爆豪勝己くんという男の子がいた。運動も勉強もできる、しかも個性も派手で強いし顔もかっこいい。これで性格もよければ完璧超人だったが、残念ながら性格は悪かった。幼稚園の頃こそ運動できてかっこいいと少しだけ思っていたけれど、小学校中学校一緒にいてわかった。彼は運動はできるが一切かっこよくない。
「さっさと食い終われブス」
こんな言い方してくる人、絶対かっこよくない。
「爆豪くんが食べるのが早いんじゃないでしょうか」
「おめーが遅ぇんだろ。唐揚げくらい2秒で食え」
無茶だろ。心の中で思った言葉は口に出せるはずもなく、もそもそとご飯を口に運んでいると最後の唐揚げを爆豪くんに食べられた。
「私の唐揚げ……」
「動かねーやつが唐揚げばっか食ってたらデブんだろ、感謝しろよ」
「動くし……なんかこう、個性で俊敏に動くし……」
何故私は、人の唐揚げを偉そうに食べる爆豪くんと食事を共にしなければならないんだろうか。それは私と彼が幼馴染だというだけの理由であり、彼が勝手に私の家に上がって来て勝手に私が作った食事を食べているからである。
「スピード系の個性でもねーのに俊敏に動けるか馬鹿じゃねぇの」
「よくもまあそんなするすると暴言が口にできるよね」
「さっさと片付けてゲーム用意しろ」
この横暴さである。自分で片付けて用意すればいいのに、とは思っても言えない。爆破されるから。なんたって私は貴重な休日を爆豪くんと過ごし、爆豪くんと食事をしてあまつさえゲームまでしているんだ。
小さい頃から彼の粗暴の悪さは酷く、私の思い出の中では彼は大体笑顔で爆破をしているやばい奴だった。止めようとすると「ああ?」と睨んでくるし、同級生を従えるその姿はまさしく魔王。ひとたび付いたイメージというものは中々取れることはなく、私の中で彼は今も純然たる魔王である。
そんな彼を、私は中学に上がってからは「爆豪くん」と他人行儀に呼んでいる。主に爆豪くんに憧れる女子から疎まれるのを回避するためだったが、彼は事情を説明しても頑なに「名前」と呼び続けた。理由を聞くと「お前が困んのが面白ぇからに決まってんだろ」とさも当然のように言われ、一度地獄に落ちればいいのにと思った。
食器を片付けて、テレビゲームを機動させる。ソフトは何がいいかと聞くとテレビ前のソファに移動した爆豪くんに「マリカ」と言われた。なんで私の家のゲームラインナップ知ってるんだよ。あ、一緒に買いに行ったわ。本当は音楽ゲームが欲しかったけど「それつまんねーからこっちな」と爆豪くんに変えられたんだった。くたばれ。
「……爆豪くん、私に構わないで友達と遊びに行けばいいのに」
「ああ?」
「友達って誰だよ」と聞かれ、いつも一緒にいる子たちがいるじゃんと言うと「あいつらと俺を一緒くたにすんな」と言われた。別に一緒にはしてないけどと思いつつ、あの子たちが友達じゃないなら爆豪くんの友達は誰になるんだろうかと考えた。緑谷くんは多分友達とか言ったら速攻で爆破だ。なら、私はどうだろう。
「爆豪くんってもしかして私しか友達いないの?」
「誰が友達だ気持ち悪ぃ」
友達ですらなかった。不本意ながら少しショックで胸を抑えると「無い胸抑えてんじゃねーよ」と追い打ちをかけられた。酷過ぎる。
「……じゃあ、爆豪くんにとって私ってなんなのさ」
テレビ画面には“ローディング”の文字が表示され、ぐるぐるとタイヤのアイコンが回っていた。多分カーレースをするゲームだからタイヤなんだろう。
「私は爆豪くんのこと、友達と思ってたんだけど」
恨みがましく口にすれば、彼は普段から邪悪に笑うかむすっとしている顔を更にむすっとさせた。「あ、やべ」と思ったときには、彼はもうソファから立ち上がっていた。
彼のこの顔は見慣れている。これは「怒っています」の顔だった。同じ部屋にいて、彼の方が出入り口の扉に近い。どうしよう、逃げられない。そう思ったときにはもう爆豪くんはすごい近くにまで来ていて、私はといえばおたおたと座り込んだまま挙動不審になるしかなかった。
「……お前、」
爆豪くんが少しかがんで私と視線を合わせる。その一挙一動にびくっと肩を揺らしていると、眉間に皺を寄せられた。見慣れたその顔に、どっくんどっくんと心臓が大きな音を立てていた。
「な、に」
「マジで馬鹿だろ」
「……は?」
わざわざ近付いてなにを言われるかと思えば、とっても至近距離でバカ呼ばわりをされた。爆破されなくてよかったと思えばいいのか、相変わらず酷いその口を恨めばいいのかよくわからないままに見上げれば、爆豪くんの目が細められた。
「え、」
「どうしたの」と続くはずだった言葉が、何故か続かなかった。なにかに塞がれたらしい。先ほどまで視界に映っていたものを脳内で再生してみる。そもそも近かった顔が、更に近くなって、近すぎて見えなくな、って。
ちゅっ。耳に聞こえてきた音に、思考が固まる。体も固まる。瞬きすらできなくて、ゆっくりと離れた爆豪くんが視界に戻って来た。
「……、はあ」
離れた爆豪くんが、息を吐く。その様子を見ている今でさえ体はぴくりとも動かなくて、ただ、爆豪くんが触れた口だけが「あ、」とか「う」とか言葉にならない声をもらしていた。爆豪くんが、触れた、く、ち。
「ふ、は!??」
気付いた瞬間、心臓がばこんっと破裂した。ずささささっ!!!とゲーム機をなぎ倒して後ろに下がる。かっぴらいたままで乾いた目が痛かったが、私はやっぱり爆豪くんから目を逸らせなかった。
「ばく、ごくん」
「うるせーバカ黙れ死ね」
「え、あ、なに、今のなに」
「一々説明しねーとわかんねーのかクソ馬鹿死ね」
わけがわからないなりに必死に言葉にしたのに、爆豪くんは全部死ねと返してきた。本当に酷過ぎて泣きたくなったが、泣くという行動さえ固まった体は許可してくれなかった。
「……ただの幼馴染だばーか」
口の端を小さく上げて、爆豪くんが不敵に笑う。その笑顔がまさしく魔王のようで、ゆったりとこちらに近付く彼に逃げられないことを悟った。ばくばくと音を立てる心臓がうるさくて、先ほどの私の質問の回答だと気付いたのは多分5秒後くらいのことだった。ロードが終わったゲームが機動する。暢気な明るい音楽が部屋を満たしていた。
恋がはぜる音を聞く
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