「う…ん…朝……?」


見慣れない天井、慣れないお布団。ここは鳴狐さん達が暮らす本丸の中の一部屋。私は、主さんのお誘いもあってこの本丸で暮らすことになった。昨日は主さんにその話をしてもらって、鳴狐さんにお話を聞いてもらって、それから部屋に案内してもらった。使われていなかったようなその部屋を掃除していたら、あっという間に1日が終わってしまった。そして今日は、この本丸に住んでいる方々に挨拶をすることになっている。


「緊張、するなあ…」


なんて愚痴をこぼして、布団から出る。腕を天井に向けてぐっと伸ばし、気合いを入れる。そして小さな箪笥にしまわれた服を取り出す。


「…まさか制服を着ることになるなんて」


この本丸に来てから着ていたものは、鳴狐さんの血で汚れた私服と獅子王さん、鳴狐さんのそれぞれのジャージ。さすがに人前に出ることは出来ない…と思ったところで主さんが一言。"学生の正装といえば制服じゃないかな"と。でもどうやって持って来れば良いのかと聞けば、任せてくれと言われた。お任せして一晩眠れば、箪笥に制服。ますます不思議が深まるけれど、考えている時間はない。借りていた鳴狐さんのジャージを脱いで制服に腕を通す。鳴狐さんのジャージをたたんで、箪笥の中を見る。そこには汚れてる私服と、ショルダーバッグ。中を開けると鳴狐さんにもらった桜の栞と、いなり寿司が入ったお弁当箱。


「さすがに駄目になっちゃったよね…」


あとで生ごみを捨てられる場所を聞かないと。栞はまた、渡せる時に渡そう。ショルダーバッグは箪笥にしまって、自分の身なりを整える。膝が見えるくらいの普通の丈のスカートに、ブラウスにジャケット。普通のブレザーの制服。私からしてみれば何の変哲もない制服だけど、今日挨拶する皆さんはどう思うんだろう。何だかどんどん不安が募っていくように思う。一つ深呼吸をして気持ちを落ち着けると、外から聞こえる声。


「咲子」


鳴狐さんの声だ。私は鳴狐さんの声がする部屋の入り口の襖を開ける。そこには少し微笑む鳴狐さんと、主さん。


「おはようございます」

「おはよう。良く眠れたかな?」


主さんも微笑む。はい、と返事をするとそれじゃあ行こうというお返事。鳴狐さん、主さん、私の順で歩く。広いお屋敷の廊下を何度か曲がると、少し豪華な装飾のお部屋の入り口が見える。


「鳴狐は先に入って。雨宮さんは私が呼んだら、おいで」


こくりと頷く。それが鳴狐さんと揃ってしまったようで、主さんはくすりと笑う。鳴狐さんは襖を開けて部屋に入る。そして主さんと2人きりになる。


「最初は驚くと思うけど…皆、悪い子達ではないから」


主さんの優しい微笑みを見て、少しだけほっとした自分がいる。主さんはお部屋に入ったあとに、少し何かを話している。そして、襖が再び開く。主さんが差し出してくれた手を取り、その部屋に入る。そこにはたくさんの人、…正しくは、人の形をした刀剣の皆さんが座っていた。想像よりもたくさんの方がいて、驚いた。そして皆さんの服装は和服だったり、洋服だったり、どちらの要素も兼ね備えていたりと様々だった。じっとこちらを見る皆さんの視線に耐えて、主さんと一緒に中心に立つ。


「彼女が雨宮咲子さん。先ほど話した通り、この本丸で暮らすことになった」


そっか、主さんはさっき私の話をしていてくれたんだ。そしてその主さんの視線が私の方へ向く。きっと挨拶を促しているんだろう。私はあらためて皆さんに向き直る。何人か見たことのある方もいてほっとする。一番後ろの鳴狐さんとも目が合い、応援してくれるかのように頷いてくれる。


「雨宮咲子です。至らぬ点など多いと思いますが、これからよろしくお願いします」


腰を折ってお辞儀をする。顔を上げると主さんに、一番後ろに座るように促される。皆さんの横を通って後ろに行くけど、その間にもいくつかの視線がこちらに向けられていることがわかる。一番後ろの端に座っていた鳴狐さんの後ろに座る。それからは主さんが今日の当番などを話し始めた。


「第一部隊は獅子王、浦島、蛍丸、岩融、今剣。そして鳴狐の代わりに歌仙を入れた6名で出陣してもらう」


出陣…それって、鳴狐さんみたいに怪我をするほどのことをするのかな。初めに名前を呼ばれた獅子王さんは、ここに来てから案内してくれたり着替えを持って来てくれたり…とても良くしてくれたから少し不安になる。


「第二部隊には遠征に出てもらう。内番は当番表の通りにやること。さぼったら暫く外出禁止になるから気を付けて」


どうやら私が考え事をしている間に、遠征に行く人達の名前も呼ばれていたようだ。そして主さんは注意事項を述べると、優しく微笑む。


「今日も、よろしく頼むね」


それを合図に、刀剣の皆さんは立ち上がって自分のやるべきことを始めるようだ。鳴狐さんは立ち上がってこちらを振り向く。


「どうだった?」

「あの、皆さん…思ったよりも人数が多くて、驚きました」

「…少しずつ、覚えれば大丈夫」

「そうですか…?」

「今日は鳴狐はお休みですから、咲子殿と一緒にいられますよ!」

「よかった…1人じゃ心細くて…」


そっか、鳴狐さん今日はお休みなんだ。じゃあ鳴狐さんが色々教えてくれるのかな。それならすごく心強い。


「本丸、案内する」

「はいっ!お願いします」


私が控えめにお辞儀をすると、鳴狐さんを呼ぶ声が聞こえる。それは主さんの声だった。何やら鳴狐さんとお話があるようだ。


「終わったら行くから、部屋で待ってて」

「わかりました」


鳴狐さんは主さんと2人で、部屋を出て行ってしまう。よし、私も戻ろう。広間にはほとんど人がいなくて、より一層広く感じられた。先ほど入ってきた入り口から出て自分の部屋に続く…と思われる廊下を歩く。さっきは他の人たちと全然お話出来なかったな…今度は出来るかなあ。なんて考えていると誰かの手が私の肩を叩く。驚いて後ろを振り向くと獅子王さんが立っていた。その息は少し上がっているように感じる。


「獅子王さん…!どうしたんですか?」

「いや…悪い。出陣前に会っときたくて」


膝に手をついて息を整えたあとに態勢を戻してそう言う獅子王さん。会うって…私に?どうしてだろうと少し首を傾げていると頭に乗る優しい温もり。


「知らない奴ばっかで不安だと思うけど、頑張れよ」


その笑顔は朝陽を浴びて光る金色の髪より、眩しくて。私は自然と笑顔になっていた。獅子王さんは、私がここに来た日から何かと親切にしてくれている。


「ありがとうございます。何だか、元気が出てきました」

「おう」

「獅子王兄ちゃーん、早くしないと置いてっちゃうぞー!」


獅子王さんと話していると、廊下の先から獅子王さんを呼ぶ人。そこには5人の人が立っていて、恐らく先ほど第一部隊として名を呼ばれた人たちだとわかった。獅子王さんは、じゃあ行ってくると言ってそちらに走って行ってしまった。私はそう言った獅子王さんに何も返せなかった。なんだか獅子王さんを呼んでいた皆さんの目がこちらを見ているような気がしたから。私は獅子王さんを見送ったあと、少し早歩きで部屋に戻った。

自分の部屋として使って良いと言われた部屋。襖を閉めると息が漏れた。自然と肩の力が降りる。やっぱり見知らぬ人たちの中にいるのは少しだけ、苦しい。これから慣れていかないと。自分の頬を軽く叩いて気合いを入れ直す。すると足音が聞こえてきて、私の部屋の前で止まった。


「失礼致します」

「はい!」


鳴狐さんかな。そう思って咄嗟に返事をするけれど、よくよく考えてみると言葉遣いも声も違う。しかし私は返事をしてしまったわけで。襖が開かれるとそこには、綺麗な水色の髪をした王子様のような人が立っていた。思わず無言で見てしまう。


「雨宮さん、ですね」

「あ…はい、そうです」

「私、一期一振と申します。鳴狐殿の代わりに雨宮さんを案内する役目をさせていただきます」


一期一振と名乗ったその人は柔らかく微笑み、胸に手を当ててお辞儀をする。その仕草から声まで、何もかも王子様だ。私も慌てて頭を下げる。


「よろしくお願いします」


鳴狐さんの代わり…ってことは何か用事が出来たのかな。少し残念だけど、これからは鳴狐さん以外の方々とも関わっていかないといけない。


「では、参りましょうか」

「あの…1つ、お聞きしてもいいですか…?」

「はい」

「鳴狐さんは…お仕事、ですか?」


そう聞くと一期一振さんは驚いたような表情をしたあとに、優しく微笑む。


「鳴狐殿は主殿と相談事があるようです。終わり次第、こちらに来るとのことです」

「そうなんですね。じゃあ…一期一振さん、案内をお願い致します」

「かしこまりました」


そうして私と一期一振さんは歩き始めて部屋の外に出る。何度歩いても同じような造りで、いつか1人で行動出来るようになるだろうかと不安になる。一期一振さんの後ろを歩いている間、あんなに大勢いた刀剣の皆さんとは一度もすれ違わなかった。どれだけ広いんだろう、ここのお家。


「まずは裏庭の畑に参りましょう」

「畑…」


そう言えば、鳴狐さんが畑を耕したって言ってたような。皆さんで管理している畑だったんだ。


「今日は私の弟たちが畑当番をしております」

「弟さん、いらっしゃるんですね」

「はい。鳴狐殿も私の叔父上にあたります」

「え…そうなんですか?」


一期一振さんと鳴狐さん。見た目は似てないけど…服装は少し似ているような気もする。一期一振さんの弟さんも、王子様のような子なのかな。気づくと一期一振さんと目が合う。鳴狐さんと比べているうちにじっと見つめてしまっていたようだ。慌てて下を向いて謝る。


「私の顔に何か付いていますか?」

「あ…いえ、すみません。鳴狐さんとどこが似てるかなと考えていたらつい…」

「叔父上や弟と言っても、あまり似てはおりませんね」


一期一振さんは穏やかに笑う。こんな人がお兄さんだったら幸せだろうなあ。鳴狐さんとお話する一期一振さんも見てみたい。なんて、そんなことを考えていると畑が見えてくる。そして畑にしゃがみこむ小さい影。


「乱、厚。ちゃんと仕事はしているかな?」


一期一振さんが優しく声をかけると、勢いよくこちらを向くその子たち。綺麗な桃色の髪を持つ可愛らしい子と、艶のある短い黒髪を持つ元気そうな男の子。この子たちが一期一振さんの弟さん。


「いちにい!」

「いちにいだ!」


嬉しそうな表情でこちらに走ってくる2人。その様子を見ただけで、一期一振さんはとても良いお兄さんなんだと感じる。走って来た子たちを受け止めて頭を撫でる姿は、羨ましいほどに素敵な兄弟だった。


「2人とも、こちらの雨宮さんにご挨拶しなさい」


頭を撫でられていた2人はこちらを向く。そして黒髪の男の子の方から挨拶をしてくれる。


「俺は厚藤四郎!よろしくな」

「乱藤四郎だよ」

「雨宮咲子です。こちらこそよろしくお願いします」


小さくお辞儀をして顔を上げるとにっこりと笑顔の2人。一期一振さんに会えて本当に嬉しそうだった。


「いちにい、今日はお仕事ないの?」

「当番の仕事はないけど、主殿から大事な任務を言い渡されているんだ」

「えー!何々ー?」


2人は興味津々に一期一振さんの方を見ている。もしかしなくても、任務って私を案内すること…だよね。一期一振さんに予定があると知った2人は少し残念そうだった。普段は忙しい人なのかな。そんな2人に頑張るんだよと告げた一期一振さんに続いて畑を後にする。


「あの…」

「はい、どうかされましたか?」

「弟さんたちに、申し訳ないと思って…。一期一振さんのお時間を私が取ってしまったから…」

「雨宮さん、お気になさらないでください。雨宮さんを案内するのは大事なお役目ですから」


一期一振さんの言葉にほっとする。けれど、どこか違和感を覚えたような気がする。それから馬小屋、訓練場のようなところ、お風呂、何人かで集まることの出来る中部屋、道具や日用品が置いてある倉庫などを案内してもらった。馬小屋では私よりも身だしなみに気を使っていそうな加州さんと、穏やかそうな顔とは別にはっきりと物を言う大和守さんと出会った。訓練場では一度会ったことのある鶴丸さんと、三日月さんがいたけれど稽古の途中だったので挨拶はせずに来てしまった。大体本丸の中を案内してもらったところで、自分の部屋の近くに到着する。時間をかけて回ったけれど、鳴狐さんが合流することはなかった。


「今日の案内はここまでに致しましょう。広いので覚えるのも大変でしょうから」

「はい、ありがとうございました」

「何かわからないことがあれば、何でも言ってくださいね」

「それじゃあ…台所のような所に行きたいのですが…」


そう言うと一期一振さんは少し驚いたような表情をする。その後に、場所を教えてくれた。そんなに複雑じゃないので何とか辿り着けそうだ。


「ご一緒しましょうか?」

「いえ、大丈夫です。今日はありがとうございました」


一期一振さんが去るのを見届けてから、私は自分の部屋に戻る。今朝箪笥に入れたショルダーバッグを取り出して、肩にかける。まずはここに入っているいなり寿司を処分しよう。台所になら捨てられる場所があるはず。私は部屋を出て教えてもらった通りに歩く。でも少し疑問に思う。生活に必要な台所。一期一振さんはどうして案内しなかったのかな、なんて。

一期一振さんに教えてもらった通りに歩くと、ほのかに良い香りがする。角を曲がると台所だ。今はお昼ご飯を作っているのかな。ぎゅっと手を握りしめて台所にいる人に声をかける。


「すみません」


そう言うと、声が届いたのか中にいた2人の人がこちらを振り返る。1人は眼帯をした全身黒色の男の人、もう1人は眼鏡をかけて白衣を着ている男の子。


「君は…朝挨拶をしていた子だね」

「はい。お邪魔してすみません。今日からお世話になる雨宮咲子です。生ごみを捨てたいんですけど…」

「ああ、それならこっちで捨てとくぜ」


料理をする手を止めずに、お2人はこちらに顔を向けてくれる。ごみを捨ててくれると言ったのは白衣の男の子。お言葉に甘えて、タッパーごと渡す。ありがとうございますと言うと気にすんなと言ってくれた。


「お邪魔しました」

「気をつけて帰るんだよ」


お辞儀をして台所を出た。あんなにたくさんの皆さんの分のご飯を作るから大変なんだろう。すごく忙しそうだった。私は少し早歩きで自分の部屋に戻る。部屋は静かで、自分の出す音しか聞こえない。ショルダーバッグを下ろして文机の前に座る。今日1日を思い出すと、皆さんは自分の仕事をしっかりこなしているように思えた。それに比べて私は、まだ1日しか経っていないけれど何もわからなくて。畑の水やりを手伝うことも、馬小屋の掃除を手伝うことも、ご飯の用意を手伝うことも出来たはずだけど、一歩踏み出せなかった。そんな自分が少し情けなくなった。これからどうしようか考えていると、部屋に近づく足音が聞こえる。


「咲子」


優しく私の名前を呼ぶ声。それは鳴狐さんの声だ。私は立ち上がって襖に近寄り、開ける。


「鳴狐さん…」

「案内出来なくて、ごめん」


鳴狐さんの顔を見たらすごく安心した。今日1日で初めて会う人がいっぱいいて、その中で鳴狐さんはやっぱり特別なんだってわかった。


「鳴狐さん…?」


鳴狐さんは私の頭にそっと手を乗せて髪を撫でる。その手が優しくて。


「…少し、元気ない」

「私…ですか?」

「うん」


顔には出してないつもりだったけれど、鳴狐さんにはわかってしまうらしい。でもこうして気づいてもらえることは、すごく幸せで。ずっとこのままでいたいなんて、我儘なことを考えて。


「鳴狐さん、私頑張ります」


もっと皆さんに信用してもらえるように。役目ではなく、心からそうしたいと思ってもらえるように。まずは私から一歩踏み出してみよう。







(今はまだ何も出来なくても)
(貴方のそばにいられるのなら)

















あとがき

更新が滞ってお待たせしてしまいました。申し訳ないです。そしてまとまりもなくて、すみません。今回は欲張ってキャラクターを出しすぎたなと反省しています。番外編や本編の他のお話の中で更に咲子ちゃんとお話しさせたいと思っています。

後半の色々見て回るところはさかさか書いてしまったので矛盾点や誤字があるかもしれません…。気づいたら直します。

2016年01月23日 羽月