試合して俺が勝ったらテニス部に入部しぃや。
自分が勝ったら好きにしたらええ。
昔から自信家な所は変わらないんだね、白石くんは。なんて悪態をつけば君付けをやめろと言った彼。

「無駄多いでぇ!」

『っ、はぁっ!』

もうゲームは終盤だったが、面白いくらい体が動く。

「なぁ、紗弥香!テニス、楽しいやろ!」
『めっちゃ、楽しい!』
楽しくて楽しくて疲れているはずの体が簡単に、とまではいかないがスムーズに動く。
ボールが返ってくる。左のテニスは誰も傷付けない、優しくて戦略的なテニス。
左ってなんて優しいんだろう…左ってなんて楽しいんだろう。

今まで一回もテニスで白石…君付けは駄目なんだっけ…白石にテニスでは一回も勝てなかった。
「ゲームセット!ウォンバイ白石!」


「はぁっ、はっ…なかなかやるな…」


『はっ、はぁ…っ、しら、いしっ!』


「なに?」


互いの息が少し落ち着くのを待ってから口を開いた。


『私、絶対絶対、いつか白石を越えてやるから!追い抜いてやるから…!!覚悟しぃや!』
「そら、楽しみやな…待ってるでぇ紗弥香!!早よ追いついて来ぃ!」
『そう言ってもらえると頑張れるわ・・・』
「俺から一つお願いがあるんやけど・・・ええ?」
『何?』
「もう、右でなんかするんはやめぇ。」
『うん・・・そうするわ・・・』
「約束やからな!」
『おん!男と漢の約束や!』


ゲームには負けてしまったが、私のもやもやとした煩わしい気持ちは何処かへ行ってしまったようだった。
そして私は、白石に試合前に交わした約束を再度言われる前に入部届を提出し晴れてテニス部員となれたのだ。
光に良かったな、と頭を撫でられた時私は過去の自分がつくづく馬鹿みたいに感じた。こんなにスッキリしてしまうなら最初からテニスを選べば良かったのに。

女子テニス部で一年生だった私だがレギュラーに入れてもらえた。
顧問の評価は割と高いようで褒めてもらう度に恥ずかしさがこみ上げる。
そりゃあ、聖書と言われている男にテニスを、しかも左を一から教えてもらえれば聖書に近いものにはなる。

白石蔵ノ介のテニスが教科書通りの完璧な聖書のようなテニスならば、蓮見紗弥香のテニスはその教えを解き、神を讃える賛美歌のような完璧を求める人間らしいテニスといった所だ。

そして四天宝寺中テニス部は男女共に全国大会へと進んだ。
そして準々決勝で男子団体は立海大付属中にストレートで負け、部長である白石は酷く落ち込み聖書と呼ばれる自分のプレイスタイルに更に磨きをかけた。
女子団体は準決勝で敗れ、先輩方は引退してしまった。
白石の落ち込みは本当に酷く、練習も止めさせたいほど痛ましかった。彼の練習をいつも陰ながら見つめていた。
白石は悪くないのに…
そう思えば思うほどフェンスを握る手に力が籠もる。

「エライ練習しとるなぁ、白石は」
『……いいよね、亞騎はヘラヘラ女の子と遊んでられてさ。』

白石の練習を見守っていると後ろから亞騎が口を開いた。あんまりにも他人ごとの様に扱う亞騎に嫌気が差してついつい尖った言葉を投げ掛けてしまう。
そんな言葉をどう受けたのか自嘲気味にははっと笑った亞騎の声が聞こえる。

「もう遅いで?早よ帰らな心配してしまうさかい、一緒に帰ろや?」

亞騎と帰るのはいつぶりだろうか。
小学校中学年になってからは一緒に帰ることが恥ずかしかったし、それぞれ友達と帰っていたから何年も一緒に帰っていない。
帰り道、亞騎は久しぶりやーって言いながらもきちんと私の歩幅に合わせてくれる。
そういう女慣れした態度がいちいち癇に触る。なんなんだよ…


『亞騎はさ、全国大会…準決勝で敗退してなんとも思わんの?シングルス2だったやろ?』
「そりゃあ…めっちゃ悔しいに決まっとるやん。」
『白石みたいに練習せぇへんの…?』
「さぁ…したほうがええ?」

それ以上私は何も喋らなかった。俺には関係ない。そんな口調に苛々して私は俯いたまま亞騎から歩幅をズラし、丁度亞騎の右斜め後ろを歩くようにしてワザと亞騎の視界から消えてみせた。


あれ……亞騎…右手…?


長袖をギリギリまで引っ張り右腕に不器用に巻かれた包帯を隠している。
なんで包帯なんか……
白石の真似?

スッとさり気なく隠すように左肩に下げたテニスバックに右手を掛けて私の視界から亞騎の包帯が消えた。

お互いに何も喋らないまま家に着き、その日はそれから何も喋らず、干渉せず終わった。
次の日学校に早く行き朝練をするでもなく、ある人物が来るのを待った。


『おはよ』
「おはようさん、エライ早いな?」
『ちょっと…ええ?』
「ええけどどないしたん、そない難しい顔して」

私は光を屋上に連れ出した。
聞くのは他でもない、テニス部の様子について。


「最近部長は元気無いなぁ、やっぱりストレート負けキツかったんちゃう?三年生達はもう引退やし、悔い無いみたいやけど…」
『他におかしいことは?』
「あー…亞騎さんもちょお変やな。なんや女と全然遊んどらんし、自主トレばっかりでみんなと練習せぇへんねん。いっつも部活にちょい顔出したらすぐどっか行きよる。」
『自主トレ…何で光は自主トレしてるって分かったの?』

「……しゃーないわ、口止めされとったけどこれ俺の耳やしええよな…」

ス…と私の髪を耳にかけて耳を露出させた光は遠くを見つめてぽつりぽつりと話し始めた
「俺、亞騎さんが一番苦しいんとちゃうかって思うわ」

『亞騎が…?』

「やって亞騎さんシングルス2やで?最後の最後に期待とかそういうもん全部押し付けられて、辛いやん…」

ちゅんちゅんと鳴きながら飛ぶ雀の男1つ1つが鮮明に耳に入ってくる。

「三年生の中にはウチ(四天宝寺)が負けたんは蓮見がシングルス2で粘らんかったせいやて、シングルス3とダブルス2については責めへんし…」

「自分らが粘ってやらんかったから負けたとは思てへんし」

『そんな事あったん…』

「ほんで、それからみんなと練習せぇへんからおかしい思て亞騎さんのあとつけてん。したら亞騎さん、1人でめっちゃ練習しとって。」
亞騎が…練習……?みんなと練習しないで1人で練習してるん?
私はその時亞騎と白石は違わない、一緒だったんだと気付いた。
ただ亞騎はみんなにそういう面を見せたくなくて一人だった。白石はちゃんと悩んでて亞騎は悩んでないわけじゃない。亞騎だって悩んでた。何を勝手に私は…最低だ……
「しばらくその練習眺めてたんやけどなんか様子おかしくてな、亞騎さん右手庇うみたいにしとるんや。おかしいやろ?亞騎さん右利きなんに右庇ってんねんで?どないしたんやろ思っとったら掌からめっちゃ血出てて思わず駆け寄ったわ」

『血…?それって、』

「手の皮ズル剥けて血ィだらだらやった。」

『…………』

「駆け寄った時亞騎さんの第一声がカッコ悪い。やったわ。後輩に練習してるとこ見られた上に怪我までして心配されてカッコ悪いわぁ、て言うとった。俺は迷わず保健室連れてこうとしたんやけどなかなか動かへんねんあいつ。まぁ無理やり引きずったったんやけど。保健室の先生居らんくて俺が手当てした時亞騎さんに口止めされた。誰にも言うなよ、俺とお前の秘密にしたって。って。」


せやけどこの耳俺のやし、ええよな…?
光がまた嬉しそうに私の耳を撫でた。

その日私は亞騎の事で頭がいっぱいだった。
ひどい事言ったよな……
亞騎ごめん・・・






『亞騎』
「なんや、紗弥香やんか、どないしたん?」

私は放課後亞騎の教室に行った。
一緒に帰らないか、と言うだけなのだがなかなか言い出せずにいる。


『今日・・・その、一緒に・・・』
「あ、せや紗弥香。今日一緒に帰らへん?」
『あ、・・・うん・・・』
「で、用事って何?」
『・・・今はいいや・・・早く帰ろや。』
「おん、ちょお待っててな」
『こ、校門で待ってる!』

バタバタと走って行った紗弥香を見送ってから白石が立つコートを見て溜息を吐いた。
右腕、怪我してもうたから暫らくはラケット握れんなぁ・・・
白石も辛いやんな・・・
ごめんな白石・・・俺んせいで・・・







帰り道、家に帰ろうとしないで公園に寄った。
亞騎に謝りたかったからブランコを漕ぐ亞騎に謝ったら物凄い吃驚した顔をされた。


「え、なんなん・・・なんで紗弥香が謝るん・・・?」
『私亞騎は嫌いだけど、ちょっと考えが足りなかったっていうか、その・・・亞騎も辛かってんのに・・・』
「なにが?何の話なん?紗弥香どうしたん?」
『光から聞いた。先輩達が責任を亞騎に押し付けて悪口いってるとか、練習しすぎてその手、怪我したとか、たくさん、頑張ってるの・・・知らなかった・・・』
気付いた時には視界が歪んで目から熱い雫がボロボロと零れてしまっていた。
「ちょ・・・泣くなや・・・」
『っく、だって・・・』
「確かに事実やし、この右手も、治るまでラケット握れへん。せやけど、練習してるん隠してたんは俺が勝手にしたことや。この怪我も。練習してるん隠し通さへんかったら皆もすぐ認めてくれてたはずやし。」
『なんで隠したりしたの・・・?』

やって、カッコ悪いやろ?
そう言って笑った亞騎は今までで一番お兄ちゃんらしく見えた。
なんだかカッコよくて、切なくて、心の奥がぎゅうってなって、また涙が止まらなくなった。
もう、だから嫌いなんだ。亞騎なんか。バカ、バカ、馬鹿・・・





「あら、仲良いやん。いつぶりやろかー・・・ちっちゃい頃はよく一緒にお昼寝とかしてたんやけどねー最近は口利いてるんもあんま見ぃひんかったから。ね、あんた」
「ほんまや・・・仲よぉソファーで寝とるわー。亞騎が紗弥香ん事守ってるみたいやなー。」
「せやね、ほんま気持ち良さそうに寝とるわー。毛布かけとこか?」
「今日なんかあったんかな?」
「どやろ?(ん?紗弥香目赤いわ・・・泣いたんかな)」




その後家に帰ってご飯食べてお風呂入って亞騎と二人してソファーで寝てしまった。
朝起きたら毛布がちゃんと掛けてあって、私を抱きしめるようにして亞騎が寝ていたから起こさないようにしてこっそり家をでて、学校に行った。
朝一で光を捕まえてお礼を言った。
光はピンときてないみたいだったけれど、今はそれでもいいのだ。

何週間か経って亞騎の手も完治してテニス部にはまた活気が溢れてきていた。
文化祭も無事終了し、一歩一歩冬へと近づき三年生は本格的に受験モードに突入した。
レギュラーだった先輩方はたまに部活に顔を出したりしてくれていてそれなりに楽しかったのだが、受験ノイローゼというやつになってしまった先輩が一年でエースの私をいじめ始めた。
私は特に気にも止めない様に振舞っていたが先輩はある日ブチ切れてしまい、どこから聞いたのか私の右のテニスをネタに脅してきたのだった。

「あんたの右のテニス、えっらいあぶないんやろ?」
『先輩、落ち着いてください・・・』
「うっさいわ!!後輩の癖に何先輩に指図してんねん!!!」

バシッ!!

『っ痛・・・!』

先輩にぶたれた頬がジリジリと熱くなる。

「偉そうな口利くからや・・・自分の右のテニスでウチと試合せぇや。」
『それはできません・・・』
「はぁ?何アンタ、逆らう気なん?テニスしろ言うてるやろ?」

『すんません。それだけは無理です。』

どすっ!!

『あ゛・・・っ!?』

先輩の拳が私の鳩尾にクリーンヒットし息が出来なくなった。

「痛い・・・?なぁ、痛い?」

『かはっ・・・』

「苦しいやろ?せやけどなぁ、ウチかて苦しいんやで?」


先輩は何が苦しいのだろうか、分からない。私のせい?先輩はただただ辛い顔をしている。
そういえば、前にも増して腕の傷が増えているような気がする。
先輩の彼氏は男子テニス部の先輩だった気がした。仲がいい事で有名なカップルで先輩の彼氏は白石とか謙也くんとかユウジ先輩とかの先輩にあたる人で、とにかく後輩の面倒見がいい優しい先輩でそれ故後輩からの信頼も厚い。
そして今私の目の前に居る先輩は気が利いて優しくて嘘なんか吐いたことの無い、先生からの信頼も厚い私の憧れでもあった先輩だった。
先輩は何が苦しいんだろう。


後から分かった事なのだがあれは自傷の傷跡だったのだ。
痣は多分親からの虐待。

彼氏に心配をかけたくなくて話していなかったようだった。だから彼氏に見つかったときに私にやられたと言ってしまったらしい。その後から私は謙也くんやユウジ先輩や銀先輩、皆に誤解をされていた。亞騎はまた他人事のように知らん振り。
光は私を信じていてくれたけど。

そして今右でテニスをしろと言われている最中。
きっと先輩は事実が欲しいのだ。私が右でテニスをしたという、事実が。
そんなの、出来るわけが無い。だって私は白石と約束をしたんだ。


『私はもう、右でテニスは出来ま、せん・・・』

「蓮見はウチの事助けてくれんの・・・?皆、みんな、助けてくれんのや・・・ウチなんで生きとるんやろ・・・」

『先輩・・・?』

「蓮見がテニスしてくれへんのやったらウチもう・・・」

『止めてください!!!!』


先輩は右手に握ったカッターを振り下ろした。
私はやめてと叫びながら先輩に突っ込んだ。カシャン―と音がしてカッターは草むらへ消えた。

「なんで止めたん?止めたっちゅーことは、テニスしてくれるん?」

『・・・はい、しますから・・・せやから、そんな事もうせんといて下さい・・・』



そうして私は泣きながら先輩と右のテニスをした。
次の日案の定私は先輩の彼氏に殴られた。

痛い。痛い。殴られた頬よりも心が痛かった。
キリキリとピアノ線で心臓を縛り付けているような感覚に陥る。

怒鳴られても全然聞こえへん。
ただ痛くて辛くて悲しかった。先輩はこれ以上に苦しかったのだろうか。私は先輩を救う事が出来たのだろうか?

その日を境に私は学校へ行かなくなった。光は心配してメールや電話をくれたり家に訪ねてきてくれたりしてくれたけど、光にすら合わす顔が無かった。
白石は完璧に誤解をしているようで最後に聞いた彼からの言葉は「嘘吐き」やった。聞いた瞬間、どん底に落とされたような感覚に陥ってただただ涙が零れた。

もう、どうしたらええん?もう四天宝寺には行けない。そう思っていた時丁度父さんの転勤の話が来た。
そして私の状態を見ていた母さんが丁度ええってみんなで今の青森に来たのだ。四天宝寺にはなんの報告も無しにいきなり転校した。亞騎は友達に言って行ったかもしれないが・・・

青森はなんだか大阪と違ってあまり活気はなく、なんというか・・・大阪に比べればそりゃもちろん田舎なのだが、田舎という文字がしっくりくるような静かさがそこにはあった。

青森に来た事を機に大阪弁をやめ、標準語に一生懸命戻した。
もう四天宝寺も白石もテニスももう思い出したくなかった。
気持ちも大分落ち着いた時に母さんが覇渋中に編入の話をつけてきてくれたようで中学二年の春から私はやり直すことにした。そして亞騎はその頃まだ弱小だったテニス部の部長になり、部員にテニスを一から叩き込んで覇渋を全国大会へ出場させるほどまでの強豪校と成長させ、亞騎自身は覇渋の中心核へとなったのだ。
私はテニスなんてする気は無かった。
ある少女と出会うまでは。




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