、汚れていても良いから目覚めはシーツではなく彼に包まれて起きたかったなんて。 随分と女々しくなったな自分とジワリと滲む涙を拭いながら思った。 クローゼットから部屋着を取り出して着込むと、寝室を出てリビングへと行く。 テーブルの上に置かれた紙切れは、大学のゼミで暫く会えない旨を伝えるものだった。 今まで、八尋が急な用事で朝までいれなかった時には留守電が必ずあった。 なのに無機質の塊は何のメッセージも受け取らずにそこにあるだけだ。 「・・・卒業までで、いい」 大学院へと進む八尋と違い、中堅の会社に内定が決まっている自分。 どちらにせよ社会に出ると時間もなかなか取れなかったりするのだろうから、今のままでいいのだ、傍に居られるなら。 残り少ない時間なら自分の好きな風に使っていいだろう。 冷蔵庫の中身を見ると何もなく、コンビニへ行く気もしない。 もう一眠りするにも眠気など来なくて、今日は寒いので熱いシャワーでも浴びるかと先程着た部屋着を脱ぎ捨てると風呂場へ向かう。 思っていた以上に冷えていた体に熱が戻ってくるものの、もぬけの殻の冷えた誰も居ない空白を思い出して暫くの間意識が飛んでいたようだ。 身体を拭い再び清潔な衣服へ袖を通すけれど寒気はまだここにある。 もしかしたら風邪でもひいたかと体温計で計ってみるものの平常のものよりほんの少し高い程度で熱が出たと言えるものじゃない。 暖房を付けてカーテンも隙間が出来ぬようにしめる。 真っ暗な空間へと変わった寝室の中心にあるベッドへダイブするとそのまま彼の残り香を探すけれど既にそんなものは無くて。 きっと俺を洗ってシーツを替えた後は俺を寝かせてそのまま帰ったのだろう。 枕に顔を埋めて眠気よ来いと念じていた時に、俺の感情と不釣り合いな明るい音が響き渡り一体何だと見やれば、枕の下で振動する塊。 自分の携帯はリビングに置いているので、たぶん八尋が忘れていったのだろう。 そして自分を励ますのだ。 忘れていってしまったから留守電に何も入ってなかったのだと。 わかってる、勝手に見ちゃいけないって。 でも、何か大事な用事だったらって言い訳して、枕の下へ手を突っ込む。 触れた硬質なソレを掴みとると目の位置まで持ち上げる。 『ともか』 ここがベッドの上だから大丈夫、とかそんなの関係なく、ただ呆然としたまま力が抜けていき携帯を落としてしまった。 だがそんなことは意識の外にあって、ただ今現在鳴り続けるソレを眺めるしか出来ない。 だから、これで良いって自分でちゃんと思っただろ。 卒業までで、それで自分は満足だって決めたじゃないか。 ほんの十数分前に決めたことでさえ揺らぐ決意など、決意となんて言っていいわけがないこともわかっている。 すぐに動揺してしまい、揺れ動き休まることのない心情が恨めしい。 八尋のことも嫌いになってしまいたいが、この胸の痛みこそが彼を愛する気持ちであるともわかっているから、余計に愛しさが増すのだ。 なんて厄介な無限ループだ、と一人笑う。 同時に瞬きを忘れた瞳から零れ落ちる涙の粒が頬を濡らしていく。 一筋、涙の痕が描かれれば止めどなく流れ落ちてシーツまで濡らしていった。 二人にとって素晴らしいハッピーエンドって一体何だろうか。 別れるのは俺は辛い、そして八尋にとっては・・・嬉しいことであろう。 このままの状態で居るのは俺は辛い、八尋も辛い。 なら、どうすればいい? この溢れ出す涙に八尋への想いが詰まっていて、今現在その気持ちが失われていく、だなんて都合のいい話は無いだろうか? むしろ涙の粒が零れるたびに増える想いが苦しくて。 顔をシーツに押し付け、誰も居ないと言うのに必死に噛み殺した泣き声は、やはり堪え切れず静かな空間に嫌に大きく響いたのだった。 しおり |