あれは私が小学生の時の事。
その時なんの部活にも所属していなかった私は友人に誘われてバドミントン部に入部した。
部活はそれなりに楽しかった。
楽しかった・・・けど・・・
パァァン!!
「っ痛っ!!」
『あ!!!ごめん!!』
「ええよ、仕方ないし・・・もういっかいやろか!」
『う、ん・・・ごめん・・・』
私の打ったシャトルは、相手に当たってしまうんだ。
バドミントンは好きだ。好きだけど・・・
「あ、ごめん・・・私今日は亜由美ちゃんと打ち合いするから・・・今日はでけへん・・・」
『あ、うん・・・ええよ、別に・・・』
今日は、やのうてこれからは、やろ・・・
別に狙ってるわけじゃない。打つと当たってしまうんだ。
友達もどんどん私から離れていった。先輩も相手にしてくれない。
それからは私はバドミントン部に通わなくなった。
亞騎はテニス部に入部していて仲のいい白石君と一緒に楽しくテニスをしているみたい。
白石君のお家は近所だったからよく遊んでくれて仲も良かった。
テニス、楽しいのかな・・・
放課後の教室で、窓の外をボーっと見ていると横から声をかけられた。
「部活行かへんの?」
『白石君・・・』
「最近行ってないって聞いてんけど・・・」
『・・・・・べつに・・・』
誰から聞いたんだよ・・・まさか亞騎・・・・・・
「ふーん、人間関係か?」
『べつに・・・っちゅうか、白石くんには関係ないやん。』
別に、としかいいようがないから仕方ない。
「バドミントン楽しい?」
『・・・・わかん、ない・・・』
そんな核心をつかれたら・・・・隠しきれない・・・
「んー、せやなぁ・・・この後時間あるか?」
『なんで?』
「ちょお付き合えや」
なにここ、
『テニス、コート・・・?』
「せや!な、これから俺とテニスしようや!」
『無理』
「はやっ!!ええからええから、ほらラケット」
『ちょ・・・!!』
無理矢理に持たされたラケットはバドミントンのラケットより遥かに重い。
そのラケットを振り、ボールを打ち返す。
『んなっ!?』
打ちづらいにも程がある・・・きっとバドミントンのフォームだからだろうな・・・
「せやったせやった!打ち方はな、こうやんねん。こう!」
『あたしテニスなんかしたない・・・』
「ほんならなんでバドミントンしに行かへんのや?」
『・・・間違うた。こういうラケット持つ競技、もうええねん。』
「そういうんは、ちゃんとテニスしてみてから言いや?」
なんでそんな事言われなあかんの?
『白石君・・・怪我しても知らんから・・・』
『ただいま、』
「あー、おかえり。って!どないしたんその傷!」
『別に。』
「別にて………」
いつも見て見ぬ振りの亞騎が今日はよく私に話しかける。
そう、朝からなのだ。普段どうでもよくて話さないような内容でも話しかけてきていた。
たぶん、白石に私がバドミントン部に行ってないとか勝手に喋ったからこうも落ち着かないのだろう。
そういうとこ、本当ウザい。
階段をかけ上がり自分の部屋の鍵を閉めた。
改めて見ると体や顔のあちこちに傷が出来ている。
こんな傷は放っておこう。
階段下から母さんに呼ばれ夕飯を何気なく食べた。
すぐにお風呂に入って出てきたところを母さんに捕まり無理やり傷の手当てをされたから明日はガーゼやら絆創膏やらでクラスメートに笑われる事は決定事項となってしまったようだ。
またヤンチャしてきたんでしょ、とか女の子なんだからもっと大人しい遊びをしなさいとか言われた。
男の子だから、とか女の子だからっていうのは差別に値するんじゃないだろうか・・・
「お母さん明日も早いから寝るで?ちゃんと寝る前に全部電気消してな?テレビは主電源切らな意味無いからな?ほなおやすみ」
『うん、おやすみ』
母さんが寝室に行った後部屋にはワハハ、とテレビのスピーカーから流れる下品な笑い声と下らないトークでリビングの空気が震えた。
プツンとテレビの主電源を落として絆創膏の貼られた腕を見つめる。
こんなに傷がついた理由は白石くんが私に球技をやらせたからだ。
私の打ったボールは彼に当たる。したがって彼の腕や足、顔は擦過傷で大変なことになった。
だからやりたくないって言ったんだ……私に球技は向いていない。人を傷つける事しか出来ないのだ。
擦過傷まみれになった白石くんはよっしゃ!といきなり叫んで嬉しそうに顔を歪めた。白石くんは俗に言う"えむ"なのだろうか。
そう思いながら打った緩いサーブを白石くんは打ち返した。しばらくラリーが続いて分かったことがある。何故か白石くんにボールが当たらない。
全て打ち返されているのだ。
あれ、なんでいきなり、私のボールが、当たらなくなった、の?
『…っ白石くん!』
「なんや」
『なんで…』
この"なんで"は色々な"なんで"が混じっていて自分でもよく分からない。
"なんで"白石くんに当たらないの
"なんで"打ち返せるの
"なんで"そんなに必死になるの
"なんで"そんなに楽しそうなの
"なんで"私にテニスを教えたの
"なんで"そんなに傷だらけになっても続けようとするの
"なんで""なんで""なんで"
「紗弥香、自分右利きなん?」
『だから右使ってるやん…』
「左にしぃ。」
『はぁ?』
「右の癖で打つとき手首こねてるんや。反射的に人が居る方にな。やからボールやシャトルが相手に当たんねん。でも多分、その攻撃的なプレイがバドミントン部の顧問の目について、試合で使われたりするねんやろ?」
そういえば私は試合でシングルスでしか出されたことがない。
試合の時は友達も"いつもの調子でね"って笑ってた。
要するに私は、
『利用、されてた………?』
「今から左のフォーム教えたるわ!」
右手のプレイスタイルは超攻撃型プレイスタイル。
これは癖で、変えられない。だから左なら、そう思って一生懸命白石くんに左のフォームを習った。
勿論バドミントンじゃなくテニス。
結局お互いに擦過傷まみれでその日の練習は終わった。
冷たいフローリングの廊下を裸足で歩く。
ぺた、と小さくなる足音に体が敏感に反応する。
バドミントンよりもテニスの方が体力を使う。
よっぽど疲れていたのかベットに潜り込んだところから記憶がない。
次の日、学校に行くと案の定バドミントン部の友達に心配された。
そんな薄い同情なんてかけられてもなんとも思わない。
どうせその言葉の奥には鋭く尖った感情がかくれているんだろう。
昨日テニスをやってすごく楽しかった。
テニスをすれば白石くんが打ち返してくれる。
ボールが返ってくるんだ、その喜びを知って今はバドミントンよりテニスに心を惹かれていた。
亞騎は相変わらず女子に人気で遊んでばっかりだ…亞騎なんかキライ。
その割には白石くんと変らないくらいテニスが上手かったりするのだから余計に私は苛々するわけで。
その後私はバドミントン部を退部してテニス部に入部した。
入部してからというもの、左でプレイして先輩や同輩にも褒められた。
私がバドミントン部にいたころはテニス部にも私の悪い噂が届いていたらしく、そんな危ない人が入部したという事でみんな一線を引いていたけれど私の左のプレイを見た途端に友好的になった。
そして六年生が卒業してから暫く経って私はテニス部のエースになっていた。もう誰も私の過去のプレイについて触れることなく居心地のいい所になっていたのに…
「蓮見、またバドミントンやらへん?」
『先生…』
私を試合で勝利するためだけにレギュラーに入れたバドミントン部顧問の先生だった。
もうバドミントンなんてしない、そう思っていた。
「そないにテニスが楽しいんか?」
『はい』
「自分が居なくなってから一回戦も突破出来へんねん、バドミントンやらへん?」
『すんません、お断りします。私は今テニスが楽しいんです。もう誰も傷つけへん、それにテニスってめっちゃ楽しいんや。先生には悪いけど、バドミントン部には戻りません。』
「…ほなら、バドミントン部のエースと試合せぇへんか…?勿論テニスでええよ……」
『なんのつもりですか』
「自分が右のテニスで勝てたらもうこの話しはせん。せやけどもし負けたら……テニス辞めてもらうで。」
『先生…』
なんやそれ、卑怯や。右でテニスなんかしたら負けても勝ってもテニス部には居れへんやんか。
でも受けなかったらきっと毎日のようにバドミントン勧誘されるのだ。
結局受ける以外の選択肢を見いだせなくて挑戦を受けた。
試合の結果、私は勝った。相手を傷だらけにして。
その噂は全校に知れ渡り、私はテニスを辞めた。続けられる程太い神経は持ち合わせていないのだ
中学に上がり、白石くんや亞騎にテニス部に来い!と言われた。
行けるわけ無いやん……ちゅうか亞騎は私が小6の時何があったか知っとるやん、なんで無かったことにするん……こんな時だけ保護者みたいに白石くんとかに接するんはおかしい。
同じクラスの女子は、何部に入るか決めた?とかあの先輩かっこええとか、そういう会話ばっかりやった。
教室で本を読んでいたとき隣の席に座っていた男子に声をかけられた。
よう見るとピアスを5つも開けて頭はツンツンに逆立ててなんていうか、地味に派手。
あんまり私とは合わなそうだな、と思ってたくさんピアスのしてある彼の耳に目をやった。
あ、意外と綺麗な形・・・心拍数が少し上がった。
「なぁ、紗弥香って小学校白石部長と一緒やったんやろ?」
『(白石くんテニス部の部長なんだ…二年から大変だな…)そうだけど…』
「ふーん、テニスせぇへんのん?」
『もうやめた』
「バドミントンの顧問のせいで?」
『……なんで知っとるん…』
「俺も小学校のころテニスしとって。他校の情報には敏感になるもんやろ?」
『……』
そっかぁー、もうテニスせぇへんのんかー…残念やわ…そう呟いてわざとらしく俯いた。っていうか……
『自分の事知らへんのやけど誰?』
財前光、そう彼が名乗った時チャイムが鳴って授業が始まった。
その日から私と光は仲良くなりよく遊ぶようになった。
『光さぁ、耳痛くないの?そんなに穴あけて』
「別に?紗弥香はあけへんの?」
『んー?やって怖いし』
「俺、紗弥香の耳好きや。めっちゃ形よくて綺麗。そこにピアスあけたら絶対もっと良くなるんに……」
『・・・・光があけてくれるならええよ』
「え」
『痛くしないんならええ』
「ほんま、に?」
『おん』
ガション
「夢みたいや…」
『(結構血出るもんなんやな)』
「今日から紗弥香の耳は俺のやから」
『じゃあ光のは私のやで?』
「ええよ」
その日から鏡で自分を見る度に黒々とした艶のある髪から覗くピアスを見る度にふと笑みがこぼれた。
光の耳は私のや、そう思い出すとフフ、と声を出して笑ってしまう。
そしてある日光にテニス部見に来ぉへん?と誘われて見るだけなら・・・と私はテニスコートの外、フェンスに手をかけてコートを見つめている。
テニスはきっとまだ好きなんだ。
テニスが出来ない事も辛くて胸が痛いが、なによりその大好きなテニスで人を傷つけたというのが一番苦しい。
小学校の頃あった事をもう一度鮮明に思い出してフェンスを握った。
フェンスを握る手が血の気を引いて白っぽくなっていて、感覚さえ無くなり始めている。
「そんなに握ったらおかしくなってまうで」
『白石くん・・・』
私の手に自らの手を重ねてきたのは白石くんだった。
重ねられた事に吃驚してフェンスから咄嗟に手を離す。
「もうテニスせぇへんの?」
『もう、やめたんや・・・』
「は?」
ありえない、と小さく呟いた彼の目は悲しみに満ちていた。
『ごめん、せやからもうテニスは・・・』
「あかん!」
聞きたくないと言わんばかりに遮った彼の言葉は私の心を突いた。
なにがあかんの?これは私の中でのケジメなんやから邪魔せんといて・・・
「あかん、あかん。頼むからそうなってもうた理由教えてくれへんか・・・?」
『・・・ええよ』
白石くんには色々とお世話になったし白石くんにも知る権利くらいはあるやろな、そう思てワケを話すことにした。
てっきり亞騎からは聞いているものだとばかり思っていたのに、意外だ。
本当は知っているのかもしれないけど、きっとこれは彼なりの優しさなのだろう。
ここじゃまずいから、と屋上まで連れてこられた。
屋上の空気は澄んでいて心地が良かった。
小学校の頃のことを全て話すとそれを静かに聴いていたはずの白石くんは憤慨していた。
アイツほんま最低やな!と彼からはあまり発せられた事の無い単語が次々と出てきたりする。
本当に亞騎からは何も聞いていなかったようだ・・・
他校にまで広まっていたというのにどうして白石くんの耳には届いていなかったのだろうか。
なんだか違和感を感じる。
テニスプレイヤーならなおさらテニスの事で何かしらは耳に入るはずなのに・・・
なんで白石くんは・・・?
「紗弥香、」
『うん?』
「俺と試合してくれや」
『は・・・!?』