置いていかれた感覚が、ずっと胸につかえている。小さな劣等感のかたまりみたいなものが、ずっと。
小学校の運動会、徒競走で私はだいたいビリか下位争いの筆頭だった。もちろんそこでも置いていかれる感覚というのを、嫌というほど味わされた。中学校のとき、今度は持久走というものが始まった。今度は圧倒的ビリを味わった。もう、これ以上にビリを経験することはないんじゃなかろうかと思う。高校では、走る競技は極力避けて、地味に過ごしていた。そんな、わりと暗めの学生生活だった。
そんな私は、今ではしっかりと大学に通っている。大学では体育の単位は少なくてすむため、大変快適だ。1年と少し経って、友達もできた。彼氏は、まあ、まだだけど。いつかできるはずだ。多分。きっと。
「ねえ、名前聞いてる?」
「え、あ、ごめん」
心の中で若干の不安を覚えていると、友達に顔を覗き込まれた。「もう、もっかい話すから」と言ってくれる彼女は中学からの友達だ。高校で一度分かれて、結局同じ大学に進学した。彼女のおかげで大学スタート時からぼっちを免れている、大変ありがたい存在だ。
「今年成人だしさ、みんなで一回集まろうって話出てるんだよね。あ、もちろん未成年の人はお酒飲めないけどさ」
「みんなって、グループでそんな話出てたっけ?」
「え? ああ違う違う」
てっきり、中学から作っている仲のいいグループのみんなかと思っていたがどうやらそうではないらしい。ほら、と見せてくれたのは中学のとき同級生だった男の子とのLINEだった。
「中学のときのみんなで集まろうって話してるの。卒業して同窓会もしてないし、同じクラスで集まれたらなーって」
「へえ、」
いいじゃん。と続けようとして、口が止まった。あることに気付いて、楽しそうだと思っていた気持ちが、一気に不安に変わった。
「あのさ、クラスっていつの? 二年?」
「ううん、三年生のときの」
「ああ、そっか。だよね」
だよね、なんて口では言いながら、どうしようと少し焦りを感じていた。三年、ということは彼も来るかもしれない。私の焦りなど知らず、友達は「みんなどうなってるだろ」と心を弾ませていた。
少し早めに、友達と目当ての居酒屋に着いた。居酒屋は、小さいときは大人な場所だと思っていたけれど、大学に入ってからはそんなに特別にも感じなくなった。ようするに自分も少し大人になったのだと思う。
私はもうお酒が飲める齢になっていたけど、あまり練習したことが無いから普通にソフトドリンクを頼んだ。久しぶりに級友と会って、不安が残りながらも楽しさを感じていた。そもそもよく考えれば、彼はこういった場に好んでくる方ではない。そこまで構える必要は無かったのだ。
「ねえ、名字さん。今日って風間くん来ないの?」
「えっ」
ちょうど思っていた相手の名前を言われ、少し大きめの声が出る。その反応に、隣にいた人がこちらを向いた。
「いや、私に聞かれても」
「あれ? 名前って風間くんと仲良くなかった?」
私の反応に友達も疑問の声を上げた。「別に仲が良いって言うか、昔からの知り合いなだけだから」そう答えると、「そっかぁ」と聞いてきた子は残念そうに顔を下げた。ああ、そう言えば彼は結構人気があったなと思い出す。
がやがやと、また雑談が始まる。みんなが楽しそうにしている中、私は先ほどの会話で思い出したその人を、というか、その人と気まずくなったことを思い出した。
風間くんはさっき言ったように、別にすごく仲が良かったわけじゃなくて、普通に会ったら気兼ねなく話せるくらいの近所の同級生だ。ただ彼は女子とそこまで話す方でもなかったから、私が仲のいい方に食い込んできているだけのことだった。
昔から頭が良くて、運動もできて、あと、厳しくて。いつも私の先を歩いているような、しっかりした子。お兄さんが亡くなったときも、泣いている姿だって見たことが無いくらい。それでも、頑張れば認めてくれる優しい子だった。だから、気まずくなったのも全部私のせいだった。
日曜日だった。家族と買い物に出かけていたからよく覚えている。大きすぎる音の地震が起きて、私と家族は避難誘導を受けた。なにもわからなかったけど、ただひたすらに怖くて、後から地震じゃないと聞いたときはもっと怖かった。だって、ばけものが襲ってきたなんて嘘みたいなことを偉い人がニュースで言っているなんて。近界民というばけものが、私の住んでいた町を一日にして消してしまった。怖すぎて、意味が解らなくって。私は家族と身を寄せ合って、数日避難所で過ごした。
風間くん大丈夫かなぁと、少し経ってからようやく思った。
その後は、家族と相談をして三門市を離れることを決定した。ボーダーという近界民対策用の組織が三門市に作られるらしく、もっと安全な場所にいこうと思ったからだ。ただ、私はもうすぐで高校三年生だったから、友達と離れることや新しい場所でやっていけるかが心配だった。
「あ」
風間くんに会ったのは、それが決まってすぐの時だった。彼とは学校も違ったため、会うのは被災の前ぶりだった。お兄さんが亡くなってそう日も経っていなかったから、どんな声をかけていいのかわからなかった。でも、「名字」と風間くんが名前を呼んでくれたので、「久しぶり」と笑って答えた。
「今日、寒いね」なんて実にもならない会話を数回続けて、私は「大丈夫?」の一言もかけられなかった。聞かれたくないだろうからと、何も言わなかった。そんなものは建前で、本当は聞く勇気がないだけだったのに。それよりも、引っ越すんだというのをどのタイミングで切り出そうかと迷っていたくらいだ。
ぐずぐずと迷っていた私に、少しいいか、と風間くんが言った。彼から話題を切り出すのは珍しいことで、「なに?」と私は驚いて返事をした。風間くんの目は赤くて、綺麗な色をしていた。
「ボーダーに入ろうと思う」
言われた言葉に、「え?」と口の中で聞き返した。だって今、そんな話してなかったじゃないかと、心の中で言った。風間くんは淡々とした声音で、色々考えて決めたことだと伝えた。だっていま、私、引っ越すことを話そうと思ってたのに。言われたことと考えていたことが混ざって、一気に顔に血が上った。
だってそんな立派なこと言われたら、こんなことで悩んでた私って、恥ずかしい。
「そっか」
頑張ってね、と笑うので精一杯だった。私は、怪我もしなかったのに。家族も無事だったのに。自分のことばっかりだったことに気付いて、情けなくてしかたなかった。すぐそこにいるのに、風間くんが随分遠くに行ってしまった気がした。
少しして、私は三門市を引っ越した。親に風間くんに言ったかと聞かれたから、言ったと嘘をついた。それから一度も連絡を取っていなくて、3年。会って気まずいか気まずくないかって言われれば、気まずいのは明白だ。
もう始まってかなり経ってるし、ほとんど全員揃っている。真面目な彼が遅刻などするわけはないので、もう来ないと見ていいのだろう。ただ、何故だかそれを少し残念に思っている自分にも気付いていた。
彼が来なかったらもう多分、この胸のつっかかりが無くなることはないのだろうとわかっていた。しばらくはこのまま、この気持ちが無くなることはないのだと。我ながら面倒くさいなと思いながら、苦笑してジュースを飲んだ。
「あ、風間!」
おせぇ!との言葉と共に、反射的に私は顔を上げた。
「おせーぞ風間!」
「遅れると連絡したはずだが」
「え? あ、あーほんとだ」
でもおせえ!と男子に絡まれている風間くんは記憶の中とほとんど変わっていなかった。制服を着ていたのが私服になった、くらいの変化しか見受けられず、あの頃のままタイムスリップしてきたみたいだ。
ふと視線を変えた風間くんが、ずっと見てしまっていた私を見つけた。「名字」と小さく口が動いたので、「久しぶり」と、奇しくもあの日と同じ言葉をかけた。
会ってしまった。会えてしまった。何から謝ろうか。まずは引っ越しのことと、あと、連絡を一度もしなかったことと。理由はちょっと言えないけど、その、色々と。
カランと氷の溶ける音で気が付いた。ああ、なんだ私。やっぱり会いたい気持ちのほうが強かったんじゃないか。こんなにも言いたいことがたくさんある。
今度はちゃんと追いついて話してみせるから。もう一度君に、全部聞いて欲しい。
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