▼ だれも泣かない夢を見た
迅はよく笑う男だった。同様によく笑う名前という人物が来てからは、「お前らなんか雰囲気似てるな」なんて言われることもしばしばだった。その度に、「そうかな?」と自分は首を傾げていた。
名前を連れてきたのは自分だ。町で名前を見つけて、見えてしまったあまりに救いようのない未来につい手を差し伸べてしまった。それがどういった結果を招くのかも、少しながらにわかっていたはずなのに。
「あ、迅さん。やほー」
隊服を身に纏った名前が迅を見つけて近付いて来た。最近、彼女は太刀川隊に入ることを決めたらしい。今までは基本の隊服だったのに、黒いロングコートの隊服へと変わっていた。
「隊服できたんだな」
「そうそう。見てよこれ、かっこよくない?」
そういって自慢してきた隊服は、決まったときに「なんかロングコートで戦う隊が出来たらしいよ」「マジで?」「なんかダサくね?」と言われていたものだった。だが太刀川隊の中では好評らしく、「国近ちゃんがゲームの衣装みたいでいいと思うって言ってたから多分おしゃれなんだよ」と名前は胸を張っていた。
名前はそれからね、と学校での話を始めた。なんでも同じクラスだった男子の友達と最近仲良くなれたらしい。毎日ずっとマスクをしているから、きっと彼は花粉症なのではないかと名前は推測していた。
太刀川隊に入隊して、学校に通うようになって。今まで近界で生活していたというのに、名前はすぐに順応して生活に馴染んでいた。ドラマや雑誌なんかで勉強したのだと、前に話していたことを思い出す。きちんと、自分がむこう側から来たことを隠せるように。
「……あれ、なに笑ってんの?」
「ん、いや」
やけに楽しそうに話すので、「楽しいなら何よりだよ」と迅が微笑ましそうに笑った。すると名前は少し目を大きくして、「え?」と口を半開きにした。
「……あ、そっか。楽しいのかこれ」
納得したように呟かれたそれに、迅は「なに、気付いてなかったの?」と笑った。冗談でも言っているのかと思ったが、彼女は何だか驚いているようで「なんか、うん。気付いてなかった」と言って照れたように笑っていた。
「……そっか」
その言葉に、もしかしたらこの子はずっと楽しくなかったのかもなぁ、なんて思った。近界にいたときは碌な生活をさせてもらえていなかったようで、初めて会った時の体格はこちらの世界の平均よりずっと小さかった。だから話をして同年代であることに気付いたときは迅も驚いたものだ。
この子に、楽しいと思えることが増えるといいな。心の中でそう思いながら名前の頭に手を伸ばした。「うわ、」と小さく驚いた声が聞こえて、頭をぽふぽふと撫でると名前は不思議そうに「どうかした?」と首を傾げていた。同じくらいの年のはずなのに、それが随分と子供っぽく見えた。
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本部に招集を受けていた迅は、会議を終えて開発室へ向かっていた。近頃は諸事情により元々持っていたトリガーを使用する機会が増え、そうなると定期点検も受ける必要があったからだ。
「……うーん」
困った。自分はこれから開発室の扉を開き、予定通り点検を受けたトリガーを貰う必要がある。しかしその後開発室から出ると、どうやら自分が自然と避けていた人物と遭遇してしまうらしい。
時間を遅らせればいいのだが、いかんせん時間帯が決まってしまっている。開発室は激務であり、自分が彼女と会いたくないというだけでいらぬ仕事を増やすのは気が引けた。
「迅さんですね。トリガーの方、問題ありませんでしたよ」
結局迅は、予定通りの時間にトリガーを回収した。丁寧に渡されたそれを貰い、開発室の外に出た。
「あ」
そこには予知通りに自分を見た名前の姿があり、「おー」と迅はいたって普通に声をかけた。
「名前、会議来なかったな」
「んー今回は実況のほう行ってるし、私が行っても邪魔かなと思って」
「ふーん」と迅が鼻を鳴らす。これはもしかしてだけれど、彼女は太刀川が言っていた通り、彼を避けているのかもしれない。会議に行った先では太刀川も嵐山も「名前はいないんだな」と言っていて、三輪も少しきょろきょろしていたから彼女が来ているものだと思っていたらしい。ただその目が探していたというよりは警戒していたのが、相変わらず彼らの仲を示していた気がした。
「迅さんは?」
「定期点検。大規模侵攻とか色々で結構使ったし、次もまた何か来るらしいから」
「ふーん」と、今度は名前が鼻を鳴らした。お互い特に興味も無いけれど聞いてみる。世間話とはそういうものである。特に意味はないけれど、毎回会えば名前の部屋まで話しながら一緒に歩くのだ。
「そういや出水くんと嵐山隊がさ、三雲くんに稽古つけてたらしいんだよね」
「あー、そうみたいだな」
「とりまるくん、射手に声かけてたらしいのに私はすっ飛ばしたんだよ。酷くない?」
「名前の教え方ざっくりしてるからなぁ」
師匠はしっかりとしているが、名前の教え方は実に雑であった。烏丸は最初に三雲を指導することになったとき名前にも色々聞いたことがあったのだが、「ばーっと撃つのがアステロイド、きゅんっと撃つのがバイパーだよ」ととんでもない説明を受けて「この人には実戦練習だけ手伝ってもらおう」と心に決めていた。名前にその自覚はないのか、そうかなー?と不満げな様子だが。
「でも指導を受けたいってことは、結構三雲くんも焦ってるんだろうね」
「……ま、そうだな」
昨日、三雲は自分に焦る理由を伝えてきた。空閑の命の時間制限がわからない以上、彼が焦るのは最もだった。彼を焦らせた理由を作ったのは自分だし、なんとかしてやりたいとは思う。
(……あ、また)
先ほど嵐山からも、お前一人の責任じゃないと言ってもらったばかりじゃないか。三雲からも、彼の方が大きな怪我を負ったと言うのに自分のせいじゃないと言わせてしまった。いい加減、自分は立ち直らなくちゃいけない。
「迅さん?」
「……名前さ、」
「ちょっと俺を殴ってくんない?」「やだこわい」吹っ切れるためにそう言ったのに、名前は間髪入れずに「迅さんついにMに目覚めたのこわ……」と引いた目で見てきた。非常に不本意だが、自分もちょっと考えが足りなかった。急に何を言っているんだと思われても仕方がない。
「あー……うそうそ、忘れて。ちょっと今の俺はおかしい」
「大体いつもおかしいと思うけど」
「……なーんで名前ちゃんは俺とか太刀川さんにはそういう感じなのかな」
「だって二人可愛くないし……風間さんならいいけど……」と名前が返した。彼女はまさか、風間のことを可愛いと認識していたのだろうか。危険なので絶対に本人には言わないでいただきたい。
未だに引きずっている自分が情けなくて、歩いている廊下を随分長く感じた。このままだと、余計な事を口に出してしまいそうだった。
「…………あのさぁ、迅さん」
「なに?」
少し疲れた顔で名前を見ると、同時にひゅんっと名前の手が空を切った。
ばちんっと音を立てて迅の頬と名前の掌が触れて弾けた。目の前で星がかちりと光ったような衝撃。迅はその勢いで少しよろけて、唖然としたように名前を見た。
「満足?」
名前はそう言ってにやりと笑った。とても楽しそうでいたずらな顔。彼女の、いつもの笑う顔。
「わっ、」
驚きでぼけっと名前を見ていると、ぐらりと体制が崩れた。名前に腕を引き寄せられたことに気付いたのは、彼女の肩に自分の鼻がぶつかってのことだった。
「お疲れさまでーす」
楽しそうに耳元で発せられた声が迅の耳を通り脳で溶ける。そのままぽん、と頭に触れたものが名前の手であることを認識して、じんわりとした暖かさに胸を痛めた。
(……あーあ、)
だから、名前に会いたくなかったのに。
「……なあ、名前」
「なに?」
「いつもこんなことしてないよな?」
少しだけ心配になったので聞くと、「してないでしょ。多分」と曖昧な返事をされた。「あんまりやるなよ」と迅が笑うと、名前も面白くなってきたのか、おりゃーっと笑ってぐりぐりと頭を雑に撫でてきた。力が強すぎて、少し痛かった。
「……」
何にもできてないくせに、慰められてどうするんだ。
「……名前は大きくなったなぁ」
「そう?」と名前が首を傾げて、それが迅の頭があったほうだったのでこつんとぶつかった。「そうだよ」と言うと納得したのか、「まあ、もう3年だからね」と言っていた。
名前を連れてきたのは自分だ。近界へ行くことができるからと彼女をボーダーへ入れた。勿論彼女は遠征を目指して、何度も近界へ向かった。その度に、帰って来るたびに少しだけ残念そうな顔をして。
学校に行って、任務をこなして。もう、3年も経った。低かった背は伸びて、怒られるかもしれないが体重もきっと増えた。よく笑って、友達だって沢山できたのに。
どうしたって、彼女の未来だけが変わらない。
「ねえ、」
もし未来が変えられなくても、それは迅さんのせいじゃないからね。名前の言葉に、今考えていたことを言い当てられてしまったのかと思い心臓が跳ねた。しかしそれはすぐに、先ほどの話の続きだと気付いた。
「もし変えられなかったときは、私も手伝ってあげるからさ」
何の迷いも無く言われてしまったそれに、「……なるべく、自分で頑張るよ」と力なく返事をした。その言葉に、名前は「迅さんは捻くれてるなぁ」とけらけらと笑った。
名前は、いつか死を選ぶ。それがどうしてなのかは知らないが、彼女はいずれ、自らの手で全てを終わらせてしまう。そんなの、もうずっと前から知っている。知っていて、無駄に希望を与えている自分は、彼女にとって何なのだろうか。
「……名前にだけは言われたくないかなぁ」
こうして楽しく笑っている顔を見ているだけで、いいんだけどな。なのに名前は、これからなにをするつもりなんだろう。未来で泣きそうに笑っている彼女に、そう聞いてしまいたかった。
(だれも泣かない夢を見た ただ笑って、生きてくれないかな)
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