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先輩の、名前を呼ぶ。
本を返しに来たと言うので、部屋に招き入れる。
「夏休みに借りてたの昨日返すの忘れててさー」
ごめんねー、と緩く笑う先輩はいつも通りだ。
もちろん先輩は何も見ていない可能性はあるけれど、俺に疚しいことがあるからこそ、現在緊張のし過ぎで口から心臓が飛び出そうだ。
鞄の中から取り出される本の中に昨日貸した、まだ発売されていない本があり、思わず目をそらしてしまう。
もし中川さんが家から出てったのを見ていなくてもこんな、物的証拠があれば聡い先輩の事である、すぐに事実に辿り着くのであろう。
「コレ、すげぇ面白かった」
「俺も好きなんで、お勧めしてよかったです」
息が、つまる。
秘密にしてたことに対する言い訳は、もちろんいっぱいある。
世間にはプロフィールその他諸々を隠しているのでそう簡単に明かすわけにはいかないだとか、兎に角筋道はちゃんとたっていると思う。
だから、別に疚しいことなど一つもないのだ。
なのに、なんでこんなに息が出来ないの。
喘ぐように酸素を求めて口を開くと、目の前に壁のように立ちこちらを見つめている先輩と目が合ってしまった。
「ねー時雨。俺こうゆうの苦手だからさー」
単刀直入聞かせて貰うよ、と深い笑みを浮かべて頬に手を伸ばしてくる。
触れた感触に思わず体を震わせると、そのまま指先が肌の上を滑る。
「時雨は、宇月蒼なの?」
「・・・はい」
誤魔化すことなんて、出来なかった。
普段から本の話をする時、絶対に出てくるほど先輩は俺の書いた本を好いてくれてる。
それに家にも宇月蒼の本は全巻揃っていると言うほどだ。
会いに行くと語った時の、視線の鋭さ。
息をのむほどに真っ直ぐなその眼差しが向かう先は、その時先輩は知らなかった俺という名の、宇月蒼。
あくまでそれは想像上のものだと、自分を必死で律していたのを覚えている。
「そっかー。こんなに、近くに居たんだね」
俺の憧れた人が、と言う先輩。
何故か無性に泣きたくなったのは、なんでだろうか?
「あの、その・・・中川さんとは、会ったんですか?」
「うん。ちょうど時雨の家から出てくる時にねー」
「そうですか・・・」
途切れる言葉、沈黙で埋め尽くされた室内。
先輩の顔を見ると怒ってるとか、俺に対して負の感情を抱いてるようには見えない。
それでも気まずさが胸中を占めて言葉が上手く出てこない。
「俺ね、時雨の書く物語好きなんだ」
「それは、ありがとうございます」
綺麗なだけじゃなくて、汚いものもある、それに思春期の子供が大人にどのような感情を抱いてるかとか、そんなものも面白かったと言ってくれる。
まあ思春期云々は実際に俺も子供だからこそかけたものだろうけど。
そんな風に、先輩に普通に受け入れられたのが嬉しくて、ほっとしたのもありぼんやりとしていたら唐突に手首を掴まれる。
「わっ!どうしたんですか!?」
「時雨を、バスケに誘ったのは迷惑だった?」
予想外にか細い声で話す先輩に、俺まで胸が締め付けられる。
先輩は、小説も好きだけどバスケもとても大好きだ。
それは一緒に部活をしてプレイしてきたのだから十分に理解できてると思う。
「全然、迷惑じゃないですよ」
「・・・ほんと?」
「本当です。引きこもりなんで、多少は体動かさないといけないかったし」
いい気分転換にもなりますよ、なんて言ってみれば綻ぶ様に笑う先輩。
今、先輩を笑わせているのは自分なんだ、なんて少しに優越感に浸ってみる。
「でも、これからは指の怪我には気を付けてねー?」
調子を戻したのか、からかうように指先を絡ませてきた先輩、鼓動が一気に上がるのがありありとわかって、なんだか悔しい。
戯れに俺の指が先輩の口元まで運ばれて、爪先に唇が掠める。
「っ、先輩・・・!?」
「怪我しないよーに、おまじないだよー?」
「わか、りましたから!手をっ」
やめてくれと訴えてみても、意地悪に笑う先輩は手を離してくれず、そのまま掌を舌で舐めてくる。
ざらついた舌の感触が、妙に官能的で顔を逸らす。
結局、母さんが夕飯だと呼びに来るまで悪戯はやめてくれなかった。
汚いと罵り、手を洗ったけれど、まだ掌には先輩の舌の感触が消えずに残っていた。
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