ある日のこと。いつも通り本を読んでいたサンジが、「あの、さ!」と大きくレイドに声をかけた。レイドが驚き、そしてサンジ本人もそんな大きな声を出すつもりじゃなかったのか、ばっと口に手をやっていた。
「どうかなさいましたか?」
「あ、あの……あ……」
いつもらしからぬ態度に、隣に座っていたレイドが立ち上がりサンジの前に回った。しゃがんで少し目線をサンジより低くし、再度「なにか御用でしょうか」と笑いかける。え、えっと……と確実にあるであろう用件をなかなか言い出せないサンジ。それを急かさず笑ったまま待っていると、ようやく決心がついたのか、「あ、あのね」と少し声を落とした。
「りょ、料理がしたいんだ」
「料理、ですか……」
「あ、あの。別にずっとやるわけじゃなくて、一回調理場でやりたい、だけ、だから……その……」
どんどん尻すぼみになっていくサンジに大丈夫ですよと笑ってやりたいところだが、今回は別だ。本が読みたい、運動がしたい、なんだって叶えられるが、料理という使用人がやる行為に関してはすんなり頷けないというのが本音である。
「なぜですか?」
「えっ」
「ああ、すみません。今までしなかったのになぜ今なのかと、思いまして」
「お、おかあさんに……」
なるほど。王妃様に渡そうと思ったからか。理由がそれだけなら話は早い。「なら手紙はいかがですか?」とすり替えて提案する。手紙も立派に気持ちを伝える贈り物ですよ、と笑う。少し人が悪い気もしたが、料理なんかさせて自分に責任が向けられても困るのだ。
顔を下げているサンジに、「王妃様もさぞお喜びに……」とレイドが言ったとき、ぽつりと、サンジがなにかを言った。下を向いていて聞き取れなかったので、謝ってからもう一度言ってくれと頼んだ。
「……おかあさんに、元気になってほしくて」
だから、元気が出るの食べてほしい。相変わらず小さくて声に自信はなかったが、サンジは確かにそう言った。そこで、ああ、だからあのとき……とレイドは先日聞かれた脈絡のない質問を思い出した。元気になる食べ物とは、母親のために聞いたのか。あー……と頭の中でやってしまったとレイドは思った。そうなると、自分はあの時答えた時点で彼に料理をさせたいと思わせた責任の一端があるわけだ。
「…………仕方ないですね」
レイドの言葉に、元気の無くなっていたサンジの顔が上がる。誰にも言わないで下さいね、と念を押せばおすほど、「うん!」と元気に返事をされた。
すぐに調理場に入って怪我をされても困る、ということで、レイドはまず包丁を模した木のオモチャをサンジに渡した。これで特訓を積んでからじゃないとだめ、と言ったところ、文句も言わずに「わかった!」と言われたため拍子抜けした。こういうとき子供は早く本物を扱いたいとごねると思っていたからだ。
「まずは私がやるので見ててくださいね」
「うん!」
粘土を食材代わりに置き、押して引くと簡単に切れると説明した。押して、引く、と言いながらゆっくりとやって見せる。料理っぽい、とそれを見てサンジがはしゃいだ。本当に料理がやりたかったようで、「僕も僕も」と早く代わってくれと言う姿が少し微笑ましかった。
「手は丸く、そう。猫を意識してください」
「ねこ」
きょとんとした顔をするサンジに、「ご存じないですか?」と尋ねる。ふるふると首が振られ、知らないことにレイドは驚いた。野良猫だらけだった幼少期を過ごしたレイドからすれば、知らないことなど想像もつかなかった。箱庭育ちの王子はやっぱり違うな……と自分との違いに心の中で苦笑しつつ、「かわいらしい動物ですよ」と教えた。興味がありげな態度だったので、いつか見れるといいですねと付け加える。すると「レイドも一緒に見ようよ」とサンジが笑った。
「一緒にですか」
「うん、一緒。約束ね」
楽しそうに、サンジが小指を差し出した。最初は声の掛け方もわからなかったのに、随分懐かれたもんだなぁと少し驚いた。「わかりました」とレイドがその指に自分の小指を絡ませる。へへ、とサンジが笑った。
準備はいいですか?とレイドが聞き、「う、うん」と緊張した面持ちでサンジが言った。それに気付いたレイドがしゃがんで、大丈夫ですよと笑う。
「サンジ様は王子ですよ? おとうさんにはないしょね≠チて言えば使用人たちは文句言えませんから」
平気平気、と笑うレイドだったが、今までずっといい子だった彼にはやはり大事件らしく、先ほどから緊張が伝わってくる。練習しましょう、と数回「おとうさんにはないしょね」を言わせてから、行ってらっしゃい、と背中を押した。ととと。少し歩いてから、ちらりとサンジが振り返った。ここまでやったんだ、好きにやったらいい。その気持ちを、ぐっ!と親指を立てて伝えると、ようやく落ち着いたのか、調理場の中に入って行った。
「……ふう」
一仕事終えた、というふうにレイドが首を鳴らす。あとのことはもうレイドにはどうすることもできないのだ。なにをして暇をつぶそうかと考えていると、「ああ」と用事があったらしい使用人の一人が声をかけてきた。購入物の確認についてで、木のおもちゃはレイドの自作。粘土は倉庫にあったものを適当に盗んできたのでいつも通りの報告をする。
「あれ?」
「はい」
「今って、サンジ様はお部屋にいらっしゃらないのですか?」
確か、もう授業は終わっていますよね。世間話として言ったであろう向こうに対し、こちらは内心どきりと心臓を鳴らした。
「ええ、本が読みたいから借りてきてくれと」
「そうでしたか。サンジ様は勉強熱心で感心しますね」
「はい。私も鼻が高いです」
顔には出さずに適当に嘘をつき、使用人は次の確認に行かなければ、と去って行った。笑顔で挨拶をしてその場を離れ、あぶないあぶない、と小さく息を吐いた。
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